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神も仏もあるものか。
毎日、毎日、神様・仏様に手を合わせてます。先祖供養もしてます。 でも、ここんところ悪いことだらけ。 『神も仏もあるものか』と失礼ながら思ってしまいます。 こんなこと考えませんか? 非難されると思いますが。
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良い事も悪い事も自分の気持ち次第です 普段病気しないと健康のありがたさが解らない様に 平凡な毎日がほんとうは、幸せなのに気が付かない様に 他人が見てなんて可哀想!って思っても意外と本人は平気だったり 自動車事故にあって命が助かって幸運だと思うか 事故にあって不幸だと思うか すべてあなたの気持ち次第です 参考になるかわかりませんが キリスト教で 毎日神に感謝し、お祈りをし、尽くしているのに暮らしが楽にならないと言う者がいた 神は、その人に対しその驕れる気持ちが罪だとおっしゃた 祈るだけで他人の事も省みない・・・それではいけないと 頑張って下さい!! 冬が過ぎれば絶対春もやってきます。
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- SCNK
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神及び神々並びに仏などは、本来、現世的利益を求めるものではありません。せいぜい、道教系の神がこれにあたるかもしれませんけどもね。 宗教を、何か救いを求めるもののように勘違いされている方が多いのですが、宗教というのは、信じて、すべてを帰依するものなのです。つまり人生そのものをささげだし、宗教のために生きるものなのです。 宗教に何かを求めるのは間違いで、逆に宗教のために生きるのが信仰です。 ここのところ悪いことばかりというのも、神の与えた試練だったり、神が予定しているものだったりするものでしょう。
- baster
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手を合わせたり お賽銭をいれたりしても結局は神に対して何もやってないことなので・・ 神に対して自分の願望ばかりを言って、自分は神の望みを聞かないならば 神も望みを叶えたくないですよね 聖書でも神は何回も人間を救おうとしているのに何回も神を裏切ってきていますし。 それに創世記の初めでアダムとエバが堕落してしまった時点で 本来の神と人間との関係が切れてしまい人間は悪側の立場に立ってしまったので 神も人間の事を助けたいと思っても 悪側の人間を助けたとなれば全知全能、絶対的存在である神の正義が絶対でなくなり矛盾してしまうことになります 簡単に説明すれば法律を作った人が自分で作った法律をやぶるということと同じです
- yonige
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毎日 神様 仏様 ご先祖様に手を合わせています でも悪い事だらけ ひよっとして あれもこれもお願いしていませんか 幸せになりますように 健康でいられるように 金持ちになれますように いい成績になれますように これらは全て神様にこうしてくれ と命令していることになります 命令すれば厚かましいと反発されます 期待に反して悪い事だらけで 神も仏もあるものかと思うのでしょう ではどうすれば良いのでしょうか お願いするのではなく 今日も有難う御座いました と感謝の念を持たれるのがいいでしょう ついでながら 神社にお参りした時お賽銭の過多は関係ありません 高額だからご利益を期待されたとして も それでは貧乏人は永久にご利益に授かれませんので
- Sombart
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神義論、というジャンルがあります。 「神は正義なのか?」という疑問に答えようとしたものです。 これの結論をアバウトに言えば、「人間の考える正義で神を図ることはできないんじゃないの?」という所ですね。 これはキリスト教の話ですから、「神も仏も」という日本神道の概念とは直結しないのですが、神仏に世直しを期待するのは、端的に言えば筋違いなのですよ。 キリスト教の God は造物主なので、現状をゼロクリアするような大改革的世直しをする能力は持っていますが、その基準が人間には理解できません。日本神道の神仏は、今となっては仏教的因果応報のルール(=法とかダルマとか呼ばれます)に支配される存在ですから、大改革などそもそも能力的にできません。 世の中を良くするのは、個々の人間の行動の積み重ねの結果です。悪くするのも同様に。
- tomichan
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私も有りますよ! 死んだ親父曰く、戦争で半部位の人が戦地で・・・。 親父生きて帰ってきたのですが、それ以降神も仏も信じないようになったとか。 生きてたのに?(運が良かったのでは) 私毎週墓参りし墓前で、商売繁盛・健康・金運等を願いますが、仕事関係?健康とりあえず病気・怪我無し・金運未だ宝くじ高額当選なし・ギャンブル勝てず! 神や仏にすがっても、即効性の効果は有りません? 神も仏もまだ私の順番が回ってくるまで年月が掛かりるそうです。(先着順と夢に出てきました!) 何時かは叶うと信じる事ですかね?(死ぬ前に間に合えばいいか)
>毎日、毎日、神様・仏様に手を合わせてます。先祖供養もしてます。 立派な事を続けておられますね。現代人にはなかなか出来ない事です。 >でも、ここんところ悪いことだらけ。 『神も仏もあるものか』と失礼ながら思ってしまいます。 うーん、残念な出来事が続いたのですね。長い人生、そんな偶然だって あるでしょう。例えばサイコロを続けて振れば出て来る目は乱数表のように 意味とつながりのない数字がだらだらと並ぶはずですよね。 ところが「1」の目ばかりが続いて5回も出る事だってあり得ます。 では見えない誰かがそうなるように操作したのか? そのように思う事も出来るし、「偶然のバリエーションの一つだよ 想定内!」 と流行り言葉を口にする事も出来ます。 人生上の問題は、そんな「現実」から何を引き出せるか、と言う能力の問題です。 悲観的な人は、その現実が続き更に事態は悪くなると想像しますし、 楽観的な人なら、気にしない、次はきっと良い事があるはずだと考えるでしょう。 そしてどちらの考え方がその後の人生に良い影響を及ぼすか、です。 まして、そもそも その「悪い事」が本当に間違いなく「悪い事」だったのか? と考えて見るのも必要でしょう。 風邪をこじらせて一週間も寝込んだとします。その挙句に「肺炎にならずに 済んで良かったね」と思う事だって出来るはずですね。 上で述べたように「風邪」という現実から何を引き出せるかという「能力」が ここで問われている、と真顔で考えてみるのも良いのでは…。 >非難されると思いますが。 あなたご自身の事です。誰も利害関係を持ちません。ですから非難する人もいません。 どうぞ、ある意味でお気楽に構えて下さい。
あなたは何か対価を求めて神仏を拝んでるのでしょうか。 神社に千円の賽銭を入れれば、少なくとも千円分のご利益を期待し、何も無ければ千円を損したと思う気持ち、それがあるから悪いことばかり起こると嘆かれるのではないでしょうか。 人生は長い道を歩くようなもので、坂もあれば穴もあります。 田圃のあぜ道で転んだのを嘆いて立ち上がれば、直ぐ先にマムシがいて、転ばなければ踏んで噛まれたかも知れない。 自分が死の床に付いた時、自分の人生を振り返って評価すればよいことで、ここ暫くの運不運などであたふたすることはありません。 この年になって思いますが、幸せそうに見える家庭にも他人に言わないだけで何か悩みがあり、不幸に思える家庭にも子供がやさしかったり、周囲の友人に恵まれたり、バランスが取れてるものと感じます。 長い目で見てください。
神か仏かどちらかに絞らないと、先方もあまりいい気持ちがしないのでは(笑)。 それはともかくとして 神や仏の存在は「何か(利益とか守護とか)を望む事」ではなくて 「昨日までの出来事を報告して、自分の明日の生き方を誓う」ものであろうと思います。 そして、その誓いに(つまり、神や仏に)恥じない生き方をすることで 神や仏は自分を見捨てない、という自信が持てる事だと思います。 そこから何か見返りが付いてくるのだろうと思います。 きっといいことがありますよ。
お礼
みなさん。ご意見ありがとうございました。