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「ヒルベルトの23の問題」はいつ頃広まったのか

ダフィット・ヒルベルトの提唱した「ヒルベルトの23の問題」について、ウィキペディアには、 「1900年8月8日に、パリで開催されていた第2回国際数学者会議 (ICM) のヒルベルトの公演で、23題の内10題(問題1, 2, 6, 7, 8, 13, 16, 19, 21, 22)が公表され、残りは後に出版されたヒルベルトの著作で発表された」 と書いてあり、1902年頃に23個の問題が出そろったようですが、 その1902年の時点で、「ヒルベルトの23の問題」とはっきり数学者たちの間で広く知られたのでしょうか。 「ヒルベルトの23の問題」とはっきり世界の数学者たちの間で広く知られるようになったのはいつ頃でしょうか。 西暦何年でしょうか。

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回答No.1

「1902年に23個の問題が出そろった」というのは [1] Hilbert, D. "Mathematical problems" Bull. Amer. Math. Soc. 8 (1902), 437–479. https://doi.org/10.1090/S0002-9904-1902-00923-3 のことですかね。ウィキペディアの脚注を注意深く見れば気がつきますが、最初のページにある脚注にあるようにコレは英訳にすぎないので、問題のリストが出版されたのはもっと前でしょう。実際 [2] Hazewinkel, M. "Hilbert problems" Encyclopedia of Mathematics. http://www.encyclopediaofmath.org/index.php?title=Hilbert_problems を見ると1900年にはすでにドイツ語で出版されています。原文は [3] Hilbert, D. "Mathematische Probleme" Nachr. K. Ges. Wiss. Göttingen, Math.-Phys. Klasse (Göttinger Nachrichten) , 3 (1900) 253–297 https://eudml.org/doc/58479 から見れます。(またリード女史による伝記『ヒルベルト』の158ページ前後にも当時の様子が書かれています。) 数学者の反応については [4] Curbera, G. "Mathematicians of the World, Unite!: The International Congress of Mathematicians—A Human Endeavor" CRC Press, 2009. https://books.google.co.jp/books?id=9uDqBgAAQBAJ&pg=PA21 に少し書いてありますが、ハッキリしたことはわかりません。そもそも何かを示すことで明確に西暦何年と回答できるような質問ではないと思います。

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