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宋の紙幣「交子」について教えてください。
紙幣には, 除四川外許於諸路州縣公私從便主管並同見錢七百七十陌流轉行使 と書かれています。 この意味について,教えてください。 四川では用いられなかったと言うことでしょうか?
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No.2です。少し補足します。紙幣の歴史について書かれた本で調べると、「世界最古の紙幣」とも呼ばれる「交子」は1023年に宋が官営の「益州交子務」という紙幣発行機関を設立して発行したもので、それ以前は民間で発行する一種の私札でした。(このときに民間の交子が禁止された)この紙幣の現物は現在残っていないものの、日本にはこの紙幣の版木の拓本と見られるものが残っているそうで、これが現在見かける「交子」の写真です。 この交子の額面が「銭七百七十陌」(77000)と半端な金額になっているのは、宋に限らずこの頃の東アジアに広く存在した「短陌」(たんぱく)という商慣行に関係があるのでしょう。「短陌」というのは百に満たない数の銭貨を百として通用させることができるものです。(現在の日本で言えば80円で100円の商品が買えるようなこと)、当時の官のレートは77銭→100銭なので、この交子は銭千陌(100000=十万)分の使いでがあることになります。 なお四川にある「益州交子務」が四川では使えない交子を発行するとは考えにくく、この文面は「四川以外の○○で使える」ではなく、「四川以外では○○で使える」という意味ではないかと考えるようになりましたが、今一つわからないところがあり、引き続き調べたいと思います。 なお後の時代になると「益州交子務」以外でも交子が発行されるようになりましたが、いずれにせよ交子は使用期限や使用できる地域が限定された「お金」でした。
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- staratras
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ご質問の文章をどう解釈すべきかについて、中国語で書かれた文章を見つけましたのでご紹介します。回答者は中国語がよくわからないので詳しく説明できませんが、現在世に出ている「交子銅版の刷り物」は1930年代に山西省で発見された「非四川的交子銅版」のものであり、たまたま「四川では流通できない交子」だったということのようです。(解釈が誤っていたらお許しください)また中国でもご質問と同様の疑問を持つ生徒がいることがわかります。 ただしもともと「交子」は重い鉄銭を使っていた四川地方で、不便な大量の鉄銭の代用として作られた手形が起源とされています。「交子」がその発祥の地である四川で使われなかったということではありません。
お礼
ありがとうございます。交子には色んな種類があり,たまたまこの紙幣は四川では流通しなかったということなのですね。発祥の地である四川だけ流通しないというのは,どういうことなのでしょうか。 また,額面が,七百七十陌というのも中途半端で不思議です。
- SPS700
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四川では用いられなかったと言うことでしょうか? 初めに「四川省を除いて」の文字がありますから、おっしゃる通りだと思います。
お礼
お時間を割いて調べていただき,大感謝です。あとなぜ四川以外かが分かれば,私の疑問は解決します。その後の発見を期待しつつ,ベストAnswerをもう少し待ってみます。