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初心忘るべからず
世阿弥のこの言葉は、本当の意味はこうだ、と諸説流れているようです。 ・最初の志、当初の目的、やる気(一般的な解釈?) ・初心者のときの、どきどきする気持ち、緊張感など(大学の国文学の先生) ・その年代ごとの最初の気持ち(ある俳優、歌舞伎役者だったかな?) その他、どんな解釈があるのでしょうか? また、皆さまはどう思われるでしょうか?
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観世阿弥の言った契機と意味は一つ、修行の道の心得です。 それを理解できない人がいろいろ誤釈していますね。 また自分用に解釈している人もいるようですね。 初心不可忘 時時初心不可忘 老後初心不可忘 精進修行の心得です。
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- tarohkaja
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この質問は、何度か見かけ、そのうちで回答したこともあります。 古典の中の名文句は、その人その人の人生経験に即して、どのように理解しても、またどのように解釈してもよい、古典にはそれだけの幅がある、ということを前提に申し上げます。 でも、世阿弥の真意はどうだったかということは、原文にあたらなければなりません。 「初心忘るべからず」の一句だけを取り出して見るとわかりません。 「しかれば当流に万能一徳の口伝あり。すなわち『初心忘るべからず』 これに三つの口伝あり。『是非の初心忘るべからず』『時々の初心忘るべからず』『老後の初心忘るべからず』この三つよくよく口伝なすべし」というのが、この部分です。 この三つ全体を見て考えなければなりません。 万能一徳の「口伝」ありは口伝でなくて「一句あり」だったか教えありだったか、何かを調べればすぐわかりますが、本が手元にないので相済みません。趣意に変わりはありませんので。 是非の初心とは最初に自覚したときの気持ちです。 時々の初心とは、ときどきでなくじじの初心と読みますが、最初の自覚から進歩して、上達してから、自分は進歩したと思ったがまだまだ駄目だなあと気づいたとき、この気づきを「後心」と言います。その気持ちに至ったときこそが新しい初心だということです。 午前12時が同時に午後零時であるように、午後12時が同時に午前零時であるように後心がすなわち初心だということです。 老後の初心とは、時々の初心を積み重ねればよく、なにも老後と言わなくともよさそうです。 ところが世阿弥は、人間というものは、人生の成功者とみなされる人ほど「自分は世間から評価される仕事を成し遂げた。自分の判断力には間違いないし、人を見る目もある」と思い込むものだとわかっていたのです。 だから世阿弥は、特に老後を時々の初心とは別建てにして、頑迷に陥りやすい老人をも戒めたのです。 これには、「初心重代」という言葉も関連します。 ある義太夫の名人が、晩年に「稽古は一生というが、一生では足らんなあ。もう一生ほしいわ」と言ったそうですが、人生は短く芸術は長いという言葉もポピュラーです。 世阿弥は「生命には終わりあり。能にははてあるべからず」とも言いました。 そこで初心重代です。 初心初心の積み重ねを重代 = 子々孫々積み重ねて行けと言うのです。 最初に申し上げた通り、世阿弥の真意はともかく、古典の成語は自由に読み、自由に解釈してよいのです。
お礼
図書館に行って、原典に当たりたいと思います。 ありがとうございました。
- marukajiri
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初心というものは、慣れてくると、誰でも必ずと言っていいほど忘れてしまうものだ。「初心忘るべからず」と言った優れた人物である世阿弥でさえ、忘れることがあり、これではいけないという思いから生まれたのが「初心忘るべからず」という言葉だ。 このことが本当にわかっている人は、何かを継続してやり続けることもできれば、向上心を持ち続けることもできるはずだ。また、これは習い事や仕事だけのことではなく、自分の生活そのものや生き方にも当てはまる。わかっていない人は、初心を忘れ、途中挫折してしまうのだ。 たとえば、年の初めに「禁煙するぞ」と初心の誓いをたて、半年で挫折して、タバコを吸い始める人は、年頭の初心を忘れてしまっているわけだ。しかし、タバコを目にするたびに、年頭に立てた時の初心を思い出し、自分の覚悟を再確認するということをたびたびしている人は、禁煙し続けることができるはずだ。 初心というものは、それだけ重要なものなので、忘れてはならないものだし、始めたことを続けたり、向上していくためには、繰り返し確認する必要のあるものだから、忘れてはいけない。
お礼
冒頭の最初の解釈ですね。 諄々と説いてくださり、年頭に有り難いお話を頂戴した気分です。 私も初心を忘れずに精進してまいりたいと思います。 ありがとうございます。
お礼
日々精進、どのレベルにおいても修行せよ、ですね。 ありがとうございました。