人格を変える為の努力について
堕落した人間が、良い人格になろうとするには、意識して思考した上で、行動をしないといけないので、常に努力しなければ保てないものでしょうか?
いずれは、特性となり身につくものでしょうか?
良い人格者は、意識しなくても自然と考えや言動にその人格が表れると思うので、人格を保つのに努力は不要なのかな、と思うのですが、実際は、良い人格者でも小さな欲求(心の中の天使と悪魔)と日々、戦っているものなのでしょうか?
(人格とは、幼い頃決まると言われている気質ではなく、人への思い遣りや、誠実さ、協調性などの人柄かと思っています。)
そう考えると、堕落した人間と良い人格者は、努力するかしないかの違いになりそうだと思います。
(思い遣り等の深さなどは様々だと思いますが)