質問者さんは何処から、そのような間違った情報を聞いたのでしょうか。
柳田國男著『山島民譚集(一)』によると、林子平の父、林笠翁(岡村良通、1767年没)の随筆『寓意草下』の中に
「、、、化物カト驚キテ更ニヨク檢スレバ、竹ノ尖ニ馬ノ髑髏ヲ挿ミ古薦ヲ纏ハセタル山田の案山子ナリシ事ヲ記セリ」
と書いてあります。この文章から、案山子(かかし)は明らかに江戸時代には存在していたことが判ります。
また、柳田國男の『年中行事覚書』の「案山子祭」の項には、古事記に出る「山田の曾富騰(そほど)」や、旧暦10月10日の「案山子祭」や、さらに10月15日のカガシアゲについて触れており、案山子と田の神との古くからの関係を論じております。
お礼
yuhkohさん、ありがとうございました。よくわかりました。