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LGBTは ツイ関係の・そして二角関係の問題だ

 〇 LGBT論は 両性のツイ(対)関係論に属し ツイ関係は 人びと一般の二角関係論のもとにある。  ――この命題を問います。  1. ▲ (K.マルクス:ツイ関係について) ~~~~  2. 男性の女性にたいする関係は 人間の人間にたいするもっとも自然的な関係である。  3. だから どの程度まで人間の自然的態度(☆(引用者=質問者註) すなわち ふつのスサノヲ市民の生まれつきそなわった自然本性にもとづくあやまち得る人間語)が 人間的となったか  3-1. (☆ すなわち 自然のあやまちうる素直さだけではなくさらに何らかの基準を見つけてその物指しとしての品格を重んじるようになるアマテラス公民の表面じょうあやまち得ざるアマテラス人格語   もしくは   《〈スサノヲ人間語 ‐ アマテラス人格語〉の絡みあい交じり合う構造にあってそれら両者のよき配置による人びとの交通関係(マジハリ)をめぐる綜合的な人間性に満ちたことば》となったか。  つまり 以下につづく説明のごとく)  4. あるいはどの程度まで人間的本質が人間にとって自然的本質となったか どの程度まで人間の人間的自然が人間にとって自然となったかは   5. 男性の女性にたいする関係のなかに示されている。  (マルクス:『経済学・哲学草稿』  第三草稿〔二〕私有財産とコミュニスム 城塚登訳)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  6. これは おそらくもし人と人との交通について 一般的な二角関係の中にさらに性差にもとづくツイ(対)の関係として議論を立てるのなら 〔おそらく〕端的に言って男の側から 《婦人の霊的な共有》を言っているのではないか? と飛躍して解釈されると思っています。  7. あるいはつまり《人間の 自然的・感性的かつ人間的な 社会関係》のことを言っていると見てよいと思います。そこでは 《むしろ感性が――やましさ反応ないし恥ぢの問題として―― いわゆる人格を形成する核である》とさえ言っているようだと見られます。  8. このような感性全般の人間的な完成――しゃれのめしていますが―― そのような情感の共同性 としての社会のあり方が 飛躍して言えば 男の側からする態度としての〔でありながら〕・女性の霊的な共有におよそ収れんしているであろうという捉え方です。  9. これをめぐっては 特にヨーロッパ人のあいだで人間交通論(二角関係論)かつツイ関係論が広範な議論として培われて来ているのだと見られます。  10. さらに今度は 『共産党宣言』から引いてみましょう。  ▲ (共産党宣言におけるツイ関係論)~~~~~~~    11. そして 共産主義者よ 君たちは婦人の共有を採用しようとするのだろう と全ブルジョア階級は いっせいにわれわれに向かって叫ぶ。  12. ブルジョアにとっては その妻は単なる生産用具に見える。だから 生産用具は共同に利用させるべきである と聞くと かれらは 当然 共有の運命が同様に婦人を見舞うであろうとしか考えることができない。  13. ここで問題にしているのは 単なる生産用具としての婦人の地位の廃止だ ということにはブルジョアは思いもおよばない。  14. 何にしても 共産主義者のいわゆる公認の婦人共有におどろきさわくわがブルジョアの道徳家振りほど笑うべきものはまたとない。共産主義者は 婦人の共有をあらたにとりいれる必要はない。それはほとんど常に存在してきたのだ。  15. わがブルジョアは かれらのプロレタリアの妻や娘を自由にするだけでは満足しない。公娼については論外としても かれらは 自分たちの妻をたがいに誘惑して それを何よりの喜びとしている。     ☆ ちょっと議論をあらぬところへと導こうとしていると見える    かも知れませんが ひととおり最後まで引いておきます。  16. ブルジョアの結婚は 実際には妻の共有である。  共産主義者に非難を加えうるとすれば せいぜいで 共産主義者は偽善的に内密にした婦人の共有の代わりに 公認の 公然たる婦人の共有をとり入れようとするという非難ぐらいであろう。  17. いづれにせよ 現在の生産諸関係の廃止とともに この関係から生ずる婦人の共有もまた すなわち公認および非公認の売淫もまた消滅することは自明である。   (《共産党宣言》第二章 大内兵衛・向坂逸郎訳)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  18. 男の側からするツイ関係論であることにマチガヒないのですが この点は エンゲルスがさらに 次のように歴史における見通しを述べつつ《婦人の共有(?)》論を擁護しています。  19. ▲ (エンゲルス:未来社会におけるツイ関係について) ~~~~    20. したがって きたるべき資本主義的生産の一掃後の性的関係の秩序について 今日われわれが推測できることは 主として消極的な種類のものであって 大部分は脱落するものにかぎられる。  21. だが 何が付け加わるだろうか。それは 新しい世代が成長してきたときに決定されるであろう。  22. この世代は その生涯をつうじて 貨幣(かね)やその他の社会的権勢の手段で女性の肉体提供を買いとる状況に一度も遭遇したことのない男性たちと 真の愛情以外のなんらかの配慮から男性に身をまかせたり 経済的な結果を恐れて恋人に身をまかせるのをこばんだりする状況に一度も遭遇したことのない女性たちとの 世代である。  23. このような人びとが出てきたばあい 彼らは 今日の人間が彼らのなすべきことだと考えていることなど 意に介さないであろう。彼らは 彼ら自身の実践と それに応じた個々人の実践にかんする世論とを みづからつくるであろう――それでおしまいだ。   (F.エンゲルス:家族・私有財産・国家の起源  第二章 家族)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  24. これらは――資本主義社会が やがて必然的に(資本主義じたいの推進力によって)共産主義社会に到るという唯物弁証法なる過程を説く歴史観を別としますが それでも―― 一般にツイ関係論をめぐって たたき台には なりますでしょ?   25. あるいは要するに 男女関係なるツイ関係は ツイとなるべき二角のあいだにおける交通関係(マジハリ)のあり方や姿勢にかかわっている。人びとそれぞれの生活態度たる思想にかかわっている。  26. 人びと一般(つまり二角関係)で言えば 人間の互いの霊的なマジハリという命題は むしろ人それぞれの自然本性として 自明のことである。と言えるのではないでしょうか。  26-1. ここで《霊的な》とは 好き嫌いや愛憎あるいはもろもろの利害関係を――かたちのない希望としてでも――超えているということだ。  27. 杉田水脈のLGBT論とそれをめぐるうんぬんかんぬんの議論どころの話ではないはずだ。  ☆ どの論点についてでも あなたのご見解をどうぞ。

みんなの回答

noname#232725
noname#232725
回答No.1

ここは論を交わす場ではありません。

bragelonne
質問者

お礼

 そのように:  ★ 論を交わす  ☆ のではなく 《通報》だけすればよろしい。  ご投稿をありがとうございます。

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