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相手の印象が180度変わる場合
まだ知り合ったばかりの人が(Aさん)がBさんを手放しで褒めてきた。 それは的外れに褒めてきたり、誰にでも当てはまるようなことで褒めてきているのではなく、言われた側のBさんも、今まで複数の人から言われてきたことや、自己分析で認識している自分の個性がわかっているため、Aさんを洞察力があると思った。 しかし付き合いが増すにつれ、Aさんが褒めたはずのところをけなしたりするようになる。 たとえばBさんがAさんに 「Aさんが〇〇と言ってくれたところ、この前Cさんからも褒められた」 と言えばAさんは同意するどころか嫌な顔をする。 言葉や露骨な態度の否定はないものの、察しのいいBさんは拒絶されていると思いAさんとは短期間の付き合いだったが距離を置いた。 このような場合です。 人に対する印象はこのように180度覆るものなのでしょうか? AがBを嫌いになったために態度にでる場合でも、最初はBのそうした長所をみたからこそ仲良くなったわけです。 嫌いというのは感情ですが、自他の性格は客観的に把握できるものなので、そうそう否定することはできないと思いますし、賢い人でしたら感情は別として美点は美点として認めることができるでしょう。 突然、相手の人格を否定するような態度をする心理、その傾向のある精神疾患はどのようなものでしょうか?
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- Dr_Hyper
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いろいろ可能性はあり言い出せば切りが無いとは思いますが, まず,あなたの文面から一番に発想させるのはAさんがこの件に関して言えば異常なのではなくてBさんが思い込んでいる部分があるとうパターンに分類されるひとなのでは?ということを思わせました。 もちろん他にもありますのでこれが正解だというのではなく,こう書かれるとそう思ってしまうひとも結構いるということです。 その根拠としてはBさんがこのような場面に陥った原因は 「まだ知り合ったばかりの人が(Aさん)がBさんを手放しで褒めてきた。Aさんを洞察力があると思った。」ところだと思います。 このことでBさんの人を見る目がこの時点で曇ってしまった。Bさんは長い付き合いの人も褒めてくれるところをAは見抜いている。ということから,Aさんは大丈夫だと判断にいたりましたが,例えて言えば,占い師などにBさんが自分の性格を見てもらえば,Aと同じ事をいって当たるのではないでしょうか? 表情,言葉の使い方,視線や手の動きなどから,褒めるポイントを見つけることは可能ですよね。文面でもある程度癖はでます。 それをAさんは使ってあなたを褒めた。おそらくAさんは異性ではないでしょうか。同性に比べて異性は突出している部分を褒めることができやすいい面が多いですよね。同性だとちょっとやり過ぎでは?とか面倒くさいな。と思う部分を褒めることで丸く収めることができるからです。 例えばあなたの文面が私との唯一の接点ですが,この接点だけで あなたは意思がつよく信念をもって行動されるタイプ。人の意見を良く聞き無視はしないが鵜呑みにもしない。違うと思えば曖昧にしないで反論し論破することもいとわない。またそれが実は親切であり,誠実であると思っている。 褒めるとすれば私ならあなたにこう言ったことを言い,あなたは誠実に真っ直ぐな意見をお持ちでステキなかたですね。信念に従うsの姿勢は実に立派だ。まだお若いのに本当に人格者だと申し上げると思います。 一方で,けなすなら人の意見はあくまでも参考であり基本は自分で答えが出ているタイプであり,質問といいながら心の中では同意を求める傾向ある。また極端に真っ直ぐを好む傾向から,他の人の移ろいや揺らぎといったことを否定しがちである種の人間味に書ける印象を他者に持たせる。清廉潔白を好むために賢さはずるがしこさとイメージされるようなことも多分すごく嫌がるのでしょう。そうゆう方だと周りがすこし気を遣っているのをあまり気が付かずに,なかでも否定的な態度をとる人がいると,その人が目立つので敵と認識してしまいます。そのため,友人は少なくはないが長く続く友人はそれほど多くない。褒められることは正解で否定されることは相手の異常という認識をだしているのを気が付かない可能性があり,自己批判能力に疑問有り。 とレッテルも貼ることができます。これが正解でしょ。とは全く思いません。ただ言えますよ。と。 同じ文面は,自分のことをよく話したり,他の人が私の事をこう言っているとポジティブな面を他人に言える人には大まかに当てはめて間違いのない言葉でもあるからです。 で,普通の人間は褒められた場合,一箇所でも当たっていれば,ちゃんと見ている人,分かっている人。と判断します。 一方後半のようにけなされた場合は,当たっていてもいなくても,適当なことをいういい加減で見る目の無い人と言われた人はいってしまいます。 今回の場合は,AはBが強い意見を持つ人なので,割と普通にそれを褒めただけではないか?と感じます。 一方でその強い意見がAの勘に触ることが増えてくれば,また褒められたかいってる。それが悪いところでもあるのに。というBからすれば180度違う意見に聞こえてしまうことを言う,または態度として出してしまう可能性はありますよね。 Aも幼稚だと思いますが,Bさんの褒められたことは正解。否定的な態度はAの異常と捉えてしまっているように読める文面だと思いますので,そのようにお答えします。
- eroero4649
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>人に対する印象はこのように180度覆るものなのでしょうか? そりゃそういうものですよ。質問者さんだって、テレビに出ている芸人やタレントで「なんとなく好き」「なんとなく嫌い」っていうのがあると思います。それを論理的に説明できますか。「優しそうな芸人さんだから好き」とかいうでしょうが、でも今売れている芸人さんなんて性格が悪いけれど笑いの天才なんてなんてタイプはあまりなく、みんな気配り上手で優しいキャラクターの人たちばかりです。 でもなんとなく好印象を持っていたアイドルやタレントが性格が悪い面が見えたりスキャンダルや炎上発言なんかをやって「以前は割と好きだったけど、今は嫌い」ってなることもあると思います。 >賢い人でしたら感情は別として美点は美点として認めることができるでしょう。 賢い人は自分の汚い部分を知性で覆い隠すことができるんですよ。本気で認めている訳ではないです。認めているように振舞うことができるというだけです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご回答者様の言っていることは頭の中のイメージですよね。実際の相手がどういう人かわからない。ですから芸能人は「偶像」です。 しかし私の質問はそれよりも現実的で具体的なことです。 >「以前は割と好きだったけど、今は嫌い」 となることはもちろん現実の中でもありますが、なぜそうした心理になるのかという問いです。 >賢い人は自分の汚い部分を知性で覆い隠すことができるんですよ。 それは「愚者」というものです。 真の「賢者」は自分にも他人にも正直です。ですが自他の感情にコントロールされず、理でもって道理を極めることができます。
- marukajiri
- ベストアンサー率45% (504/1101)
人間は論理だけで生きているのではありませんし、自分の論理は好き嫌いの面においては、永久に変わらないということは無いものなのです。もちろん変わらない人も中にはいると思いますが・・・。 ある一面においてAという人間がBを評価し、友達となり親交を深めていくという状況があり、それが突如として反対の感情の変化が起きた場合、途中で何かがあったのだと想像できます。つまり全面的にAがBに対して好意を示す最初の時期があり、一転してAがBを明らかに嫌っている状況が生まれた場合、この間にAのBに対する気持ちに変化を生ずる何かが起きていたのです。 何が起きたかといえば、当初はAがBのすべてを理解していない状態で親交を深めていたのですが、AがBのことを知るにつれ、自分の考えとは絶対に折り合わない行動をするBの本質を知ったのです。 あるいは、Aが信念として生きている何かがあったとしたら、Bの行動や考え方は、それを否定し馬鹿にするようなものだったのかもしれません。Aがそれを許容できる人間であれば、Bには悪いところもあるがいいところもあると、それなりにBを認めることもできたかもしれません。 しかし、この場合のAは、Bを許せなかったのでしょう。もはや坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというレベルで、手のひらを返したようにそれまでの態度を一変させたのです。 これは友人づきあいだけでなく、恋人や、通常の人間関係でも起きることもあります。人間は思い違いや、自分に都合のいい勘違いをして誰かと付き合ったりしますが、付き合っていくうちに相手が自分の思っていたような人ではなかったことに気が付いて、愕然として恋人と別れたり、離婚したり、付き合いをやめたり、評価を変えたりするのです。 最初に人間は論理だけで生きているのではありませんと書きましたが、論理の間違いに気付いた時、人間には大きな感情の波が襲ってくるのです。論理だけなら、認識の変化だけで終わるのですが、人間には感情がある為に、嫌なものはとことん嫌いになったりするのです。坊主と袈裟は別物なのですが、嫌いな坊主が身に着けているから、袈裟も嫌いということになるのです、いうなれば、「感情優先の論理」が人間には働いているのです。 物事には、原因があり結果があります。ある人間の行動や感情に、それまでとは違った変化が起きた場合、そこには通常それを起こすことになった原因が存在するのです。ご質問の場合には、あなたが知らないだけで、Aさんにはそれなりの原因となるものがあったのだと私は想像しています。 そういう原因が一切ないのに、突然態度が一変するようなら、解離性同一性障害や躁うつ病の精神疾患が考えられます。
補足
ご回答ありがとうございます。 >Aが信念として生きている何かがあったとしたら、Bの行動や考え方は、それを否定し馬鹿にするようなものだったのかもしれません。… 私におきた実話です。 この「信念」という例えついては実際のことで、むしろB(私)にあります。 Aから「Bは強い信念に生きていてすごい。自分にはできない」ということは繰り返し言われました。しかしその部分については協力は変わらないので「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というようなことではないと思います。 またこの言葉は「過剰な一般化」のことですが、Aのこちらに対する話を直接聞いたわけではありませんのですべてが嫌になったのか、それともある特定の部分であるかについてはわかりません。 しかし私自身も、Aには様々な違和感や疑問を感じ、決定的なことを言われたことをきっかけにして完全に離れました。しかしそれも誤解やコミュニケーション不足からきていることかもしれません。 >論理の間違いに気付いた時、人間には大きな感情の波が襲ってくるのです。 認知バイアスのことを指しているのだと思いますが、誰でもこの心理に陥りますし、私も同様、都合のよい思い込みがあったわけです。 やはり人は感情の生き物です。頭でわかってても心でコントロールできないからこそ苦悩があるのでしょう。 日本人は特にそうですが、ほんとに人間、会話が大切ですね。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
この話は、自分の掌の中にいる小鳥をかわいがるというのと同じ神経です。 というか、犬でも猫でもいいんですが。猫で話したほうがわかりやすいかもしれない。 自分のところで飼っていると思っている猫がいるとします。しかし猫のほうではこの主人に飼われていて、操がこの人には立てなければいけないなんて思ってもいない。猫の性質上当たり前です。 この猫は非常に優秀で、複数の餌のうち今日はこっちをやりたいなと考えていることを察知し、それがほしい、とごろにゃんして甘えます。 あそこに行ってほしくないなと思っていると、気をきかせたようにそちらにはいかない。 どんな賢い奴だろう、と思うし、人にも「うちの猫はね」と自慢たらしく言うようになります。名前をつけて「みくちゃん」みたいに呼びかけている。 ところがある日外を散歩していたら、近所の別の家の縁側に座っており、そこの子どもから「たまちゃん」と呼びかけられながら煮干しをもらってごろごろ言っている。 当然猫には自由がありますから、あちこちの家に行くことも可能だし、行く家で行儀を良くし嫌われないようにする才能があるわけです。 飼い主だと思っていたあなたはひどくショックを受け、「そういえばけじめのないやつだったな」と考えるのです。「垂れ流しみたいに愛嬌をふってたな」「ものを際限なく食べる外道腹だったな」みたいに。そんなことは自分の家で見ているときから気づいていたことだけど、人の家の猫と思ったら憎くて仕方がないことです。 おそらくBさんは、Aさんにとってこの猫なんです。Aさんだけを相手にして会話し、行動していたら、こんな好もしい立派な、教養のある頭のいい人間はいない、とAさんには見えたんです。この段階ではAさんはBさんの飼い主なんです。 これをCさんが褒めたとなると、え、Cのところの猫だったのか、という失望が走り、いままでいいとおもっていたことが逆転して、ろくでもないけだものだと思うようになるんです。 これは相手の人格を否定したのではなく、もともと対等のものとしてみていなかったということです。だから精神疾患ではなく、コミュニケーション能力の欠損なんです。Aという人は人を見下すような性質だということであり、品性の問題なんです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 大変ユーモラスでわかりやすい例で納得しました。 私、猫好きなんでよくわかります(笑) 私の実話なんです。Bは私です。Aは異性ですが、恋愛関係ではありませんし利害関係というわけではないのですが、付き合ってすぐ、自分に自信がないようでいながら(だからこそ)支配欲が強い人なのではないかと思ってきました。 最初は気が合ったとはいえ、面と向かっては「お前」、陰で「あの女」呼ばわりしてます。距離を置いたとはいえこの呼び方は変わりません。辞めてほしいと伝えましたが自己中なのか、都合悪いことは覚えてません。 それに女性蔑視のところもあります!ほんとに品性のない人でした。 一見、自我が薄そうで自信がないような人でも注意することにしました。
- sukeken
- ベストアンサー率21% (1454/6647)
こんにちは。 その程度の付き合いなのでしょう。 >AがBを嫌いになったために態度にでる場合でも、最初はBのそうした長所をみたからこそ仲良くなったわけです。 そして、自分にとって都合が悪いような関係になってきているのでしょう。 ありますよね。妬みとか、嫉妬とか。 こういうのって、どこにでも日常茶飯事でありますよ。 自分にとって、こいつは有用か。 まぁ、そんなところでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分にとって都合が悪いような関係 利害関係者ではないのですが、自分の思ったとおりの人ではなかったということでしょうかね。そこには支配欲があるのでしょう。 >妬みとか、嫉妬 があれば、たくさんの長所を挙げて手放しで褒めるということはないと思いますが、Bさんは御せない相手と思って逆に反発心が生じてきたということも考えられますね。
お礼
答えを見つけました。 「脱価値化」です。
補足
ご回答ありがとうございます。 >褒められることは正解で否定されることは相手の異常という認識をだしているのを気が付かない可能性があり,自己批判能力に疑問有り。 「褒められることは正解で否定されることは相手の異常」とは思ってません。質問はあくまでも「異常な性格」ではなく「異常な態度」のことです。 原因がわかればよいのです。 むしろご縁があった方ですので異常な性格だったら嫌だなと。 一点わからないのが >「まだ知り合ったばかりの人が(Aさん)がBさんを手放しで褒めてきた。Aさんを洞察力があると思った。」Bさんの人を見る目がこの時点で曇ってしまった。 ということですが、なぜ「曇っている」のでしょう? Bさんが洞察力のある人という私の判断は、その時点でのBさんの客観的視点その内容があたっているからです。 私が自分に対する認識を変えない限りAに対するこちらの認識も正しいことになります。 ご回答者さんは私についてもAについても知らないわけですので、なぜAの分析すなわち私の分析が「曇っている」といえるのでしょうか? では、これがAさんについてではなく、たとえば共通の知り合いのCさんについてのことでしたらどうでしょうか。私が思うCさんの長所または短所に対してBさんの意見が共通している場合でも私はAに対し「洞察力がある」と判断するのは変わりません。 よってAまたはBの洞察力についての認識を覆さない限り、双方の考え自体を第三者は批判できません。 >Aさんがこの件に関して言えば異常なのではなくてBさんが思い込んでいる部分があるとうパターンに分類されるひとなのでは? 他の方のお礼にも述べてますが、私もバイアスもかかっていた可能性があるわけですから >自己批判能力に疑問有り ということにはなりません。嫌になるくらい自分に厳しすぎるほうですから。 >占い師などにBさんが自分の性格を見てもらえば,Aと同じ事をいって当たるのではないでしょうか? ですからそれは私が思う私のことです。自惚れているのではありません(自惚れが悪いことなら自己分析自体できやしない)。もしその占い師が私にとって都合いい事しか言わなければ逆に信用しません。 Aが異常であるかどうかはどうでもよいのです。 かなり振り回されたので感情的には異常としてます。 むしろこういう人は珍しいのでこの質問をしたのですがなぜ私の分析を? 私が誰かに手放しで褒められるのがそんなにいやですか?(笑)