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人を殺してはいけない理由を教えてください
人を殺してはいけない理由を教えてください
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- TTougarashi
- ベストアンサー率0% (0/0)
社会は人と人の信頼で成り立っている、という前提において 「自分らが安全であるために『自分は他を侵さない』し、 『他人も自分と同様である』ことを信じる」 ということが社会をなりたたせているのでそれをぶっ壊しちゃうのは 『自分が侵される可能性がある』ということにつながるので 自分"たち"が侵される可能性を生むものをタブー視し牽制するからではないでしょうか それと人間、あえてホモサピエンスと書きますが彼らはもとより共同体をつくり協力して生きる種族なので 害を"自分に"与えない仲間を殺すことっていうのは自分たちが生き延びるための狩りの手勢が減ってしまうわけで、 その名残というかホモサピエンスならではの性質的に「ひとを殺す」ことはやっちゃいけないことになるのではないでしょうか あんまし、正しい!っていう 自信はないんですけど、私はこう思います。
- thinkdeep
- ベストアンサー率63% (7/11)
もしあなたがわたしを殺す権利があるなら、 あなたは地球上の人間全部から殺される 義務が発生しますよ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
腹が減ったから人を殺して喰いたいと考えるならば、殺人の正当性は社会は理解するでしょう。 社会生活で人を殺す意義はそれくらいです。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
理由はこれだけ。 「社会とはお互いに共生するための体制です」 他の回答社さんもあなたと似たり寄ったりですよ。 質問者さんは素直だ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
哲学趣味のものです。 まづ、社会とはお互いに共生するための体制ですから、社会にこのような質問を投げかけた場合、だれもが否定的傾向の意見を述べるでしょう。 他人を殺すだけでなく、あなたが殺人を肯定するなら、共生する意図のないあなたを、社会は処刑しますよ。 社会的地位で締めあげて貧乏にしたり、人格に関して阻害したりです。 そしてますます人が殺したくなるというのが、転落パターンで多いです。 ただ、根幹を突き詰めて納得しようとするあなたは、なぜ社会を恨むのかわからない不満だらけの人より正直ですから、さらに探求を進めてください。
- hekiyu2
- ベストアンサー率35% (271/774)
理論的な説明は困難です。 ウイトゲンシュタインも、無理、と 言っています。 これはルールです。 それ以外に理由はありません。 人を殺して良い、となったら北斗の拳の世界に なるから、なんてのは理論的説明にはなって いません。 ルールなのです。 野球で、三振でアウト、というルールに理論的理由、なんて 無いのと同じです。 人間は独りでは非力ですが、集団になると神も驚く 力を発揮します。 人間は、この力により、食物連鎖の頂点に立つことが できました。 そうした集団を構築するためには、ルールが必要です。 人を殺すな、というのもそうしたルールの一つです。
- SPROCKETER
- ベストアンサー率26% (2125/7984)
日本は法治国家なので、法律で殺人を処罰するので、違法行為としての殺人は禁止されています。戦場のように、法律が適用されない場所では、殺人を否定しても、法律の適用が無いので安全を保てません。そういう場所では、自分の身を守る為には、武器を取って戦う以外に方法が無いからです。 法解釈以外の理由もあります。 殺人を犯した人は、精神的に苦しむ結果になります。PTSDなどの後遺症を発症して、不眠、幻聴、幻覚などに悩まされます。精神病にかかりたくなければ、殺人を犯すのはやめた方が良いでしょう。善人であるほど、殺人を犯すと重症の後遺症が残ります。 人間関係の問題もあります。 殺人事件を犯した人は社会的な信頼関係を保つのが難しくなります。知人や友人を失う結果になります。親子関係や親戚関係も疎遠になる事があります。孤立したくなければ、殺人事件を起こすのはやめた方が良いでしょうね。
- tarutosan
- ベストアンサー率23% (1528/6449)
他人のことを決めたらいけないからです。 質問者さんだって、赤の他人からいきなり「今日はこうしろ」「死ぬのは明日ね」と言われたら「はい、わかりました」とは言いませんよね?
- GoGoTigers
- ベストアンサー率67% (372/552)
人間は社会生活を営むことで、現在のように種として繁栄するようになりました。ホモ・サピエンスは大規模な(数百人から数千人規模)の社会生活を営むようになったから栄え、ホモ・サピエンスより体も大きく頑丈で、腕っぷしも強く、しかも脳が大きく芸術性(=抽象的な思索ができる高度な脳の働き)も持っていたネアンデルタール人が絶滅したのは、ネアンデルタール人がせいぜい十数人が共に暮す程度で、大きな集団での社会生活をしなかったからだと言われています。(NHK特番の受け売りです(^_^;)) ある程度の規模を越える集団で社会生活を円滑に効率的に営むには、分業しての相互依存による全体効率化、貨幣という共通のものさしでのモノ・サービスの交換の円滑化(貨幣経済)というものが必要になります。 それを実現するためには、少なくともその集団のなかではみだりに殺されることなく、安全に生存できるという確信を集団の構成員が持てるようにする必要があります。その集団に居てはいつ殺されるかわからないとなれば、突然殺されるリスクを負うよりも、一人ないし家族だけで生きていこうということになってしまいます。だから、同じ集団の構成員同志では殺し合ってはいけないという根源的なルールができました。 仮に、今の日本で「人を殺してよい」ということになったら、極端な話どんな社会になるか想像してみれば、すぐご理解いただけると思います。 学校で、他のクラスより平均点の悪いクラスの担任の先生は出来の悪い生徒を皆殺しにして、平均点をあげようとします。生徒は殺されてはたまらないから、先生を先に殺してしまいます、「先生じゃない、先死だぁ」とか叫びながら。学校はあっという間に誰も寄り付かない廃墟になります。 コンビニで金を払いたくない客が店員を殺して、品物を持ち去ります。コンビニは店員のなり手がなくなり、店を続けることができません。スーパーも百貨店も専門店も同じで、みな営業を続けることができなくなります。消費者はお金を出してお店でものを買うという当たり前の経済行為ができなくなります。 会社でも、上司は自分の部の成績を上げるために、売上が上がらない部下を殺して経費削減を図り、部下はいやな上司やクレームの多い取引先を殺してしまいます。銀行では、他の行員を皆殺しにして、行員が行内の現金を全部持ち去る事象が頻発して、金融機関は麻痺します。企業の正常な経済活動はできなくなります。 病院で研究熱心な医師がまだ安全性が確認されていない新薬を患者に投与して殺したり、趣味で毒薬を投与して患者の悶え死ぬ姿をみて喜んだり、手術でまだ確立されてない術式を試して、モルモット代わりに患者を殺したりします。 人を殺していいのですから、人の健康を守るための安全衛生基準なども全部守られなくなります。店で買った食べ物には何が入っているか分からないので、怖くて食べられません。人を殺していいのですから、食べ物に毒を入れても全然構いません。 車の運転でも、横断歩道を渡る歩行者など邪魔になったら、どんどん跳ね飛ばしていきます。人を殺しても構わないのですから、怪我をさせるくらい平気です。 現在の法律や規則はその多くが「人を殺してはいけない」というルールが基礎になっています。いのちを守る、健康を守る、安全を守る、そういう目的の法律や規則、規制が山のようにありますが、人を殺していいのであれば、それら無数の法律や規制は全部意味がなくなります。ものすごいカオスの世界になります。 そんなとんでもない世界では、人はみな、他人を誰も信用できず、誰にも頼ることができない絶対孤独状態に陥り、いつ突然殺されるかわからない不条理な恐怖に怯えながら、引きこもって原始時代のように完全自給自足の孤独な世界に生きていくしかなくなります。大多数の人は、自給自足のスキルなど持ち合わせるはずもなく、餓死するか、耐えられずに自死を選ぶか、やぶれかぶれで他人の食糧を奪おうとして、殺されるでしょう。 人間は、集団での社会生活を円滑に営むために、その最も根源的なルール、最低限のルールとして、「人を殺してはいけない」ということを決めました。それで、現在の種としての繁栄を勝ち取ることができました。 ネアンデルタール人の遺跡を発掘して、骨からDNAを調べると、ひとつの集団は血縁関係のある者ばかりで構成されていたそうです。ネアンデルタール人は「人を殺してもよい」というルールの集団だったのではないでしょうか。だから、親子グループ程度の小さな集団しかつくれず、原始時代の自給自足経済から次の段階に発展することなく、絶滅してしまいました。 一方、ホモ・サピエンスはより規模の大きな集団=社会をつくることで、発展を遂げてきました。より規模の大きな集団、社会で共同生活を営むための一番大元のルールが、「人を殺してはいけない」=「同じ社会の構成員同志は殺し合わない」なのです。 だから、同じ社会(ムラとかクニ)の構成員ではないよそ者(他のムラ、他のクニ)は殺してもよいのです。21世紀の現代でも大量殺人行為である戦争がなくならないのはそのためです。「社会的分業による効率的共同生活ができる規模をもった社会のなか」では人は殺してはいけないが、よその社会が滅びても自分たちは自分たちの社会の中で自活していけるので、よその社会の構成員は殺してしまってよいのです。 第二次世界大戦以降、局地的な戦争は頻発するものの世界大戦と呼ばれる規模の戦争が起きていないのは、別に人間が進歩して平和主義に目覚めたわけではなく、世界のなかで主要国を中心に国境を越えた経済的な相互依存が強まって、ひとつの社会として機能せざるを得ない要素が増えているからです。今、局地的な戦争が起きているのが、世界規模の経済的相互依存のフレームから抜け落ちたような場所に多いのも、同じ理由からです。
- gongorogon
- ベストアンサー率16% (706/4250)
人を殺してはいけない社会になったからでしょう。 いくら凶悪犯といえども簡単には死刑にならないし、あなたもいきなり訳もなく殺されたくないでしょう?。
補足
もし私があなたを殺す義務があれば私は誰からも殺されないという事ですか?