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高校教育の意義とは
- 高校教育の意義とは、社会で自分を生かせる個性の伸長と持続可能な社会の実現を目指すものです。
- 教育活動は地道なものであり、引きこもりを減らし、納税者を増やし、前向きで明るい社会を築くために重要です。
- しかし、進学実績や新聞報道だけにこだわる風潮が許せず、個性を尊重し、真摯に教育に取り組むことが求められます。
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは 高校の先生に何かアドバイスって言われても、、、。 でも人生を半世紀近く余計に生きて来た老人としてなら先生に申し上げることはあります。 ● 教師の仕事に誇りを持ちなさい。 どの高校生もその三年間は人生の小さな通過点としか見ていない。 就職進学と三年後の自分に降りかかる人生の最大の難関にこころが押し潰されそうになります。 でもその時、先生の悠然とした授業態度に姿勢を正される。 大体、先生って時々余談に逸れて面白いことを言う。 そう言うのが息抜きにもなる。 数学の先生はいつも『水は高いところから低いところに流れる。 数学も自然の法則に沿って考えれば誰にでも解ける。』 家で問題に行き詰ると『水の法則、水の法則』と念仏のように唱えて勉強しました。 高校を卒業して間もなく60年になります。 母校でも最高の進学成績を残した学年でした。 先生は同じことを教えているのに、生徒は全く違って受け止めている。 だから先生は優秀な生徒を教えたい。 それは今なら良くわかります。 ● 打てば響くような子供に教えると、時には痛い目にも合うこともある。 教師たる者、やはり青雲の志ある有為の学生に出会って欲しい。 日々が真剣勝負と言う高校で教鞭を取って頂きたい。 それこそが教師の本懐と信じます。 でもその時、あまり気張ってはいけませんよ。 高1の現代文の時間に先生の脱線が始まりました。 戦前の国語の時間に歴代の天皇の名前を暗唱させられた。 そこで先生、呪文のように歴代天皇名の暗唱が、、、。 生徒はみんなチンプンカンプン。 のはずなのに、何故かその中に先生よりも歴代天皇を正確に覚えている生徒もいる。 小学生の時って学校の勉強はつまらないし、、、。 そこで蔵を開けて古い文書を出して来るとこれが歴代天皇名鑑。 五年生の柔らかい頭ではすぐに覚えられてしまう。 そんなものが役に立とうが立つまいが関係ない。 何か面白そうなことなら何でも良かった。 世の中にはこう言う変わった子供が集まって来る学校ってあるんですよ。 先生の暗唱が止まった。 直ぐに『先生、違ってますよ~。 14代の天皇名は〇〇ですよ。』 と今度は私が暗唱。 学校で嫌々やらされたのと、自分勝手に覚えた者には自ずと差が出るもの。 お陰で新米先生は、、、。 六十数年前の話ですが、今も新鮮。 それだけ高校の三年間は人生のとても貴重な三年間なのです。 まるで真綿がすべての水を吸い込むように、何でも吸い込んでしまう。 ● 先生って何が出来るんだって悩んでいませんか? その悩む姿勢が良いのです。 先生でも悩まれるんだ。 生徒がそれに気づく。 それがとても大切だと思うのです。 その面では教師と言う仕事は或る種ボランティアにも似たところがある。 災害ボランティアって一度やったら、、。 総理大臣と乞食もそうだそうですよ。 そのこころは『一度やってらやめられない』 被災者に寄り添って彼らの心の中にある『やる気』のスイッチを一緒に押してあげる。 災害に会って暫くは何がなんやらわからず、『ぼんやり』 そこへボランティアがやって来る。 彼らが精力的に動く様子を見て、『自分もこうしちゃいられない』と立ち上がる。 高校生として入学した者、誰にも『やる気』と言うスィッチはあるのですが、『オフ』のままの子供がたくさん。 この子らにスィッチを入れて上げられるのはやはり先生だと思うのです。
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- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6876/20336)
最近ニュースに良く登場していた話題 髪の色。 学校側からは 地毛がネイチュアの金髪でも染めさせる という発言まで飛び出していました。(欧米からの留学生でも という意味のようです) 批判する側は 明らかな人権侵害であるという論調。 これは政府の基本方針として おかしな校則がたくさん存在していることは認識していて どんな理不尽な規則であっても 規則は規則だとして黙って従う労働者の育成機関である というのが大原則として存在するのです。 ところで 国立の小中学 高校 科学高校 というものも存在して そこでは逆に とても緩い環境になっています。 校則はあることはありますが 厳しく管理監督するということはありません。 指導的立場に立つ者を養成するという感じです。 中学にも大学教授が出向して教育の現場に携わっています。 こういう環境で育った人と 前述の労働者大量生産機関であるところで育った人とでは考え方は大きく違うでしょう。 そういう人たちが公務員になれば 公務員の三原則「休まず 働かず 遅刻せず」と言われるような ひたすら減点されることだけを避ける消極的な人生を送ることが多い。黙って上に従うだけという行動が一番安全な道という感覚。 減点されることなく定年まで無事にたどりつけば 高額の退職金と年金が待っているからです。 身分と高給が約束され さらに将来も保障されている立場です。 これを改善しようというのはなかなか大変なことです。 公務員にならず ブラック企業に就職した人は 過労死するまで まじめに働き続ける人もいる。 それを見れば 公務員になれた自分の幸運を手ばさないためなら いじめの隠蔽も ごく当たり前の行動。 教育現場の公務員のいじめ対策は いじめはなかったことにする これが最大の対策。 一番大切なものは 自分。 真実を知れば知るほど 自分の無力さを嘆くしかない とするのか。 小さな一歩でも 少しずつでも前進を続けるのか それはあなたの選択。
お礼
全くその通りです。もちろん、古い価値観の良い部分というのは踏襲しなければなりません。しかし、新しく変えていかなければならない部分までも、保守的で進歩がない。 私は、その「柔軟性のなさ」を恐れます。問題が起こった時に対処できない人間が増加しています。 一番の問題は「公共の福祉」への理解の不足です。私が考える教員にとって一番大事なことが公共の福祉です。 私は、小さな一歩でも少しずつ前進を続けます。極小な単位ではありますが、理解者は必ず増えていくと信じて進みたいです。 ご回答ありがとうございました。遅くなりまして申し訳ありませんでした。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11072/34514)
>教員は、社会が維持されうまく回っていくような未来の人材を育む仕事だと思うのですが…。 なるほど。そうであるならば、「進学実績だけにこだわったり、目新しいことをして新聞に載ったり、そんなことばかりが評価の対象になる」ことは正しいです。 だって、世の中の民間企業というのは結局成果で評価されるからです。そして成果とは何ぞやといえば、それは利益を上げること、つまりお金を稼ぐことです。民間企業にとって目新しいことをしてマスコミに紹介されることは全く素晴らしいことになります。 ここに、教育と資本主義のどうにもならない問題点があります。教育は、目に見える成果が全てではありません。「人格形成」という目で測ることができない重要なテーマがあり、突き詰めると教育とは「人間とはいかにあるべきか」というところにいきつきます。 そういう中では、社会で目に見える成果を出せない人にも存在意義があり、それを社会の中で、あるいは自分自身がいかにあるべきかということもとても重要なテーマとなります。 しかし資本主義社会の中では、結果を出せるやつが絶対正義です。発達障害なんかを抱えていて組織の中で異端になるような人は給料分の働きをしていないからすぐに辞めてくれ、いなくなったら他の人材で穴埋めする、というのが資本主義社会です。 小中学生の教育であれば基礎知識を与え、基本的な社会性を身につけることでだいたいなんとかなるとは思いますが、高校生ともなると卒業して社会人になる子もいるわけですから、資本主義社会に対する教育も重要です。 資本主義社会で揉まれてきた人間からすると、質問者さんの崇高な理念も「教育の世界以外を知らない世間知らず」にしか見えない部分もあるんです。だってさ、大学院を出たのは立派ですが、自分がいくら税金を支払っているかっていうのは分からないでしょう?かつての教え子に「ブラック企業で搾取されています。どうすればいいですか?」って泣きつかれてもどうすればいいかアドバイスできないでしょう?生命保険の仕組みについて生徒に教えてあげられますか。 質問者さんは、教育の世界で生きていますから大学院で学んだことも役に立ちます。そういう世界にいますから。でも、皮肉なことにその教えを受けた生徒はその崇高な理念の教育を受けても社会人として生きていくときに悪いやつから騙されないようになるにはあまりに無力なのです。 だから高校の教員に俗物ばかりがいるのは、もしかしたら悪いことではないのかもしれません。なぜなら、いずれ子供たちはその俗物たちにまみれた世界で生きていかなければならないからです。できれば社会にでる前にその洗礼を受けて免疫をつけておいたほうがいいという考え方もありますよね。 私が今のゆとり世代の子たちが可哀想だなと思うのは、学生時代はずっと「競争は悪。結果が人生のすべてではない」と教えられたのに、社会に出たら途端に「結果を出せ。結果が全てだ」と180度違う世界に放り込まれることです。だから最近の若い子はすぐに会社を辞めるっていいますけれど、それだけカルチャーショックが大きければ社会不適合もそりゃ起こすだろうさと思う部分もあります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご回答者様のご回答には盲点があります。この社会には、家族間の介護や専業主婦・主夫といった、資本主義と間接的にしか関わっていない人たちの下支えがあって成り立っている部分もあります。その中で「成果が全て」と言い切ることはできるのですか?また、人と人との助け合い、ボランティアといった善意の部分で繋がった人間関係もたくさんあります。私は、それらのこと「全て」を大事にするべきであって、いずれかに「偏るべきではない」ということを申していることをご理解のうえでしょうか? また、 >「ブラック企業で搾取されています。どうすればいいですか?」って泣きつかれてもどうすればいいかアドバイスできないでしょう?生命保険の仕組みについて生徒に教えてあげられますか。 についてですが、社会人なら普通知ってるんじゃないですか?労基署のことや、資本の仕組みくらい知ってるのは大人として当然ですよね? 我々教員世界にも「コンプライアンス」は当然ありますし、労働基準法や職務規律などの細かな制度・仕組みは当然存在します。 まして、地歴公民科の教員などは、明治維新後の日本の世の中、世界経済の歩み、日本の高度経済成長期からバブル崩壊、リーマンショックなどの社会の変化をよく俯瞰して捉え、そのうえで「今の高校生がこれから歩むべき道」を教えるべきでしょうし、実際にそうしている教員も中にはおります。というか、そうあるべきでしょう。 私の批判は、そういう「社会人として当たり前のこともわかっていない教員」に対する批判だということをお判りでしょうか? 俗物ばかりの方がよいわけがありませんよ。本当に世の中をわかっている人間が「俗物」などになるわけがないからです。俗物というのは「偏りがある人間」でしかありませんよ。申し訳ありませんが、ご回答者様のご回答は、何に対するご回答なのか主旨が見えません。
補足
>私が今のゆとり世代の子たちが可哀想だなと思うのは、学生時代はずっと「競争は悪。結果が人生のすべてではない」と教えられたのに、社会に出たら途端に「結果を出せ。結果が全てだ」と180度違う世界に放り込まれることです。だから最近の若い子はすぐに会社を辞めるっていいますけれど、それだけカルチャーショックが大きければ社会不適合もそりゃ起こすだろうさと思う部分もあります。 これは中学校までの教育のことではないですか?高校では、ここに競争が加わってきます。だからこそ大変なのですよ。世の中に出す前に、競争社会を生き抜く力も培っていかなければならない。3年間で足りると思いますか!?競争社会で生き抜く・・・そのためには強い「自尊心」が必要なのです。では自尊心はどのように育むのですか?社会に出た時に折れなくて済むしなやかさを養うためには何が必要だと思いますか?その教育の難題がおわかりいただけませんかね・・・?
「社会で自分を生かせる個性の伸長」、というのは間違っていないと思います。しかし、「持続可能な社会の実現」というのは、どういうことですか???逆に質問して申し訳ありません。国連でさえも解決できない問題を、「現代の高校生に求める」のですか??? 勉強ができたり、得意なことがある子には活躍の機会を与え、才能を伸ばします。……「勉強ができたり」、「得意なことがある」子は、自分でやります。 そんなことよりも、卒業してからも「本当に困っている子」に、将来を導いてやる気持ちをお持ちですか???あるいは、それだけの情熱を持っておられますか??? また、不登校などの問題を抱えている子どもには、自分のマイナス思考に捕らわれないようにアドバイスし、先を想定して具体的に行動することを示唆し、他の人との関わりによって視野を広げるように、根気強く向き合います。……向き合っていますか???向き合っているのであれば、そのまま進めていけば良いことです。生徒からの信頼が必ず得られます。 教育活動とは、地味なものだと思っています。……派手にしましょうよ。きれい事を並べるのではなくて、先生の力を復権するべきです。 納税者を増やし、……教育には関係ないでしょ。これを理解できないと、ご質問自体、単なる「自己満足」に終わってしまいます。 視野は広くなければならないと思います。……そんなことよりも、まず、生徒が、また卒業してからも、困ったときに、相談に来てくれるような先生であるか、どうか???、そして、その相談にきちっと対応し、方向を見いだしてあげられるのか???が問題だと思います。これは、文章上の「きれい事」では済まされません。 「これが本当に高等教育まで受けてきた人たちの実態か!?」と思ってしまいます。……まずは、今の学校を実名に挙げ、実例で闘ったらどうですか???すぐにニュースになると思いますし、あなたの応援団で、日本が沸き返ると思います。そこまでやるなら応援します。 進学実績だけにこだわったり、目新しいことをして新聞に載ったり、そんなことばかりが評価の対象になることが許せません。……あなただって、「大学院に……」と言っているではないですか。 真面目にコツコツと働いている人たちがいるから保たれている平和が、……あなたにとって「平和」とは、何ですか???もう少し「平和とは???」と言うことを真剣に考えてください。 自分の言いたい放題意見するだけの単なる目立ちたがりの我が儘を「個性」と呼んだり、 他人を見下して自分の利益だけを取っていくことを「優秀」と呼んだりする人たちによって搾取されることが許せないんです。……あなたもそうではないという自信がありますか??? 一番許せないことは、教員自体が一番そうだという事実です。……あなたも教員ですから、まずは学校で闘って下さい。 公務員は、社会秩序を恒久的に維持するための仕事であり、教員は、社会が維持されうまく回っていくような未来の人材を育む仕事だと思うのですが…。教員だっていろいろあるから、公務員とは関係ないと思う。 でも結局、学校の先生になるような人たちは、自分が周りに認められたいだけの優等生の「いい子」ちゃんがそのまま大人になっただけで、自己承認欲求の方が強く、……あなたもその分類に所属していませんか??? すみません、ただの愚痴なのですが、何かアドバイスをいただけると気持ちも楽になるのではないかと思っています。……自分の愚痴に、自分で陶酔していたら、教師なんて務まらないと思う。 あなたに対する批判ではありません。聞きたいことがあったら、一般人として出来るだけのことは答えます。
お礼
まず、私が申し上げた「持続可能な社会」というのは、地球の環境問題のことではなく、日本国憲法における公共の福祉及び福祉という意味においてです。当然ですが、就労せず納税しない人口が増えれば国家は破綻します。ご回答者様は納税と教育は別と仰られていますが、では逆に教育とは何のためにあるのですか?社会人として個々の役割を自覚し、果たすことができる力を育む「前提」の基にあるのが教育と思います。 そして、私が思う平和とは、互いが互いの意見を尊重し合ったり、時には妥協し合ったりして「共存していこうとする意識を持つこと」だと思います。 つまり、偏った考えで特定の考えの人間を排除したり、屈曲した考えの下に生徒たちを支配することが問題だと私は述べています。 また、ご回答者様の「質問返し」につきましては、少なくとも私は、全て「私は慢心はしておりません」とお応えすることができる気概でおりますし、ここで愚痴を吐きながらも、もちろん現場できちんと勝負もしています。現場の教員が机上の空論だけを述べるわけがありません。私自身は、普段生徒たちからよく相談を受けますし、卒業した生徒たちからも連絡が入ります。また、私が「教員の仕事は地味」と述べたのは、ご回答者様が仰るところの「地味」とは意味が違います。地味=地道にコツコツと、という意味であって、日の目を浴びないとは申していません。また、他の回答者様が述べていらっしゃるとおり、ボランティア精神がなければ務まらない職であると思っているため、「見返りを求めるのはおかしいだろう」という意味で述べただけです。 また、公立高校の教員は「地方公務員」です。つまり、公務員です。ご存知なかったですか? ご回答ありがとうございました。
- iwashi01
- ベストアンサー率17% (187/1051)
ご自分のやり方が、他の人間に認められないのが許せない、という「自己承認欲求」をお持ちのように見えます。 地味な活動や、真面目にコツコツは尊いものだと思いますけど それだけが尊いわけでもないし 出る杭を叩くようなことは醜いと思います 何にせよ、1つの価値観を絶対だと押し付けずに、 いろいろな世界があることを子供に示してあげてください。
お礼
ご回答感謝します。 そうですね、他の多くの人が、自分とは違うやり方をもっと受け入れられる世の中であってほしいなと切に願います。 ありがとうございました。
補足
ご回答者様は私の質問に返していただいただけなのですが、すみませんが、他の方に申したことと同じことを再度述べる気持ちにはなれません。 私は、他の目立った功績や成果も評価致します。「よいことはよい」と素直に素晴らしいことは評価致します。 本当に視野が狭いのはどちら側か、お考えをいただけないか、お願い致します。
- nekosuke16
- ベストアンサー率24% (903/3668)
公務員とは、というよりも、教育者とは「未来の人材を育む仕事」だからこそ、元来、教員の給与は一般職員と比較して高く設定されていたのです。 ただ、教員の給与水準の問題ではなく、公務員全体として、人材としての教師の在り方や考え方、思想を持つ以前に、国が恩恵を与えてしまっている現状があります。 勿論、教師の仕事の大変さは、制御不能で、まだまだ発展途上の子供たちを未来に導く道しるべとしての役目柄、他の公務員とは比較にならないほどに難しく大変な仕事であることは重々承知の上で尚、高尚な教育精神の上に、国による恩恵がぶら下がっている。 恩恵とは、つまりは金。 割に合わない仕事の質と量に、もし、折り合いを付けるとしたら金銭しかないですからね。 そして、それは、あくまでも現実的な実態であり、そこでは個人の生活、人生設計が優先される。 そんな意味では「公務員としての本来の然るべき志」とは、かつての理想であり、今や、教師も、かつて高水準の給与を、その使命に照らして定められた時代とはかけ離れた、単なるサラリーマンと化したということでしょう。 ただ、友人の娘夫婦も、揃って教師をしておりますが、お互い帰宅の時間も遅く、自宅でのんびりすることもできない現実もある。 教師がのびのびと子供たちを未来に導くには、教育現場の現状があまりにも過酷であり、本来彼らの持つ資質を、教育現場自体が潰しているとも言えなくもない。 貴方の考え自体は、全くもって正しいものと言えますが、教師も又、教師である前に一人の人間としての部分を考慮するならば、ある程度は致し方が無い気もするのですがね。 それに、教師を別な存在と考えたところで、公務員自体が将来に亘っての安心と安全を約束された故の自己保身の塊であることは誰でも知っていることですよ。 ただ、高校教師ということで、生徒個人には避けて通ることのできない人生の大きな岐路が、すぐ目の前に迫ってる訳ですから、他の教師の姿勢やあり方云々を嘆くよりも、今に目の前にいる、日々悶々と現実を模索する個々の生徒に集中してもらいたいですね。 案外、公務員に限らず、人間の理想を求める姿勢というのは実生活の中に埋もれてしまっているのが普通のことなのかもしれませんよ。
お礼
ありがとうございます。 そうです、人間の理想とは、生活の中に埋もれると思います。だから、「教育とは地味なものである」と私も表現しました。 ただ、他のご回答者の方も述べられていたように、今や高校は、ほとんど全員が進学する場所ですので、多くの中学生は「中学校の延長」で高校に来ます。ただでさえ少子化で子どもは減っている中で、不登校や無断欠席をする生徒を全て「選別」すれば、クラスの人数は半分ほどに減るでしょう。それが高校の実態です。 その中で私の思う高尚な理念を持った教員は ・不登校生徒に密に連絡を取り、丹念に指導を続けている ・欠課の多い生徒の欠課時数や単位数を数え、管理し、学校を続けることの意義を生徒と一緒に考えている ・日頃の雑談を通して生徒一人一人の中・長期的目標を共有している ・自分の学校の生徒が行ったよい行いは、自分が関わっていない生徒のことであっても一緒に喜ぶ ・生徒の成果や作品に一緒に感動する ・他の教職員の仕事バランスに気を配り、円滑に進むように配慮や気遣いをする ・最大限努力してもうまくいかなかった時には「仕方ない」と受け止めることができる このような教員と思います。 そして、ご回答者様が仰っていたサラリーマン的教員は ・仕事中の雑談が多く、生徒のこととは関係のない話で盛り上がる ・生徒の行ったよいことへのアンテナがない、無関心 ・新聞や対外的な大きな業績に食らいつく ・表面上だけ「いい先生」を繕い、妙に厳しかったり、物事の善し悪しの判断基準が曖昧・主観的 ・できない生徒に「何でできないの?」と追い詰め、指導責任を負わない ・生徒の話をよく聞かず、簡単に通信制に転校させる ・能力のある子に寄ってたかって面倒を見ようとする このような教員です。 私が嘆いているのは、きちんとした理念で働く教員の数がもっといないと、真面目な教員だけでは「とても回らない」ということです。もういっぱいいっぱいです。 通信制を否定するわけではありませんが、子どもたちを無碍に「楽な方へ、楽な方へ」と簡単に切り捨てるのも違うと私は思っています。 「教師も人間」とは言いますが、教師より先にまず生徒が人間扱いされているかが問題です。同じ労働時間でも心の持ち方を変えないとまずいと思います。自分の権利主張の強い教員ばかりです…。 ご回答者様のご回答には本音を吐き出しやすかったです。お心遣いありがとうございます。
補足
ご回答者様への反論ではないことをご理解ください。 一般的に、民間の方たちは、教師に「ああしろ、こうしろ」「教育とは○○であるべきだ」とか「教師たるもの○○」と理想を厳しく追及してきます。 しかし一度、教育現場の実態がわかると「教師も人間だから」と無責任にも意見を都合よく変えたりします。 私は、そういった無責任な発言自体も好ましく思いません。 まず、教育は社会全体の問題であって、教育予算や税金の使い道、経済とどう関係しているのか、福祉との関連はどのようになっているのか、 そのようなことを自分事として考えてから発言していただきたいと常々思います。 何でもかんでも厳しく追及すれば世の中がよくなるとでも思っているなら大間違いです。「じゃあ誰がやるの?」と問われた時に、「自分に何ができるのか」を考えていない人間の発言は無責任以外の何物でもないのです。 その点、ご回答者様のご意見は、実状をよくご理解いただいたうえでの好意的なものでした。 ありがとうございます。
- copemaru
- ベストアンサー率29% (895/2998)
すみません。手が当たって送信されてしまいました。 質問者様の学校の個性を求めて生徒が入学し、その生徒をその学校の生徒らしく育ててください。それこそが社会と生徒と保護者が先生方に期待する事です。
お礼
ご回答者様のご回答は最もだと思います。 私も今、専門学科に勤めているため、必要とされている能力やスキルを備えて卒業させてあげられるよう努めたいと思います。 ありがとうございました!
- copemaru
- ベストアンサー率29% (895/2998)
小中学校と高校の違いをご理解なさっていらっしゃいますか? 義務教育と違って高校の目的は選別です。 ですから進学校もあれば、職業系の高校もあるのです。中には収容所に近い学校もありますが、それぞれの高校に存在意義があるのです。 教育の目的はフツーの生徒を育てる事です。誤解しないで頂きたいのですが、高校生全体を平均化して型に嵌めるという意味ではありません。個性は学校にあって、その学校に相応しい生徒を育てる事がその学校の先生の役割なのです。恐らく納得していらっしゃらないでしょうから、具体例を挙げましょう。東大と日体大、東京芸大は、それぞれ日本を代表する名門ですが、
お礼
不躾ながら申し上げさせていただきますが、そのような基本的なことも理解していないと思われたことは非常に不愉快です。 まず、「社会」とは、地域社会、日本社会、世界、の全てを包括しています。基本的には地域社会が主軸になるでしょう。しかし中には、地域を離れ、他の土地で生活していく生徒もいるわけですし、他の地域のことを理解できる教養がなければ生活もしていけません。 私が抱いている不満は、その「学校に求められている育むべき生徒像」を生徒と共有できるような、生徒たちとのコミュニケーション能力のある教員が少ないということです。 一方的に決めつける、自分の価値観だけで判断して相手を尊重しない。 そういう教員は、生徒だけじゃなく教員に対しても結局同じなんですよ。 続きは次のご回答に書かせていただきます。
補足
実際には、高校全入時代となり、中学生は「中学校の延長」で高校に入ってきますので、仰るところの「選別」を行っていけば、生徒は半分くらいしか残らなくなってしまうような現状です。 そんな生徒を地域社会が求める水準にまで教育するためには、地道な努力と熱意による手厚い指導が必要です。 私が質問で述べた教員の実態から、その様子は読み取れますか? 私は「教育とは地味なものだ」と述べました。地道に育てる仕事なんですよ。 むしろ、旧態依然のまま時代に適応しない教員の体制に問題があると思いますが… 学力重視で、学校に合わない生徒は「選別」し、目立つことや真新しいことにだけ飛びつく教員のあり方が「現代に合った新しく適切な教育」とは思いません。その古いやり方を通していけば、上記しましたように半分くらいの生徒は学校を辞めていくでしょう。 そんな中で、高校に求められることは何かを考えています。 問題は、生徒の価値観への理解の不足、コミュニケーション力の不足、主観的なものの見方など、とにかく教員の総合的な勉強不足ではないですか?
- IDii24
- ベストアンサー率24% (1597/6506)
うーん。あなたの意見を読んでいると自分の理想だけを教育に押し付けてる気がしますね。あなたの方針に現代の子供が登場してこないんですよ。 学校なんかそんな大層なものではないですよ。学校で学べるのは人間関係だけです。むしろそこに重点を置くのが正しいと思います。 要するに他の教師に対して疑念を湧くような人間だと社会で上手く動けないってのをわからせるのが正しい教育です。はっきり言えば高校は学者を育てる場ではないってことです。もはや高校も義務教育化している状況。では小中と何が違うのかって言うのは、具体的に社会活動に近いことを教えるべき最後の段階だということになります。大学は学者を育てるところなので本来は。それに近々大学は専門分野だけを集中的に研究する部門になり、大多数の大学は存在も不要になる可能性があります。それはAIです。AIでは知識を詰め込むのは不要な生活になるからです。知識だけを持つ人間は存在価値もない。むしろ音楽とかダンスとかそういう人材の方が望まれるでしょうね。 ということになると高校というのは地域社会への貢献などを推進する人材を育てる場になると思われます。要するに学問を教えるところからどんどん離れていきます。教師にできることは「教える」のではなく「一緒に考える」ことが中心になると思います。 既に教師は子供の上に立つ存在では無くなっていることに気づいていますか?上に立つことを考えているなら改めた方がいい。我々のように前世代の最終に位置づけられた人間から教わることなどない。これから社会はすべてがジャンプします。ワープします。その時には切り捨てられる世代だと認識してください。 消えゆく世代が後世に残せることは「自分たちのしてきたことの愚かさの反省を残す」だけです。
お礼
そうでしょうか?矛盾はしていないと思います。 私はむしろ、回答者様に近い考えを持っています。 私の抱く不満は、従来の教育の価値観(自分が歩んできたのと同じレール)を押し付ける割に、生徒の活躍だけにやらた飛びつくような教員に対してです。私が不満を抱く教員は、やはり生徒からも好かれてはいません。 彼らは、もはや、これからの子どもたちが出て行こうとしている社会について行けていないんです。 私はよく生徒たちに「先生って、学校の先生っぽくないですよね」「ぶっ飛んでる」と言われます。また、「先生たちがみんな先生みたいに、広い視野で生徒の価値観を尊重してくれればいいのに」とも言われます。過去には「学校の先生という存在が嫌いだった自分が唯一同じ目線で親しめる先生でした」と言ってもらえたこともあります。 ご回答者様のご回答は、むしろ核心を突いていますよ。 だからこその不満であったことをご理解いただけるでしょうか?文科省の国立教育政策研究所も、各大学の先生方も、現代の教育の問題を端的に追究しているのにも関わらず、現場は遅れに遅れています。だから不満なのですよ。 ただ、社会の形や方法は変わっても、人間として変わってはいけない「心」や「精神」はあると思います。 もし学校がその基を育むべき場でないのなら、今の日本でそれを築くべき場はどこでしょうか?とむしろお伺いしたくなってしまいます…。 ありがとうございました。
補足
価値観や考え方、人生の選択は人それぞれでも、「周りの人を大切に」「家族を大切に」「自分と周りの人両方が笑顔でいられる選択を極力努めなさい」など、学校が教えるべきことはたくさんあります。 勉強や学問にばかり価値を置いて考える日本の風潮そのものが、日本の高校教育の目的やあり方を却って見えづらくしているのではないでしょうか? 人として大事なことを諭すことと「上に立つ」ことは、そもそも同じベクトルの話ではないと思います。 でも、社会の秩序というのは、そういう「心」の教育によって保たれるのですよ? 学力だけ上げれば秩序は保たれると私が思っているとでも?むしろ逆です。 私も価値観に上下をつくり、教師が生徒の上に立つあり方には大反対です。 だからこそ、今なおその古い体制が直らない教育現場への不満です。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、何かアドバイスをいただけると・・・ A、自分だけが崇高な使命の達成に努力していると錯覚しないことです。 >ずっと抱いている不満があります。」 要は、誰よりも教育現場の上に自己の想いを置いているってことです。
お礼
ありがとうございます。 確かにそうです。他にも陰ながら努力されている方が、教育の現場に限らずいらっしゃいますよね。 当事者意識が低く、みんなが自分の好き勝手をする世の中になれば大変なことになると思います。 その末に見える苦しい状況がわからないのかなぁ…と悲しくなりますが、 確かに、同じ思いで頑張っている人がいることも確かですし、世界には自分たちよりずっと辛い状況で一生懸命頑張っている人もいますよね!! それでも自分は幸せだと思って悲観的な気持ちを捨てるよう努めます!
お礼
ありがとうございます!頑張ります。