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ウィルソンの民族自決
パリ講和会議においてアメリカ大統領ウィルソンは平和のための14か条を提唱しますが、第一次世界大戦中において、ウィルソンはすでに民族自決を軸にした14箇条を1918年1月に発表しています。これってソ連に対抗するためなんでしょうか?なぜ、いきなり民族自決を提唱するのか、ウィルソン(アメリカ)の外交の意図とはいったい何なのでしょうか?
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これは枢軸国側であるオーストリア・ハンガリー帝国とオスマン・トルコ帝国の支配下にある民族に向けて出されたもので、これらの国の内部崩壊を進めようという意図がありました。 早い話が「ヨーロッパの中では民族自決を認めよう」というもので、アジア・アフリカ諸国のことは全く考慮に入れられていませんでした。その証拠に、パリ講和会議で「人種差別撤廃」を盛り込んだ日本案は、圧倒的多数に支持されましたが、「全会一致ではない」という勝手極まりない論理で、当のウィルソン自身によって却下されています(昔からアメリカという国は横暴な論理をゴリ押しする国ですな)。 まあ、ソ連邦についても意識されたとは思いますが、当時はさほど「共産主義の脅威」は意識されていなかったのではないでしょうか?