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エピクロスという無神論者の言葉を考えていくと、引っかかります・・・
エピクロスという無神論者の言葉を考えていくと、引っかかります・・・ エピクロス(Epicurus) 「もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。力はあるが意思が無いなら邪神である。力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう」 と言う言葉があります。 これを友達に説明しようと思ったのですが、最後の最後で引っかかってしまいます。 神=全能 ・・・(1) 神=悪を求めていないもの ・・・(2) と一般的な言われを定義した上で、 神が悪を妨げられない(犯罪等の悪事を神の力で止められない)≠全能 ・・・(3) (1)より全能=神なので、 神≠神が悪を妨げられない=全能ではない となり(1)に反する。 さらに、 神には力があるが悪事を止めないとすると 神=悪を求めていないことはない ・・・(4) と言える。 これは定義(2)に反する。 ここで(1)(2)の前提を正しいとするなら、悪はないものと考えられる。 しかし、現実に悪は存在する。 逆に 神=全能ではない ・・・(5) 神=悪を求めている ・・・(6) とするなら、人が崇めている神は本当に神か? ここまでが言葉の中にある内容であり、理解できます。 ですが足りてないと思い、追加してみました。 神の認識=現実に悪など存在しない ・・・(7) 神が人間は善悪の区別を持つように創られた ・・・(8) っていうのから考えると、 現実に悪が存在しない以上(2)には反しない。 それゆえ、神=全能であるという(1)が否定ができない。 上の5行だけでは定理を否定できていないので矛盾があるように思えます。 この言葉自体は神の存在を否定するものではないですが、本当にそれは神か?というものですが、 「力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。」に答えを与えたところでこの文章に対して矛盾が発生する原因にはなりえないと思います。 だれか詳しい人教えてください。 また他に神がいないと証明できる人がいれば、お願いします。
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- Alkindus
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神がいればもう少しマシ。
こんにちは。 神、というのは人間が生み出した観念的な「意味」です。 救世主のように実在する人間の超人的な属性を神の一部と 看做すかどうかは宗教論なので言及しませんが、 神の存在の有無はそのまま、「命の本質」と同義語です。 目前に無数に存在するにも関わらず、その仕組みや 働きしか判らず、本質的に命とは何なのかは現代の科学を 持ってしてもまだまだ謎です。 だから、この設問は ●神は~である。 (例:人格を持ち、人の姿を取り、非現実的な能力を持つ、 つまり超人である) ●善とは~である。(例:~に益を与えるものである) ●悪とは~である。(例:~に害を与えるものである) ●意志とは~である。(例:人格を持つ存在の行動の動機である) ●全能とは~である。(例:不可能は無い、つまり全ての願望を遍く持つ、 言い換えれば、単体の存在ではなく無数に存在する) などなどかなり言葉の意味や範囲を限定しない限り堂々巡りになります。 戦争や疫病、暴力、理不尽など様々なこの世の生老病苦に対しての 救済を求める対象としての神なら、例えばいじめに苦しむ子供達に 取って、「神」を「先生」に置き換えて同様の設問を書いても 本質的に疑問や不透明さなど本質的に何も変わらないことに 思い至って頂けるものと思います。 また、死、と言うものに対しての根源的な畏怖、すなわち 自分の存在の意味を保障する絶対的背景としての神を論ずると 全ての命を救い、全能で、と考える限り、全てを包まなければ ならないために神は空間的にも時間的にも無限に巨大化して しまい、相対的に救いを求める人間は小さい小さい点に 縮んで行き、無に向かって圧縮されていきます。 この根本的な矛盾から逃れるために、神は無数に存在する、 という神を言わば粒子化し、普遍化する考え方が現れて 来ますが、今度はそのために我々命は全て神を内包する、 という、結局誰が我々を救うのか、についてスタート地点に 戻ってしまうパラドックスに陥ります。 設問をクリアするために、思考が破綻せずに整合性を 保とうとすれば、必然的に「我々の神」という極めて 限定的な神の模倣とでも言うべきものを立てねばならず、 これを偶像崇拝と断じて禁じる動きもご存知の通りです。 神という観念は、言ってみればメビウスの輪や クラインの壷のようなものかもしれません。
お礼
重要なのは定義の範囲ですね。 1<x≦5のような。 いくらでも意味が取れてしまうってのは、議論の幅が広いってだけでなく 堂々巡りの意味が無い論議・・・。 ただ、その多様性や普遍性が魔術的な分野で使われていると言うのを考えると われわれの神と言う限定的な論議等が禁止されている理由もわかる気がしますね。 最後のたとえはわかりやすいものでした。 回答ありがとうございました。
- zakire
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7)の定義を採用するならば、ここに掲げられた論議がほとんど意味をなさなくなる気がしますが。 そうなると、神の全能について検証する手段も失われてしまいます。意図するところを実行する能力をもって全能とするのは間違っていないと思うのですが、その意図をはかる基準が不明であれば何が神の意志によって行われたものであるのか知ることは不可能だろうと思います。 全能の神の存在が前提にあり、なおかつ善悪というものが客観的に判断できると考えた場合にのみこうした議論は意味を持つのです。前提を覆すような条件を差し挟んだら議論するべき対象がなくなってしまいます。 まあ、実際にはよく使うんですけどね。雲行きが怪しくなってきたら、前提をひっくり返してそれまでの議論をうやむやにして白紙に戻したり。ぶっちゃけ反則なんですが、相手が気付かなければそれはそれで通ったりします。原理・原則はしっかり頭の隅に置いておくのがいいですよ。
お礼
たしかに、私自身が討論の際気に食わない方向へ回答がいきかけた場合などに こっそり使っている方法がこういった方法な気がしてきました。 確かに気づかれなければ勝ち!となるんですが自分自身が気づいていないと救いようが無いですね~。 確かに前提を覆す定義を持ち込んでいると思います。 回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 私はこれで十分とまではいいませんが、世の中を悲観的に見ていないので ちょっと考え方が違うようですね。 ただ、そういう考え方の人が多いのも事実。 神がいればマシになるでなく、神がマシにしてくれた世の中がこれと考えれば あとは自分で何とかするしかないと思いますよ! ありがとうございました。