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敗戦後の日本陸軍の戦車の行方。

NHKの旅番組(鳥取県大山町)で見たのですが、満州からの引揚者が入植し、開拓していく様子を写した1枚の写真に、ブルドーザーとして使われている戦車がありました。 昭和21年のことですが、陸軍から払い下げられた戦車という説明でした。 敗戦当時、内地にはどれくらいの戦車があったのですか、また、これらの戦車の行方はどうなったのですか。教えてください。 よろしくお願いします。

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  • eroero4649
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回答No.1

日本陸軍は、戦車は本土決戦用に温存していました。特に日本軍にとっての最新式戦車であった一式中戦車と三式中戦車は全て本土に配備されていたということです。 それが一体何両あったのか、終戦時の資料の焼却処分と戦後の混乱で、正確な数字を把握することは不可能でしょう。 内地にあった戦車は全て米軍に接収されて、スクラップとして処分されたことでしょう。すべての物資が不足する戦後の混乱期のことです。「スクラップとして処分された」以上のことは分からないでしょうね。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「一式中戦車と三式中戦車は全て本土に配備されていた」ということで、調べてみますと、やはりスクラップとして処分され、数台は見本として米軍が残したようです。 TVの話は稀有な例ですね。 どんないきさつで開拓団が入手できたのか分かりませんが、目先の利く人がいたものです。

その他の回答 (1)

  • 4237438
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回答No.2

日本軍戦車で東京タワーは建てられました。 https://amaru.me/trivia/tokyotower-tank/

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 これは、面白い! でも、日本軍ではなく、米軍の戦車ですね。

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