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神と仏はどう違うのでしょうか
あまり違わないのかとも思いますが何か大切な点で違いがあるでしょうか。
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現在の日本語の「神」という概念が広いので一概には言えません。 この概念も時代によって違いがあります。 本居宣長の言葉として 「何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり」というのが有名ですが、 この他に「すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」 と範囲を広げて言っています。 新井白石は 「神とは人也。我国の俗、凡其尊ぶ所の人を称して加美といふ。古今の語相同じ。これ尊尚の義と聞えたり。今字を仮用ふるに至りて、神としるし、上としるす等の別は出来れり」 と言っています。 仏の原語の意味は「真理、本質、実相を悟った人」と言う意味の言葉です。 仏教では「仏の悟りを開いた人」とされています。 タイなどの上座仏教(南伝仏教)では始祖であるお釈迦様だけを指します。 日本仏教の基である大乗仏教(北伝仏教)ではお釈迦様に限りません。 以上超大雑把に分けますと「神はそれ自体で存在するもの」で仏は「修行によって仏となり得たものだ」と言うことができるかと思います。 平たく言えば修行しなくても成ることができるのが神で修行をしなくては成れないのが仏です。 蛇足 神にせよ仏にせよ人智を超えた超人的な存在を概念的に言い表したものです。 概念などややこしいのでこれを人格化して分かり易くしたのが現在の神仏です。 このような意味でご質問のように「あまり違わない」とお考えになられるのもやむを得ません。 明治時代にキリスト教やユダヤ経のヤハウエ(エホバ)もイスラム教のアラー(アッラーフ)も神と訳したためにキリスト教徒やイスラム教徒の人達が持つ概念とはズレがあります。 日本に最初にキリスト教をもたらした宣教師達は日本の神と区別するためにゼウスという言葉を使いました。 仏教でも当初は人格化した仏像などはありませんでした。 インド北部のガンダーラ地方に広まった際にギリシャ彫刻を真似てつくるようになりました。 それまでの古い仏教寺院には仏足石と呼ばれる足跡を模式化したものが残されています。 ユダヤ教やキリスト教では現在もヤハウエを表す彫像はありません。 キリスト教では十字架にかけられたキリストの姿を象徴として使っています。 イスラム教では現在も一切ありません。
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- fujic-1990
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古代の日本において、あれほど速やかに仏教が広まり、日本最高位の神主である天皇さえ(特に譲位後)仏教に帰依した理由(出典は忘れたが誰かの本に書いてあった説) (1)神様は祟る(たたる)が、仏様は祟らない。 仏が与えるのは「仏罰」。親が子を罰するようなもの。罰は、仏典などで事前に「悪い」とされることをしなければ回避できるわけで、なんとかなるイメージ。但し、坊主は殺されると「七代祟る」らしい。 祟りは、曖昧模糊とした、分からない事(神道には教義=善悪判断の物差しがない)で発動する。祟りが生じてから、人々はあれやこれやと原因を憶測し、心当たりがあると、ひたすら後悔し苦しむしかない。故に、古代の人々は「祟り」を異状に恐れた。 (2)神様は死後を語らず、仏様は死後を語る。 神様は死後の世界を忌み嫌い、死後については口をつぐんで語らない。そのため、死ぬ運命にある人々は死について恐れ、欲求不満となった。 仏は、当初は主に国家鎮護(故に大仏などができた)を唱えたが、後には人々の需要に応じて死後を論じ、人々を安心させた。因みに、「安心」も仏教用語(安心:あんじん)由来だったと思う。
お礼
ご教示いただいた内容を大切に参考にして考えたいと思いました。
- hekiyu2
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人間が神のようになったのが仏です。 仏教には本来、神は存在しません。 だから、人間が修行して悟りを開き、神に なろう、というのが仏教です。 ただ、日本の神、というのは多義的で、 人間も神になることがあります。 日本に限って言うなら、神と仏の間に、本質的な 違いは無いと思います。
お礼
ご教示をきちんと理解できるようによく考えてみたいと思います。
- tyr134
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「仏」と一言で言っても,色んな定義があるのでなかんか答えを出すのは難しいかもしれません。 取り合えず原則論的に言えば「仏」とは「初めて悟りを開いた人間,ゴータマ・シッダールタの事」転じて「悟りを開いたもの」を「仏」と呼ぶようになります。 ブッタというのは,「目覚める」を意味するブドゥ語から来ています。 また,釈迦という言い方もシッダールタの出身部族である「シャーキャ族」から来ています。 ゴータマ・シッダールタはシャーキャ族の王子でした。 所が四つの門に四つの煩悩「 生・老・病・死」を表す老人、病人、死者、修行者がそれぞれいました。 それを見たゴータマは出家をして修行の道に入ります。 そして,悟りを開き世界の真理を知ったといわれています。 その仏に憧れて,何人もの弟子ができ各地に伝搬していきました。 この伝搬の過程で各地の土着信仰や宗教を取り込みながら,現在に至りました。 日本では神仏習合なんて事も起こりました。 簡単に言えば,日本神話と仏教との融合でしょうか。(江戸・明治には逆転して神仏分離が流行ります) どこの神社だか寺だかにはこんな話が残ってるそうです。 とある祠に祭られてる神様が、仏のところにやってきて「最近は誰も祈りに来てくれず力が衰えるばかり。何かいい方法はありませんか?」 すると仏さんは「出家して悟りの道をすすみなさい」 ちょっと細部があやふやですが、神さまが仏さまにお伺いをたて,仏さまが神様に説法してるんです。 この裏には「本地垂迹説」という仏教・神道・政治情勢が絡まった所謂宗教論争的な動きがありました。 簡単にこの説を言うと、「菩薩や仏陀がかりに神の姿をとって助けに来てくれる」って感じです。 日本の「本地垂迹説」に則ると,神様より仏さまの方が偉い!! と,日本の例で言えばこんな感じかと思います。 キリスト教側でも似たようなことが在りましたが,豊臣秀吉や徳川家康などが弾圧したこともあって流行りませんでした。 今回は日本の事例だけですが,参考になれば幸いです。
お礼
やはり人間には人間に似せて考えるという限界を超えることはできないのでしょうね。
- oteramairisuki
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仏は実在の人です。 仏とは狭義では仏教の開祖である釈迦の事を言います。 そして広義では仏教を信心する人は亡くなった四十九日後に仏になります。 先程書いたように仏とは釈迦のことを言いますが(要するにすべての仏は釈迦の分身という考え方です)神は現在生きている人でもその人のことを信じている人の中では神と呼ばれています。またいろいろな具象に神がいると信じられているものです。 TVのドラマやバラエティなどでもめちゃ面白かった番組のことを「神回」 AKBの伝説の最初の公演を見た人、もしくはその時点でのTOP7のことを「神7」などといいますが、決して「仏回」や「仏7」とは言いません。 仏とは教義では釈迦のこと。また広義では仏教を信心している人が死後四十九日を過ぎて仏になると信じられていることです。 神とは、いろいろな具象に対してそれを信じている人によって名付けられるもの。仏も神の一種であること。物にも神がいると信じられている場合があること。自然(山、川、大地、道、お天気)のものでも神があると信じられていること。トイレの神様などという歌もありましたが、台所の神、酒造りの神など、森羅万象のものにも神はいます。 長々と書きましたが私なりの仏と神の違いです。
お礼
いわゆる一神教の神と多神教の神とは違うのでしょうね。仏教から離れた仏というのは考えられないのでしょうか。
- g27anato
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えーと… たしか、宗教によって神と呼ぶ存在の範囲が違ったかと…。 で、仏教では多くの神が存在していて、その頂点に立つのがお釈迦様だったかと。 …仏はつまり神なんです。 また、宗教によっては神は人を造ったとされてます。 また別の宗教では、人は死んで天に昇れば仏の一員になれるとも言われてます。 天上界は神の世界ですから、 その神が地上に神の子として人を造り人間界として、そこで死ねば人は天に召されて神の弟子となる。 仏教では人が死ねば仏様ですね。 仏様となり、お釈迦様の最下位の弟子となるのでしょうか。 そういえば、神の僕という存在もありましたね。 よく分からないけど、 神の世界も仏の世界も、立場の捉え方や呼び名は少しづつ違うけど、 やはり同じものなんじゃないかと思うんですがね。
お礼
やはり同じものと考えてよいということでしょうか。
お礼
人智を超えたものというのが共通なところということになりますね。