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仁徳天皇陵
もし、宮内庁許可が降りて調査されたら、古代史は変わって来ると思いますか?
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>宮内庁許可が降りて調査されたら、古代史は変わって来ると思いますか? 他にも回答がありますが、「確実に変わる」でしようね。 昭和時代の教科書は、「仁徳天皇陵」となっています。 が、現在では「大仙陵古墳」若しくは「伝仁徳天皇陵」と記載しています。 そもそも、この古墳が仁徳天皇陵という証拠は何もありません。 明治政府が「天皇制の正当性」を求めて「古文書記載の地域推定」から決めたに過ぎません。 大仙陵古墳は、安土桃山時代には「堺代官所の接待所」として丘陵上部に館を設けていました。 江戸時代でも同様で、代官所が接待所として用いて「花見」の記録が残っています。 ※明治政府が天皇陵に指定するまでは、近隣農家は「古墳の堀の水を、農業用水」として利用していました。 アメリカの博物館に「大仙陵古墳出土品」を、展示していますよね。 この出土品を見る限り、当時の強力な力を持った王・首長の墓です。 宮内庁も、誰の墓か分からない陵を管理するよりも「確実に調査」した方が良いのですがね。^^; 余談ですが・・・。 神武天皇陵が完成したのは、幕末です。 それまでは、小さな石柱が数本立っているだけの小さな墳墓(5メートル四方)でした。 が、幕末の動乱期。「我が藩は、親王派だ」として、大々的に改修。 今に残る立派な「前方後円墳」になったとさ。^^; ある有名神社所蔵の古文書では、神武天皇(神武東征)に滅ぼされたヤマト首長の墓との事です。 ※「東征」との事ですから、ヤマト地方に既に強力な国・首長が存在していた事は明らかですね。
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- mudpuppet
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定説が覆るためには決定的な要素を満たす必要があります。 しかし現在ではその条件を満たしていません。 従って仮に調査が許可されてもしばらく古代史は変わらないと思います。 新しい発見は既存の理論の中で説明されてしまうでしょう。 そして新しい学説を唱える学者は学界からはじき出されて終了。 これが学問の世界というものです。
- あずき なな(@azuki-7)
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でしょうね 大仙古墳を仁徳天皇の墓だと言ってるのは宮内庁ですから もしかしたら天皇と全く関係ない別の人の墓って可能性だってある
お礼
確実に調査して古代史をはっきりして欲しいです。
- eroero4649
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今は「仁徳天皇陵」ではなく「大仙陵古墳」というのが正式名称だそうですからね。学校の教科書にももう「仁徳天皇陵」とは書いていないようです。 最大の前方後円墳ですが、盗掘もされており、調査されたからといって画期的な発見に至る可能性は低いと思います。もちろん、とんでもないものが出てくる可能性だってゼロではないですけどね。 それよりも、奈良県にある「箸墓古墳」のほうが古代史を書き換える新発見に繋がる可能性があると思いますよ。一説には「卑弥呼の墓ではないか」ともいわれています。もしこれが本当に卑弥呼の墓であったなら、長年の邪馬台国どこだ問題に決着がつくことになります。
お礼
確かに邪馬台国も気になってます。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (7027/20698)
誰のものなかはwikiにも記述がありますが特定はできていないようです。 履中天皇 仁徳天皇 反正天皇 この三人のどれかでしょう。
お礼
ありがとうございます
- hoophen
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やってみないと分かりません。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (7027/20698)
すでに盗掘されてからっぽなので 新しい資料になるようなものは出てこない。 濠をさらってみれば 庶民の捨てたゴミが堆積していて 庶民の暮らしがわかるかもしれません。
お礼
庶民の暮らしがわかるのですね。結局、墓の主は誰だったのですか?
お礼
確実に調査して古代史をはっきりして欲しいです。