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生きる意味がわからない
- 生きる意味が分からないと悩んでいる私の思い
- 他の命を頂いていることが生きる意味に疑問を抱かせる
- 他の人の考え方を知りたい、共感を求めています
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質問者が選んだベストアンサー
Q、他の命を犠牲にしてまで私が生きる意味ってなんなんだろう? A、生きる意味について100万時間考えるよりも今日と明日の生き方が大事。 人間は、その労働をもって自然を改変し文明と社会とを築いてきました。結果、地球は温暖化して看過できない気候変動の時代を迎えています。それは、人類以外の動植物の未来さえ奪いかねない危機とも言えます。それに対する人類の備えは余りにもお粗末。それぞれの利益第一主義で利権争いに明け暮れているのが現状。先日、かの終末時計は、今、終焉2分前に訂正されました。 質問者は18歳。他の命に支えられた人生。これからも支え続ける人生。それを、世の為、人の為、そして人類以外の動植物の未来の為に多少なりとも役立てるには、如何に、今日と明日とを無駄にしないかが大事。 >私が生きる意味ってなんなんだろう? って、感傷に浸っている暇はないと思いますよ。人類の歴史に学ぶ4年間。人類が現時点で到達した自然科学と社会科学について学ぶ4年間。その4年間を無駄にしないこと。その為に、今日と明日を精一杯生きること。 要は、生きる意味について100万時間考えるよりも今日と明日の生き方が大事だってことです。未来を信じ、未来に生きる18歳ならば、先人が残した歴史、自然科学、社会科学、哲学の学んで、自らの価値ある生き方へ一歩でも二歩でも前進すべきですよ。 先ずは、先人が残した歴史、自然科学、社会科学、哲学を学ぶステージに立つことに成功されたし。
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- 雪中庵(@psytex)
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物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 (あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とするに変わりはありません) 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。 (「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)
お礼
回答ありがとうございました。
- ddtddtddt
- ベストアンサー率56% (179/319)
>究極の答えは「生きることに、もともと意味などない」です。 そもそも「意味」とは人間が勝手に考えて存在すると思っているものなので・・・中略・・・本人が「ある」と思えばあるし、「ない」と思えばない。たどりつける正解があるように思うのは幻想です。 ※ #12さんより。 個人的には「生きることに、もともと意味などない」で解決しました。ちょうどあなたと同じ時期です。そして「意味などない」に直結する形で「明日へと走る定め」だと思いました。これが私なりの正解(偏見)です。この関係は、もう少し生きてみればわかると思います。 それから40年・・・。これはあなたの言う、 >生きる意味がわからなくても死ぬまでの暇つぶしと思って気楽に生きればいい とはちょっと違うものだと思います(^^;)。
お礼
回答ありがとうございました。私もこれから先はまだ考え方は変わるだろうし新しく気づくことはたくさんあるだろうなと思っています。 考えても仕方ないと思っていても考えてしまうんですよね…汗 自分なりの答えを探したいと思います。
そりゃ答えのない問いだから…。 答えの無い問いなのだから悩んでも答えは出ないです。 だからこそこの手の悩みは底なしなんですね。 生きることに意味などないです。 生物的な意味合いからすれば生きる意味はたった一つしかありません。 自然は具体的かつ残酷に生物に生きる意味を与えてます。 それは生き抜いて種を後世に残すこと。 これだけです…極めてシンプルですね。 つまり生きることは生き抜く事が目的なんです。 だけど人間は幸か不幸かそれ以外の意味を見い出そうとする。 もともと自然はシンプルでそれだけの目的しか生物にはないのですが、それじゃ納得行かないと言う訳です。 それで産まれたのが宗教であり、哲学です。 悩むならそれらに答えを見出すのもいいでしょう。 多くの先人が同じように悩み苦しみ得た一つの答えです。 そうでないなら、最初から無いと割り切るかあるいはその答えを一生かけて探すのです。 最初から決まってないのですから、自分で見つけるしかないのです。 人は食うために、人に使役される為に生まれる家畜や奴隷ではないのです。 彼らには産まれてくる意味が具体的にある。 だけど多くの人間はそんなものがない…自分の人生や生き方を自分で決めて選ぶ事が出来る…これが自由です。 自由とは元から意味がない状態とも言えるのです。
お礼
回答ありがとうございました。 その通りだと思います。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
究極の答えは「生きることに、もともと意味などない」です。 そもそも「意味」とは人間が勝手に考えて存在すると思っているものなので、元から存在しているわけではないです。だから「意味」は本人が「ある」と思えばあるし、「ない」と思えばない。たどりつける正解があるように思うのは幻想です。 生き物は他の生き物を食べて生きるようになっています。そうじゃないと生きられないから。あなたが食べた生き物だって、他の生き物を食べて生長したわけでしょ?だからそこは考えても仕方ない。 生きる意味はあなたの内側にはない。だからいくら考えても分かることはないです。生きる意味がわかる可能性はあなたの外部にあります。何かあなたの外部に当たっていくことが重要。例えば、就職し、家族を持ったら、生きる意味は家族を養い、必死に働くことになります。もう、意味など考える必要もない。自明になります。 いつかは寿命が尽きてあなたは死にます。世界から消えます。人生は1回だけ。 (興味あるかは知りませんが)あなたがディズニーランドに行ったとします。 もし、そこの園内で「遊ぶ意義とは何だろうか?」と悩んでいる人がいたら、こうアドバイスしたくなりませんか? 「時間も限られているのに、そんなこと考えるのは勿体ない。アトラクションに乗って楽しんだほうがよくないですか?」 というわけで、悩むより人生をいかに楽しむか考えたほうがいいと思いますよ。 人生は短い。
お礼
回答ありがとうございました。 確かに考え過ぎなのかもしれません。 いくら考えても仕方のないことってありますよね。
- yuniko99
- ベストアンサー率15% (31/204)
人間は生きて存在します。 ただ生きてるだけで心も意識もなかったらどうでしょうか? 或いは心はあっても邪悪な人を傷つけ騙すばかりの人でなしだったらどうでしょうか 人間が生きてるのは人間の体が生きているのです 人間の精神は命とは別物です。 命はまだ生態系に在り、人間は食物連鎖の頂点にいます しかし心は体に宿る様に存在し 傷つけ合ったり弱肉強食の真似をしなくてもいいのです。 生存 と言うのは 体が生きて心が存在すると言う事です。 植物人間になっても仕方ありません。 第二の誕生で意識を持って存在して 心で生きて下さい。 心で体(欲望や感情)をコントロールして下さいね。
お礼
回答ありがとうございました。 心と命は別物という見方はすごく新鮮で考えさせられるものでした。
- sat000
- ベストアンサー率40% (324/808)
地球上に生きる全ての生命のミニマムの目的は種の保存です。そのためには生きながらえないといけません。そのためには他の生命を犠牲にします。単にそれだけなんですが、それ以上に生きる意味を見いだせるかどうかはあなた自身の経験、価値観、自己研鑽に依存します。
お礼
回答ありがとうございました。
- heyboy
- ベストアンサー率21% (1852/8730)
ふと、 士郎正宗の単行本の 「仙術超攻殻ORION」だったかな ”命は地球より重い”は人間的な勝手な解釈なんだ みたいなことが書かれてありました。 まさに「他を食して生きる」 この世の不条理そのものです。 必ずしも今の質問者さんには 当てはまらないかもしれませんが 聖書のルカによる福音書の4章4節には 「イエスは答えて言われた 「『人はパンだけで生きるものではない』 と(旧約聖書に)書いてある」。 と書かれています。 自分は思うに聖書の意味は メインカルチャーとサブカルチャー 無意識と意識 魂と肉体 男と女 陰と陽 死と生 主食(ご飯)と副食(おかず) など 元来の御(み)言葉の意味は 「人は食べ物だけはなく 神からの御言葉によって人は活かされる」 なのですが 深く考えてみたら この御言葉は「見える部分と見えない部分」 (もっと言えば 「その人がはっきり認識出来る部分と その人がまったく認識出来ていない部分の両方」) によってこの世が成型されているのだな と自分の勝手な解釈で思考しております。 「何故食べられるの?」と言う問いならば 「そのような運命に生まれた」と言う見方も出来ます そう言い切れるのは 聖書を重んじているキリスト教は 旧約時代からイエス・キリストは 処刑されて死ぬような啓示が書かれてあるからです。 質問者さんの虚しい心も理解は出来ますが 質問者さんの無意識は 何かもっと「大きな物」を求めていませんか? まずは近くの教会へ行く事を 強くお勧めいたします。
お礼
回答ありがとうございました。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
おそらく・・ 「意味」と「目的」がリンクしていないのだと思います 質問文からだけですと、意味を考える前に目的がないのかな?と感じるのです また、消費した分を増やすことだって、あなたにはできます それは、恩返しだったり、感謝だったりと、色々な表現があると思いますが、そこに生きる意味や目的もあるのでは?とも思います なので、書かれている感謝はあくまでも心の内のものであるので、感謝を行動に移すことに規制はありませんから、動くことで意味を探すのも良いでしょう つまり、行動を起こさずに何もしていないのでしたら、質問文のような発想が生まれても仕方がないなぁ・・・という感想です
お礼
回答ありがとうございました。 その通りですね。
- p-p
- ベストアンサー率35% (1977/5635)
哲学ですね。 考え出すとキリがないですよ。 おそらく「生きる意味なんて無い」です。 だからって「死ぬ意味も無い」です。いずれみんな死にますから。 でも生きてるんです。じゃあ、死んだらもったいないです。 働いてお金を稼いでれば、お金を使っていれば それが税金に回ったり、誰かのお給料になって、それはその人にとって生活する食料になったり欲しいものが買えたり 税金であれば道路になってたりします。 生きてれば、どこかで誰かの役になってます。 もしも大人で働いてないというならお手伝いでもバイトでも何かすれば それに意味はついて来ると思います。 自分に意味はなくても誰かのどこかの意味にはなっていますよ。
お礼
回答ありがとうございました。 死ぬ意味もないということは考えたことがありませんでした。 生きる意味ばかり考えていました。
- alterd
- ベストアンサー率23% (137/595)
他の命を頂くことに罪悪感を持つ倫理観は非常に貴重だと思います。 しかし、それは生きる上で仕方のないことです。 問題は無駄に生きることです。 無駄に生きない為には、日々、自分が本当にやりたいことをやるしかないと思います。 それには、自分の内面と真摯に向き合わないといけません。 そして、現実に目を向け、それを実現するにはどうすればよいか徹底的に分析しなければなりません。 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」です。
お礼
回答ありがとうございました。 そうですよね。そうやって前向きな気持ちを作るしかないですよね。
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お礼
回答ありがとうございました。 そうですよね。生きてるからには何かやることを見つけてそれに向かって精一杯生きることですよね。