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「何れか皆然らざる可き」は肯定?否定?
「処士横議の風は、古今同一轍也。東漢末における清流の党禍より、明末における、東林の学派にいたるまで、何れか皆然らざる可き」 最後は肯定か否定か、ちょっと迷っています。清流と東林は処士横議の例ですか。 どうか教えてください。 お願いします。
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「処士横議の風は、古今同一轍也。東漢末における清流の党禍より、明末における、東林の学派にいたるまで、何れか皆然らざる可き」 1.意味上のアプローチ 処士横議=在野において盛んに議論を交わすこと 同一轍=ものごとの結果や経過が前と同じであること 東漢末における清流の党禍=後漢における党錮の禁を指す。清流派と称した一部士大夫が、宦官によって公職追放された出来事 明末における、東林の学派=明代の政治学派。在野の者も多く参加した。 と考えれば「何れか皆然らざる可き」は明らかに肯定であり、清流と東林は処士横議の例となります。 2.文法上のアプローチ 「何れか皆然らざる可き」の「可き」は連体形であり係助詞「か」との係り結びにより、疑問・反語の意味を表します。したがって「何か皆これと同じでないものはあるだろうか、いや、ない。」という肯定の意味となります。 いずれのアプローチを取ろうとも、「処士横議の風潮は今も昔も同じである。後漢末の清流の党錮の禁から、明末の東林学派にいたるまで何か皆これと同じでないものはあるだろうか、いや、ない。」 という意味になります。
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- SPS700
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1。 これは下記のように「反語」の修辞法です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%AA%9E 「何れか皆然らざる可き」=どれもみんなこのようにならないでいられようか>みんななっちゃう ですから、いわば教科書的な反語の使い方で「肯定」です。 2。 清流と東林は処士横議の例ですか。 おっしゃる通りです。
- Nebusoku3
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裁判の時の 「然るべき」 に 「らざる」 が ついたので 否定の意味にとれます。 見るべき 見らざるべき 言うべき 言わざるべき 聞くべき 聞かざるべき と並べるとやっぱり否定の意味ではないかと思います。 かなり難しいですね。
大変強い肯定の様です。 「いずれか皆の中に違う者(しくあらざる者)があると言うのか?」の後は、(いいやそんな者は居はしない)が省略された「非常に強い肯定」だと思います。 後漢の終わり頃から明の終わり頃(清流から東林派まで)は、すべて(古今)同じ処士横議の風潮の中にあり、違うものは一つも無い、と言ってる様に読めますが、私は漢史にも思想史にも特段の知識を持ちませんので、普通に読めばそうであろう、と思うだけです。 万一違っていたらすみません。
お礼
私も肯定だと思いますが、ちょっと自信がありません。 ありがとうございます。
お礼
詳しく説明してくれました。文法上と意味上のアプローチを教えてくれてありがとうございます。 他の皆様にも感謝いたします。