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否定文はだめ肯定文で書けと文章本。とらわれて困る。
否定文はだめ、肯定文で書こうと、文章本で学びました。 でも、肯定文だとなんか受け取る感じがふんわりしすぎるなぁと思うことが、 しばしばあります。 否定文の方が強く感じ、言いたいことがばしっと伝わる気がするけど、ということが多いです。 否定文は使わず肯定文でとなると、言葉をひねり出すのに苦労します。 否定文って、そんなに分かりにくい文章なのでしょうか? 絶対にやめた方がいいのでしょうか? 上手な否定文の使い方って存在しないのでしょうか? 何でも良いので、色々教えてください。
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文章読本の類いはけっこう読んできました。 「否定文はだめ、肯定文で書こう」ということを書いている文章読本も何冊か記憶にあります。実用本系の文章読本でよく目にします。 結論から書きましょう(これも文章読本の定番の心得)。 これは構成に関する心得ですよね。文章・文脈しだいです。ウノミにしてはいけません。 いま書いた「ウノミにしてはいけません」は否定文ですよね。こういう禁じ手を示す話なら、否定文で書くほうがインパクトがあるはずです。無理に肯定文にする必要などありません。 もっと微妙なことを書きましょうか。 「こういう心得をウノミにしてはダメです」 内容的には否定文ですが、形式としては肯定文です。「肯定文で書こう」と主張するセンセーはこういうときにはどう考えるのでしょうね。当方には見当もつきません(笑)。 文章読本がもっと目のカタキにしている文型が「二重否定」です。 こちらは「一理なくはありません」……二重否定がダメなら、これもダメなんでしょうね。 こちらは「一理あります」と書くべきなのでしょうか。これも文章・文脈自体です。 「一理あります」と「一理なくはありません」ではかなりニュアンスがかわります。それでも、なんでもかんでも「一理あります」にしなければならないのでしょうか。まぁ、二重否定がもたついた文になりがちなのはたしかですが。 文章読本に書かれている心得は、たいていいい加減です。あまりこだわらないほうがよいでしょう。 たとえば冒頭に書いた「結論から書け」は文章読本の定番の心得です。 一方「起承転結で書け」も文章読本の定番の心得です。 完全に矛盾していると思いませんか。 文章読本に出てくる心得は「そのとおり」と思えるものだけ信用すればいいのです。少しでもヘンだと思ったら、信用しない法が無難です。 文章の構成に関して詳しくは下記をご参照ください。 【伝言板2 第1章-5 「ウマい文章」の正体――「主題」「構成」「表現」の3つに分けて考えてみる】 http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1328.html
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- g27xxxxx
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何でも否定形で育てられたのかな? 「アレはダメ!コレもダメ!」というふうに…。 親が使わない表現法というのは、身につけるのが難しいものです。 単に「ダメ」とか否定されても、 「だったら、どうすれば?」となり、 つぎの理解に進むことはできません。 あまり否定され続けると、試行錯誤さえできなくなり、 次の答も探せなくなって、それ以上次に進むことができなくなり、そこで人としての進歩は止まります。 否定せずに、「こうすれば、次にどうなる」という指針を与えれば、 次にそれを試してみる気になれます。 それが次の一歩に繋がります。 その経験の積み重ねが、人を進歩させます。 文章についても同様のことが言えます。 否定しない⇒全肯定する…という事ではなく、 否定しないことで、肯定的な答も有るという方向に導く…という考え方をしてみてください。 …否定も完全否定ではなく、 否定的な見方を示すことで肯定的な答も別に有ることを示す、…という手法も考えてみてください。
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どうして私の育てられ方が分かったのですか? 何でもダメでした。 服もおもちゃは1度も買ってもらったことがありません。 服はおさがりか、叔母さんが買ってくれるかでした。 すぐには考えられないので、じっくり考えてみます。 ご丁寧にありがとうございました。 とても勉強になりました。
http://www2.nissan.co.jp/WINGROAD/?rstid=20140314rst000000137_d2 「乗る人の好奇心や探求心を止めることなく、その想いを加速させるウイングロード。」 なんで「乗る人の好奇心や探求心を加速する」ではないのか。こんな否定から入られては、おまえ何か心配事でもあるんかよと聞きたくなります。飛行機に乗った途端に「今日も墜落することなく安全な空の旅を」なんて言われたら感じ悪いでしょう。 「出席してるフリがうまかろうが、ネットの友達千人いようが、ここでは誰にも尊敬されない。」 ある大学の電車のつり広告ですが、この時乗り合わせた高校生の会話を聞いて吹き出してしまった。 A:「『出席してるフリがうまかろうが、ネットの友達千人いようが、ここでは誰にも尊敬されない。』って意味が分かんねえ。」 B:「誰からも尊敬されないってことじゃないの?」 今、検索したところやはりネット上で話題になっていた。 「いいクルマが好きだ。男ですから。もともとアクセルをふかすような運転はしないのだが、ECONスイッチで、燃費は確かに良くなった。あなたもまだまだね、と妻が笑う。」 2009年のオデッセイの電車のつり広告です。書き手の心の空回りをそのまま投げ寄こされた感じです。 http://www.honda.co.jp/movie/201301/corporate/ 「でもそれはゴールじゃない。それがすべてじゃない」 なぜ暗い話から始める必要があるのか。なんで否定から始まるのか、と言われて当然です。言葉とは事実を伝えることには意味がなく、聞き手の心を掴まえて語り手の意図した方向に動かすという目的があります。言葉の効果を充分に練りこめば自然と肯定形になるはずです。あれはイヤだこれもイヤだではなにが欲しいか絶対言わない幼児のようなものです。
お礼
ご丁寧にリンクをありがとうございます。 真逆を考えると、魅力ある文章に思えてしまいました。 私は馬鹿なのかもしれません。
- Dr_Hyper
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その著者の真意はわかりませんが,文章の中の否定文を,うどんやそばでたとえれば,七味唐辛子として考えなさいと言うことだと思います。 うどんや,そばはやさしく美味しく食べていて楽しくなるような食べ物ですが,時にぴりっとしたほうがメリハリが利いてさらに良いのですが,それが最初から最後まで七味だらけだと,味覚異常者以外は食べられませんし,逆に一切入れなければやさしく美味しいですが,すこし物足りません。 会話でもそうですが,何もトレーニングや指導を受けないと,言語は否定的な言葉を積極的に使おうとしてしまいます。 特に意見を述べるときに,強く言いたくなると否定的な立場を取りたくなります。 そうではなくて,多くの意見を肯定して自分の説がいかに正しいかを建設的に持っていくのですが,最後に,こうしてはダメになってしまう。とひとこと否定をすることで,さらに自分の説を信憑性をあげます。 実際あなたが読まれた本も,否定文はだめ。と否定はしていますよね? 否定文をスパイスにするという意味で捉えてみてはどうでしょうか?
お礼
ご丁寧にありがとうございます。 私には難しい回答でした。 頭が悪くてすみません。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
固定観念でとらわれてしまうのがだめですね。そもそもひとつのやりかたじゃないと言葉がひねり出せないというのがいけません。センスがないですね。てんでお話になりません。まったくもって醜悪で、そんな文章に惹かれるという人がいたとしたらなんとおかしな人なのだろうかと頭が正常かどうか疑ってしまいます。 ・・・ととりあえず全部否定的に回答してみましたがいかがでしょうか。私のいいたいことはバシッと伝わったでしょうか。上記の文章を読み、楽しい気分になりもっとこの人の文章を読みたいと思ったでしょうかね。 黒板をひっかくとキイイって音がしますよね。あの音はすごく周囲に強く伝わるけれど、心地いいと感じるでしょうか。注意を引くにはいいと思いますが、聞きたいと思う人はいないでしょう。否定形ばかりの文章も同じです。注意は引くけれど、それで説得力が出るわけではありません。
お礼
楽しい気分になる・・・これは考えてもみませんでした。 そう考えていきます。 良いことを教えて頂けました。ありがとうございました。 ここのサイトには、頭の賢い方がいっぱいおられて、私はうれしいです。 色々学べることは、素晴らしいです。
お礼
OKWAVEの方、この回答取り消さないでください。 とても役に立つことばかり教えてくださっています。 ブログリンクは消してもいいので、お願いします。 さて、回答者様、ご丁寧にありがとうございました。 ウノミにしてはいけません・・・そうです、こういうような言葉を使いたくて、困っていました。 使って行きます。 おかげで、困ったことが解決しそうです。ありがとうございました。 ちなみに、ブログのリンクは規約違反です。すみません。 ありがとうございました。とても助かりました。