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普遍神を名づけた個別神をめぐる主観は 特殊絶対性
1. 神はすべて 同じひとつの普遍神である。これは 一般絶対性とよぶ。 2. 一般絶対性なる普遍神を 個別に名をつけて――あるいは 名などはなく神も無いのだと見て――主観がえらんだ神は 個別絶対性である。 3. すなわち 《無い神》または《有る神:オホモノヌシ;ブラフマン;ヤハヱ―;アッラーフなどなど》。 4. ブラフマン(梵)なる神は わが自然本性なるアートマン(霊我)と一体である――すなわち 梵我一如――と忖度するのは 特殊絶対性の始まり。 5. ただし アン-アートマン(無‐霊我:無我・非我)を唱える場合にも その元に言わば無梵(ア‐ブラフマン)なる《無い神》をかかげ そのようなマクロコスモス( 宇宙)とミクロコスモス(人)との一体を言うようであるから――つまり《無い神》派にあっても―― 類型としての梵我一如は 共通なようである。 6. アミターバ・ブッダなる《有る神》の場合は 主観が アートマン(霊我)の代わりに ブッダター(仏性)なる霊において呼応する。すなわち 仏仏一如なる梵我一如パタンである。 7. つまりここまでは 類型としての梵我一如が なお《一般絶対性=個別絶対性》のもとに その基礎となり基本となっている。 8. そこから主観はさらに 神についておのが思いを描き出す。 9. 神は われと――信仰なる《非思考の庭》としてだけではなく――思考においても・また感性にあっても つながっている・・・といったように 主観が 飛んで行く。これが 特殊絶対性である。 10. おれはきのうの夜 神を見たんだと言うのも ひとつの特殊絶対性である。そんなわけねえよと応じるのも 同じく特殊絶対性。なぜなら どちらも 証明できない。(だから 絶対性ないし神と呼んでいる)。 11. この理論で――つまり 添削をお願いしさらに実践理論を展開して行って欲しいのですが・それが 質問ですが――おおよそ世界に起きている《神をめぐる心的現象》のすべてについて 理解の基礎としての糸口を明らかにできるのではないでしょうか。 なお 次の趣旨説明欄をも参照ください。 【Q:一般および個別絶対性理論 ならびに特殊絶対性仮説】 https://okwave.jp/qa/q9358717.html
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- Nouble
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済みません、 みたび、汚す 非礼を お許しください。 私の、 発言と、しての 不完全性を、感じました。 場を、お借りします。 「拘りを、捨てる」 此に、言及しました。 まるで、 容認し、 太鼓判を、押したかに 見えます。 所で、 此の内には、 されるままを、受け容れよ と、取れる 可能性が、あります。 が、 私は、此が 屈指に、嫌いです、 努力を、否定する事は 概ね、嫌いです。 併せて 他者否定をも 屈指に、嫌いと 添えさせて、頂きます。 言及する、機会を お与え、頂き、 有難うございます。 さて、 お礼、有難うございます。 確かに 弛まず、揺るがない事も 時には、必要ですよね。 〉存続をわざと脅かすウゴキについては 〉その心を質(ただ)し 〉しかるべき批判をおこなって行かねばいけない 〉と考えます。 はいけんしてて、 ただ、ただ、 「有難い」と、感じました。 しかし、 真意を、振り返れば 弛まず、揺るがない事も 求められる中、 「困った」とも、感じました。 批判なら、まだしも 否定まで、行かないか… 争いの種を、 殊更に、育てる事は 好みません。 確かに、 ありと、あらゆる 口伝は、 多かれ、少なかれ、 歪められている と、言えるでしょう、 かも、知れません。 しかし、 ことわりの、芯が 元は、 仮に、一体なら レイヤーを、重ねる如く 口伝を、重ねて 更に、 同一性を、見るで無く、 歪められ易さ、等、 乖離性傾向をも、見て、 神髄を、読もうと する、 ならば 現存口伝も 壊れよ!! と、いうべき程の、無価値でも なくなる。 とは、思いませんか? まぁ、此の様に 感じ、語らえれば、 そんな手間も、要りませんがね。 但し、 口伝を、レイヤーの如く 重ねる、際は 留意すべき点が、あります。 伝わる事しか、伝わらなかった、 伝えるべきを、優先し 全て、伝えた訳では 必ずしも、無い、 正しく、伝えきらなかった 点も、ある、 敢えて、状況より 偽りを、伝えた点もある。 一例と、して 貴方は、 恐らく、既に 初等数学を、理解されている、 ですよね? ならば 初等数学の、認識確認より、 所作の、理解法に 注力する、事を 望まれるだろうし、 私も、 注力する事と、思います。 しかし、 私が、 貴方では、なく、 初等数学が、怪しいな? との、相手に 話す時は、 内容を、変え、 初等数学への、理解を 必要なら、話すだろう。 伝えたいもの ゴールが、同じでも… ですよね。 見方を、変えれば、 教えが、違っても 伝えたい事が、違う とは、限らない。 ご理解は、頂けますよね? また、他の例 「多食は、罪」 と、 ズバッと、言う事は 何を、招くか? 此の、観点から、 何かを ご理解、頂けますよね? 人族に、向け 人族の、滅しを 望まず、来た者の、 其の、 発言の、内には 「多食は、罪」が、自然か? 「君たちの為に、用意した」が、自然か? ご理解、頂けますよね? ならばこそ、 重ねるべきは、何処か、 修正すべきは、何処か、 吟味も、 又、必要、 ご理解、頂けますよね? 視点を、変えて 人所謂神が、何のため 伝わらない、教えを 解っていて、 敢えて、説いたか? 何を、望んだか? 此の点に 思いを、馳せれば 人、所謂所の 神と、 伴わない、教えにも 表しの、際の 思いから、すれば あながち… ね~ 毒も、害も、あったでしょうが 無益でも、なかったかと、 〉☆ それは ほとんど意味を成しません。 〉☆ 《何ごとにもこだわるなかれ》というオシヘに 〉こだわっている。或る小説を 〉あたかも神としている。 線引きに、拘らず と、伝え、 拘るに、拘らず と、伝えました。 何故、 線引きに、拘らないのでした? 〉☆ どうしてそう成っているか わけを知れ。 訳と、しでも、 良いかも、知れませんが 私の、言葉と しては 合っているか、不鮮明に なって、しまいます。 其処で、此処では 知恵、考え方、選択主旨、 別解への、考察度、 等を、 知りたいですよね? 知れば、 所作、別ルートへの、 可能性も 時に、見えてくる で、しょうが、 別ルートが、理解出来て、 息が、合えば、 ハーモニーも、ユニゾンも、シンクロも、 コーラスが、ダンスが、掛け合いが、 其の他、 楽しくなりますよね? 〉《有る神》派のイエス・キリスト支部の出身です。 成るほど
- Nouble
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迂闊ですね、 添え損ねたと、感じました、 失礼します。 我が家の、口伝では 「見て、 自分なら、如何するか おもえ、」 と、有ります。 所作を、学ぶな 所作から、学べ、 言い変えれば、 伝わりを、学ぶより、 あらわれを、学ぶより、 ことわりを、学べ、 貴方は、 自身の、 其の、理解より 何を、学びますか? へ! お前の事等、聞いていない? あぁー!!、失礼しました お許しを
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 迂闊ですね、 添え損ねたと、感じました、 ☆ あっ はい。 ★ 失礼します。 ☆ はい。いや いいえ。 ★ ~~~~~~~~ 我が家の、口伝では 「見て、 自分なら、如何するか おもえ、」 と、有ります。 ~~~~~~~~ ☆ ええ。 ★ 所作を、学ぶな 所作から、学べ、 ☆ コピペー〔だけ〕ではダメだ。――でしょうか。 ★ ~~~~~~~~ 言い変えれば、 伝わりを、学ぶより、 あらわれを、学ぶより、 ことわりを、学べ、 ~~~~~~~~ ☆ どうしてそう成っているか わけを知れ。――でしょうか。 ★ ~~~~~~ 貴方は、 自身の、 其の、理解より 何を、学びますか? ~~~~~~~ ☆ 取りあえず 世界中の宗教という宗教は 神ではない・ただの《オシヘ》すなわち《観念の思考の神》を まちがって信じ いだいている。――こう《言いふらして行きます》。 つまり 宗教よ――教義を神としていだく組織宗教よ―― みづから解体しなさい。と。 ★ ~~~~~~~~~ へ! お前の事等、聞いていない? あぁー!!、失礼しました お許しを ~~~~~~~~~~ ☆ わたしは この神の理論を アウグスティヌスをつうじて パウロを経由して 聖書にまなんだ結果 得ることが出来ました。その意味では 《有る神》派のイエス・キリスト支部の出身です。
- Nouble
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堅いですね、 宗教の、 一流派内、主張なら、 私の、口出す所では 無いものですが、 まぁ、然りとて 放置は、控え 1のみ、見ます。 何事も、 区切り方を、変えれば、 一つでも、あり、 複数でも、あり、 単なる、要素でも、 ありますよね? 貴方も、私も、 人と、数えれば 一人、 細胞と、数えれば ヤオヨロズ、 違う、見方では又、 1/70余億、 併せて、 地球居住者集団と、括れば 恐らく、一体ですよね? 其の、見方に 拘りを、持って 固定的に、 更に、 他を、否定して、… も 意味は、無いですよね? 宗教の、自由とは ある意味、 何処から、見たか、 何に、視点を 置いたか、 観測点毎の 見え方の、違いを 否定しないような、イメージ。 「いや!、 私には、こう見得た!!」 あぁ~、 其処から、其処を、 見たらね~… だよね~ そう、思いますよ? 日本に、伝わる 仏教には 「拘りを、捨てよ」 と、 伝わって、いる そうですね。 此は、一見では 「大いなる、矛盾」 ですね? 所で、実際に 貴方は、 自身で、感じました?
お礼
こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ 堅いですね、 ☆ そうですね。そうであるように つとめてはいます。 ★ ~~~~~ 宗教の、 一流派内、主張なら、 私の、口出す所では 無いものですが、 ~~~~~~ ☆ いや 口出すべきですよ。信教の自由ないし表現の自由にのっとって。つまり この試論でわたしは ほとんどすべての宗教に異をとなえています。 ★ ~~~~~~~~~ 1のみ、見ます。 何事も、 区切り方を、変えれば、 一つでも、あり、 複数でも、あり、 単なる、要素でも、 ありますよね? ~~~~~~~~ ☆ それは 微妙です。そのためには 共通の事項をしっかりと分析して示さなければなりません。 次の例示は 《人。その身》などの共通項があります。 ★ ~~~~~~~~~ 貴方も、私も、 人と、数えれば 一人、 細胞と、数えれば ヤオヨロズ、 違う、見方では又、 1/70余億、 ~~~~~~~~ ★ ~~~~~ 併せて、 地球居住者集団と、括れば 恐らく、一体ですよね? ~~~~~~~ ☆ 場や時を同じくしているという要素で《括れます》。が 《一体》かどうかは かんたんには分かりません。まぁ 運命共同体にあるということでしょうか。 ★ ~~~~~~~ 其の、見方に 拘りを、持って 固定的に、 更に、 他を、否定して、… も 意味は、無いですよね? ~~~~~~ ☆ いいえ。その共同体の存続をわざと脅かすウゴキについては その心を質(ただ)し しかるべき批判をおこなって行かねばいけないと考えます。 ひとつの大きな問題は 《特殊絶対性》を 他人に向けて振りかざす場合です。 主観の内では そのいだく神であり絶対性ですが おのが主観を外に出ると ほかの人の主観にとっては 神ではありません。それは 神なら神という言葉(≒概念)でしかなくなります。ただの観念となります。 いやいや われとかれとは同じ神をいだいていると もし言った場合 やはりその観念をいだいているに過ぎません。ほんとうの神について忖度し想像し考えてみて得た偶(仮りの)像に過ぎません。 仮りにもしほんとうの神であったとした場合 神なる絶対性が――人知を超えた絶対性が―― 相対的な存在で有限なる能力の持ち主に過ぎない人間に分かったということになります。あり得ません。 ★ ~~~~~~ 宗教の、自由とは ある意味、 何処から、見たか、 何に、視点を 置いたか、 観測点毎の 見え方の、違いを 否定しないような、イメージ。 ~~~~~~~~~ ☆ ううーん。なおあいまいだと思います。相対的・経験的な世界については 有限ながら経験合理性にもとづき探究します。つまり 《考える》のですが 絶対性については 経験思考を超えています。つまり 非思考です。この点をはっきりさせる必要があると考えます。 ★ ~~~~~~~ 「いや!、 私には、こう見得た!!」 あぁ~、 其処から、其処を、 見たらね~… だよね~ そう、思いますよ? ~~~~~~~~~ ☆ つまり この――その人の――特殊絶対性は あくまでこの人の主観内面における《自由》に立脚している。そして そこまでであると考えます。ほかの人のそのことを語ったとすれば それは たとえば小説を――虚構作品を――述べたということだと思います。 (つまり 宗教のオシヘは みなこの《神をひとりの主観が忖度し想像し思索して得た文学作品》であると言えるのではないでしょうか?) ★ ~~~~~~ 日本に、伝わる 仏教には 「拘りを、捨てよ」 と、 伝わって、いる そうですね。 ~~~~~~ ☆ それは ほとんど意味を成しません。哲学としては。 ★ ~~~~~~ 此は、一見では 「大いなる、矛盾」 ですね? ~~~~~~~ ☆ 《何ごとにもこだわるなかれ》というオシヘにこだわっている。或る小説を あたかも神としている。 ★ ~~~~~~ 所で、実際に 貴方は、 自身で、感じました? ~~~~~~~ ☆ 感じたと思ったことはありましたが 述べるに足りません。
お礼
ご回答をありがとうございます。 回答は 歓迎です。特にご批判を大歓迎します。 ★ 「拘りを、捨てる」 ☆ なる命題をめぐって 再考されています。 ★ ~~~~~ 所で、 此の内には、 されるままを、受け容れよ と、取れる 可能性が、あります。 ~~~~~~~~~ ☆ 《こだわらないが ひと言ものを言っておく》場合もあり得ると思いますが すでに《何も文句を言わず 相手の言うがまま為すがままを受け容れる》という場合もありましょうね。 ★ ~~~~~ が、 私は、此が 屈指に、嫌いです、 努力を、否定する事は 概ね、嫌いです。 ~~~~~~~~~ ☆ 自然なように見えても 反発するのも自然ですから 《されるがまま》指向は 一般に嫌だと見られるでしょうね。 ★ ~~~~~ 併せて 他者否定をも 屈指に、嫌いと 添えさせて、頂きます。 ~~~~~~~~ ☆ 《否定》は 筋道立てて批判する場合もふくむとしたら 条件つきになりますが 一般に相手の発言や特には意志・果てはなかんづく存在をむやみに・頭から否定することは すでに不法行為でしょうから 嫌いですね。 ★ ~~~~~~ 言及する、機会を お与え、頂き、 有難うございます。 ~~~~~~ ☆ どういたしまして。お安い御用です。 ★ ~~~~~~~~ さて、 お礼、有難うございます。 確かに 弛まず、揺るがない事も 時には、必要ですよね。 ~~~~ ☆ 次の事例ですね。 〉存続をわざと脅かすウゴキについては 〉その心を質(ただ)し 〉しかるべき批判をおこなって行かねばいけない 〉と考えます。 ★ ~~~~~ はいけんしてて、 ただ、ただ、 「有難い」と、感じました。 しかし、 真意を、振り返れば 弛まず、揺るがない事も 求められる中、 「困った」とも、感じました。 ~~~~~~ ☆ はい。次が 核心ですね。 ★ ~~~~~~~ 批判なら、まだしも 否定まで、行かないか… 争いの種を、 殊更に、育てる事は 好みません。 ~~~~~~~ ☆ これは かんたんな第一応答としては ただちに説明できます。すでに《争いの種》をむしろこちらの畑に・つまり心に植えつけたのは 相手だという事実です。 となると 先ほどの《こだわるなかれ》もしくは《されるがままに受け容れよ》の問題になります。 ★ ~~~~~ 確かに、 ありと、あらゆる 口伝は、 多かれ、少なかれ、 歪められている と、言えるでしょう、 かも、知れません。 ~~~~~~~~ ☆ いや 《口伝》は: ★★ ~~~~~~ 「見て、 自分なら、如何するか おもえ、」 ★★ 所作を、学ぶな 所作から、学べ、 ★ 伝わりを、学ぶより、 あらわれを、学ぶより、 ことわりを、学べ、 ~~~~~~~~ ☆ ですよね? つまり 《こだわりを捨てよ》は 仏教のほうなのでは? でも それも同じくふくまれるのでしょうか。 ★ ~~~~~~ しかし、 ことわりの、芯が 元は、 仮に、一体なら レイヤーを、重ねる如く 口伝を、重ねて 更に、 同一性を、見るで無く、 歪められ易さ、等、 乖離性傾向をも、見て、 神髄を、読もうと する、 ならば 現存口伝も 壊れよ!! と、いうべき程の、無価値でも なくなる。 とは、思いませんか? ~~~~~~~~ ☆ これは 一考するだけとしては あんがい簡単です。《同一性》とも見られる《ことわりの芯》とは 《いかに争いが起きようとしていても 互いに同じ人間であることを思え。思って 批判や批難を極力抑えよ》ということなのでしょう。 つまり 問題は すでに実害がおよんで来ている場合には どうするか? です。 これにどうこたえるかが 口伝の価値を決めるのではないかと思います。北朝鮮問題みたいになって来ましたが。 口伝の《留意すべき点》としての: ★ ~~~~~~ 伝わる事しか、伝わらなかった、 伝えるべきを、優先し 全て、伝えた訳では 必ずしも、無い、 正しく、伝えきらなかった 点も、ある、 敢えて、状況より 偽りを、伝えた点もある。 ~~~~~~ ☆ という問題点とは 別な方向に行ってしまいましたが。ですが 実際問題として 《レイヤー》の吟味や《神髄》の把握といった仕事は いざというときには 二の次になるかも知れません。 次の初等数学の理解は どうでしょう。 ★ ~~~~~~~ 初等数学が、怪しいな? との、相手に 話す時は、 内容を、変え、 初等数学への、理解を 必要なら、話すだろう。 伝えたいもの ゴールが、同じでも… ですよね。 ~~~~~~~~ ☆ 要するに 《ことわりを知る》もしくは《基礎ないしその理論をまなべ》でしょうか。 ★ ~~~~~~~~~ 教えが、違っても 伝えたい事が、違う とは、限らない。 ~~~~~~ ☆ これにも ただちに応答できます。互いにそれぞれの《伝えたい事》を明らかにし合って行けばよい。 批判は 互いに自由であり 互いに批判しあうものです。心を伝えるものです。 ★ ~~~~~~ また、他の例 「多食は、罪」 と、 ズバッと、言う事は 何を、招くか? ~~~~~~ ☆ これは 言ってはなんですが 事例がちょっと違うのでは? なぜなら《多食》の《多》は どれだけかという問題が 人それぞれによって異なるはずですから。 法律で律することでもなく また道徳でさえ 一概に決まりません。それに 宗教で禁じられる場合を別として 何をどれだけ食べるかは 自由だと思います。 残念ながら この件に関しましては: ★ ご理解、頂けま ☆ せん。 ★ ~~~~~~ 人所謂神が、何のため 伝わらない、教えを 解っていて、 敢えて、説いたか? 何を、望んだか? ~~~~~~ ☆ わたしの述べた批判点は そこまで幅が広がっていません。次のごとく 哲学として理論的に まづ理論として その矛盾を指摘したものです。 〉☆ それは ほとんど意味を成しません。 〉☆ 《何ごとにもこだわるなかれ》というオシヘに 〉こだわっている。或る小説を 〉あたかも神としている。 ☆ すなわち もし《考え想像して得たやはり考え》をオシヘとして 心に受け容れなさい(つまり 信じなさい)と言っているとすれば それは 神ではないという点のみを指摘しています。なぜなら 神は 人知を超えており 思考の問題ではないからです。 これは 次のように《こだわり》の問題でもなく 《ことわりの芯》ないし《初等数学の基礎理論》のもんだいです。 ★ ~~~~~~ 線引きに、拘らず と、伝え、 拘るに、拘らず と、伝えました。 ~~~~~~~ ★ ~~~~~~ 其処で、此処では 知恵、考え方、選択主旨、 別解への、考察度、 等を、 知りたいですよね? ~~~~~~~~ ☆ 宗教の問題としては すでに《実害》が長きにわたって 起きているということだと思います。言わば待ったなしです。 次のような《別ルート》というのは 基礎理論としての《宗教論》で互いに自由に批判をもおこないあって 共通の結論にたどりつくといったルートが優先されると考えます。 ★ ~~~~~~~ 別ルートが、理解出来て、 息が、合えば、 ハーモニーも、ユニゾンも、シンクロも、 コーラスが、ダンスが、掛け合いが、 其の他、 楽しくなりますよね? ~~~~~~~~~~