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「○○が全てではない」「○○とは言い切れない」は肯定?否定?

一度、国語カテゴリで質問したのですが ・どちらかというとアンケートに近い ・広く一般の方の意見を と思いましたので削除して 改めて、こちらで質問させていただきます。 「野球選手の評価は打率が全てとはいえない」 「打率が高いからいいバッターとは言い切れない」 というような表現についてなのですが これは A.「選手の評価は打率だけではない。    しかしながら、打率、本塁打、打点のように    打率は評価の中で大きなウェイトを占めている」    というような、ある程度の妥当性を認めた意見 B.「選手の評価は打率だけではない。    打率と選手の評価はあまり関係がない」    というような、ある程度の妥当性も否定した表現 C.「打率と選手の評価には一切関係ない」    というような、一切の妥当性を否定する表現 いずれのケースで用いられていることが多いと思われますか? 皆様なりの印象で構いませんのでお答えいただけると幸いです、

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noname#78502
noname#78502
回答No.3

例えがちょっと・・・。打率と野球選手の評価だとA以外は答えにくいですね。 私的には「世の中お金が全てではない」という使われ方の方がなじみがあります。 私の場合、以前はBみたいな使い方でした。「お金があるからって幸せにはならないだろう。」って。 でも、今思うと当時の自分はお金がなくて、その事実があるから「人生にお金なんて必要ない!」って自分を慰めていたのかも。(苦笑) なんというか「お金がある程度大事」と「お金が全てではない」ってのはある程度同じ意味なんだけど。「お金がある程度大事」ってことを受け入れたくない人が、なんとなく否定っぽい「お金が全てではない」を使っている感じがしますね。 ちなみに今は、お金はある程度大事。打率も野球選手の評価の一つ。ってことを受け入れてるのでAに近い感じで使ってます。 (でも、やっぱりお金がないよ・・泣)

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。その事例を認められる人は 「お金はある程度大事」と肯定的な表現をして その事例を認めたくない人は 「お金が全てではない」と否定的な表現をする。 しかしながら、それが指し示すのは結局のところ同じもの。 ということですね。 言われてみれば、たしかにそのような気がします。 >>打率と野球選手の評価だとA以外は答えにくいですね。 >>「世の中お金が全てではない」という使われ方の方がなじみがあります。 「世の中お金が全てではない」も考えたのですが 話が脱線してしまいそうなので、「打率」を例にしました。 その点をご理解いただけると幸いです。

その他の回答 (4)

noname#80700
noname#80700
回答No.5

今日は。 タイトルを見て興味を持ったのですが、野球はあまり詳しくありません。 Bの >「選手の評価は打率だけではない。 これだと思うのですけど、 同じくBの >打率と選手の評価はあまり関係がない」 これではないような気がします。 なので、 ☆「打率はそれなりの評価を得られるが、  その他の要素も相応に評価される」 こんな雰囲気でしょうか? 参考にして下さい。

Opolskie
質問者

お礼

こんにちは。 野球はあくまで例えだったので 「○○は××の全てではない」という論調についてお答えいただければと思います。 他の例えですと… ・人生にお金が全てではない ・働くのはお金のためが全てではない 等もあると思います。 >>Bの >>>「選手の評価は打率だけではない。 ということで 打率と選手の評価はあまり関係がない」ではない気がする。 ということは… 「選手の評価は打率だけではない。」で始まるAに近い意見ではないのかな?と感じました。 もし違いましたら、恐縮ですが再度回答をお願いいたします。

Opolskie
質問者

補足

ちょっと文章がわかりにくいかな? という部分がありましたので、改めて質問を立てさせていただきます。 皆様、ご協力ありがとうございました。

noname#80702
noname#80702
回答No.4

NO.2です。 例えばWBCの代表選手を選ぶとします。 A:打率.380、出塁率.390、足が遅い、守備範囲が狭い、肩が弱い、バントが下手、進塁打が苦手、三振が多い・・・etc B:打率.320、出塁率.450、足が速い、守備範囲が広い、肩が強い、バントが上手、進塁打が得意、三振が少ない・・・etc ならばBを選びます。 乱暴に言えば打率.380の清原より、打率.320のイチローの方が評価が高いということです。 打率が高い選手の中には失投を仕留める率が高い故の選手もいて、 一流のピッチャーが次々に登板し失投が望めそうも無い場合は 「どういう形であれ何とかしてくれる選手」の方が良いと思います。

Opolskie
質問者

お礼

私の表現が申し訳ありません。 この質問は A:打率.380、出塁率.390、足が遅い、守備範囲が狭い、肩が弱い、バントが下手、進塁打が苦手、三振が多い・・・etc B:打率.320、出塁率.450、足が速い、守備範囲が広い、肩が強い、バントが上手、進塁打が得意、三振が少ない・・・etc のどちらの選手をWBC代表にしますか? という質問ではなく 「打率は野球選手の評価の全てではない」と言ったとき A.打率は野球選手を評価する上で重要な要素である。ということを認めた意見。 B.打率は野球選手を評価する上で重要な要素である。ということを認めない意見。 C.打率は一切、野球選手を評価する上で一切の参考にならないという意見。 のいずれに当たる表現なのでしょうか? という質問ですので、その点をご理解いただけると幸いです。

Opolskie
質問者

補足

お礼欄の 私の表現が申し訳ありません。は 私の表現が悪く申し訳ありません。でした。

noname#80702
noname#80702
回答No.2

>「○○が全てではない」「○○とは言い切れない」は肯定?否定? 様々な可能性があるのに、それを無視するような話をされそうなときに使うのではないでしょうか。 多分、話している相手の性格が悪くてクダラナイことを言われたときの逃げ道にしているのだと思います。 AとBの差が大き過ぎると思います。 チームプレーに徹して打率を下げても評価はされるのではないでしょうか。

Opolskie
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ということはAとBの中間ということでしょうか? 私としては ・プロ野球の評論家たちが素晴らしい野手を何人かずつ計100人選んだ場合 Aの意見は 「100人のうちの70人は打率が平均よりも高い。  ただし、平均より低くてもチームプレーや守備、長打力で選ばれた人が  30人いた。だから打率が野手の評価の全てではない。」 というような意味合いを想定しました。 対してBは 「100人のうち30人しか打率が平均よりも高い人がいない。  打率は、チームプレーや守備、長打力よりも評価としては的確ではない。  だから打率が野手の評価の全てではない。」 という意味合いだったのですがどちらに近いご意見でしょうか?

  • koala0305
  • ベストアンサー率21% (117/556)
回答No.1

私はAの場合しか使いませんけど。

Opolskie
質問者

お礼

なるほど。肯定的な使用法が全てということですね。 回答ありがとうございます。

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