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人を殺してはいけない理由を教えてください
人を殺してはいけない理由を教えてください
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- SAKUiro
- ベストアンサー率16% (65/397)
人を殺してはいけないという法律がなかった場合、メリットはなんですか?教えてほしいです。平和が好きではないのでしょうか。よくわかりません。
殺しても良かったら、とても凄惨な殺しをする人に、 自分が殺されるかもしれません。 貴方も拷問されながら死にたくはないですよね? そういった人たちの創意で、殺しては行けないという ルールが作られました。 まぁルール(法律)を破りすぎると今度は自分が殺されますけど、 そこはまぁルールに力を持たせるために仕方ありません。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
倫理とか、法或いは社会の秩序とはその社会と国家の維持継続とそんぞくのための原理でしょうね。 人間同士、近親者の間についてもそうなのでしょうね。 そういう原理、してはならないということが感情にまでなっているのが歴史でしょう。 そして動物でも仲間同士は理由なく殺し合いはしない。 そういう禁止の原理の上の主張が殺人をしてはならないという理由でしょう。 宗教的な当為の原理は別でしょう。してはならないから、してはならない。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
そういう理由はないのでは。戦争では人を殺すことが奨励される。しかしこのときでも味方は殺さないことになっている。誰かにとっての損得の打算で、いくらでも原則が変えられるものなのでは。戦争でなくてもちょっと権力を持てば容易に殺人は行われる。もっともリストラだって殺人の一種です。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
生き物の「生きよう」とする本能に起因します。 人間の場合「自分は生きたい」。 そして「相手も生きたい(筈だ)」という前提に立ちます。 だったら「互いに殺さなければ互いに生きられる」という論理が成り立ちます。 その論理が通用する世界で「殺してはいけない」という決まり事が成立します。 昔も今も、その論理が通用しない世界は存在してます。 その代表的な例は命の取り合いで紛争を解決しようとする社会です。 例えば反社会集団とか戦争当事国などです。 (テロ国家「IS」などが端的な例です。) そのような社会では質問が前提から崩れてしまい、無意味で成立しないものとなります。
- skp026
- ベストアンサー率45% (1010/2238)
それをひとことで言うなら、「人間が生きるため」です。 人間は他の動物よりも、同族同士のつながりを強化することで、 過酷な氷河期を乗り越え、今日の発展を迎えました。 その同族同士のつながりを、信頼という言葉にできると思います。 中華の国など、「信用するほうが悪い」「騙されるほうが悪い」 という地域も無くはないですが、殺人は取り締まりますよね。 つまり殺人が許されると、人間同士のつながりが失われ、 今まで発展してきたもの全てが維持できなくなるからです。 お金借りても殺せばちゃらになる、なんてことが出来てしまったら、 維持できなくなることはイメージできると思います。 電気水道ガス通信クレジットカードなど、 利用したあとで支払うものも、ある意味お金を借りているのと 似た状況です。 また、保険のようなものも殺人が許されると、なりたたなくなります。 石器時代だとしても規模は違うだけで、同様だったはずです。 このように人間の社会は、殺人が許されると維持できなくなる仕組みの上で 成り立っているので、それが許されることは無いでしょう。 ※ 殺人が許されないことと理解できない人は、 なんらかの問題をかかえている可能性があります。 理解力読解力が無いといった場合と、 大切な人や物を感じることができない場合です。 生まれつきの場合が多いですが、生後でもそのように 変化することもあるようです。 しかし、そんな人でもほとんどは、理解力読解力を 向上する努力をしたり、頭の中で「これは大切なもの」 「大切なものへの対応方法は、こう」と試行錯誤して 社会に適応しています。 殺人が許されないものと、理解できなくても、 社会適応は工夫次第で可能です。 うまく適応できれば、幸せになれます。 参考にならなかったらごめんなさい。
- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (295/2109)
殺したい人のために死んでくれる人がいないからです。殴られる位は、審判員でも出来ますが。(いや皮肉ではなく)
- mitoneko
- ベストアンサー率58% (469/798)
生き物としての本能として、長く生き延びたいから。というのが、根源ではないですか? ルールとして、人を殺してはいけないと決まっていない頃というのもあったと思いますが(それは随分昔に)、その頃は、実力で「自分を殺すことはまかり成らん」と言ったわけですよね。ようするに、返り討ちにすると。 人が人を支配して人を動かせるようになると、その権力を持った人が考えるのは、やっぱり、「自分を殺すことはまかり成らん。」ですよねぇ。そして、自分を守ってくれる兵も殺してはならんとなる。(兵を殺されたら、自分の守りが減りますからね。) 支配下にある人が増えれば増えるほど、いろいろと自分が豊かになっていくことに気がつくと、当然そこから産まれるのは、支配下にある人間同士で殺し合いをしてはならない・・・となるでしょう。(勝手に殺し合いされたら、支配下の人間の数が減り、自分の豊かさが減ります。) この時点で、お国のルールとして、殺人が罪になったことになりますね。 人を殺していけない・・・の正に反対が、戦前の「産めよ増やせよ」とか、明治の「富国強兵」でしょう。 または、「数は力なり」ともいえますか。数を揃えるためには、数の間で殺し合いして数を減らされては困るわけです。(「困るのはだれか?」と「力とは何か?」の答えによって、時代背景と政治形態が決まりますね。)
- marukajiri
- ベストアンサー率45% (504/1101)
自分がされて嫌なことは、他人に対してするべきではないのではありませんか?また、人間として相手を尊重し、法律などの社会のルールを守ることで、地域社会や国に暮らす国民が、それなりの人生を歩んでいけるのではありませんか? もしも、好きな時に好きなように誰でも殺していいというのであれば、自分の命はいつ誰に狙われるかもわからないので、まともな生活ができなくなり、弱肉強食の世界が続いていくことになるでしょう。そして、それが愚かしいことだと悟った時、人は人権というものや法というものにより、お互いの身の安全をはかるようになり、人を殺してはいけないという考え方をするようになるはずです。そしてそれは人類が過去から現在に至る過程で、現実社会に顕現してきた歴史でもあります。 また、極端な話ですが、全世界が人を殺すことが善であり、推奨されることであり、自殺する人こそ天国に行けると人類すべてが騙されて洗脳された場合、人類は自殺により滅び去るので、さすがにこれはまずいでしょう。人類すべてが自殺した場合、みんな一緒に地獄の底で苦しみ抜くことになるのですから。 人は放っておいても寿命がありますので、勝手に死んでいきます。そしてここからは科学が解き明かしていないので、あなたは信じないかもしれませんが、人を殺すと、殺した人も殺された人も、死んでから苦しみ続けることになるのです。これがいわゆる因果律というもので、生命の法則であり、宇宙の真理なのです。人を呪わば穴二つということわざもありますが、これは人間の経験からきており、因果律や生命の法則にも当てはまるものなのです。 ざっくり言うと、人を殺すと、いろいろ都合が悪いことが起きるので、人を殺してはいけないのです。つまり、現実世界では人殺しは罪として罰せられるし、死んでからも自分のやったことは魂に刻まれているので、因果律により人殺しの責任を取らなければならず、苦しみ抜くことになるからです。
- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8741/19839)
「人を殺しても良い」となると「自分が他人に殺される確率が上がるから」です。 時雨沢恵一さんの小説「キノの旅」の5巻2話「人を殺すことができる国」を読んでみて下さい。