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【守護霊を科学的に論破した】同性愛者の勝間和代が守
【守護霊を科学的に論破した】同性愛者の勝間和代が守護霊は無意識の蓄積であり、過去の知識や経験が感覚として無意識に思い出されて正しい方向に導かれることだと説いた。 これって結構的を射ていて正しいと思うのですが、霊能力とか霊は他人の力って思ってる宗教関係者はこの事実をどう受け入れますか? この勝間和代の守護霊論を論破してください。
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これって結構的を射ていて正しいと思うのですが ただの考察のどこに信ぴょう性があるのですか? 証明すらしていない、言いっぱなしですが。
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- seble
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それは単に仮説であって、科学的というからには証明が必要です。
- jack-a3
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別に宗教関係者ではないし、守護霊の存在を信じてるわけでもありませんが、考えられる反論をいくつか。 ほとんどの人やほとんどのケースではそういった無意識な知識、思考によるものだったとしても、それを持って守護霊が存在しないことを証明するモノではありません。論理学的には守護霊が存在する可能性は依然として残り続けます。 確かに守護霊はいないのかも知れない。ですが守護霊の仕業とされるものが自身の無意識な知識、思考による行動だけとは限らない。守護霊ではなくてアラーやヤハウエの神がアナタを助けているかもしれない。あるいは悪魔かもしれない。 これまで自分は経験したことがない非常にピンチな場面に遭遇した時に、あとから振り返ってみてなぜそんな行動、あるいはリアクションをしたのか自分でも説明できないけど咄嗟に体が動いた結果としてピンチを切り抜けられたというコトがあります。あるいはまだ思考がしっかり確立していない小さな子供でも、動物的勘というようなものでピンチを切り抜けることがあります。 このように自分の頭脳に蓄積されていない行動を取ったことでピンチを回避した場合、無意識な知識とやらのお陰とするにはムリがあるのではないか? 上と似たような例ですが、自分の身に降りかかろうとしている危険にまったく気付いていなかったのに、偶然取った行動によってピンチを回避することがあります。背後から何か飛んできたけどたまたま右に曲がったからぶつからなかったとか、死角から車が来たけど立ち止まったから事故らなかったとか。こういったケースではピンチ自体を本人が認識していないから無意識な経験とか思考そのものが発動できない。単なる偶然だと考えるのが普通かも知れませんが、ひょっとしたら守護霊のお告げかもしれない。それは誰も否定できない。 以上ですが、どうですかね?
お礼
みんなありがとう 勝間女史は科学的な検証などしません。殆ど直感で動いていると言っています。コンサルタントの仕事も直感です。