• ベストアンサー

神や仏を信じることはいけないことか

私は、38歳の普通の技術研究系サラリーマンですが、 宗教に入っているわけでもなく、特定の宗教の信者でもないんです。 ただ海外に行った時、時々宗教を聞かれるので「わが家は代々仏教を信仰しています」と言うくらいですが・・・ でも、私は神を信じていますし、この世に起こる様々なことは、何か偉大な力の意思によってなされていると信じています。宇宙が始まって、整然と星星ができて、万有引力があったり、そして人間という高度な知性を持った存在が生まれて、様々なことを考えてその宇宙のことが いろいろ解明されていったり・・。 何よりも人の生死に立ち会うときに、神はやっぱり居るんじゃないか と思うことがしばしばです。なんで生まれたばかりの赤ん坊はあんな に安心感、幸福感を感じるのかとか?人が死んだときはなんで悲しみ や感謝の気持ちでいっぱいになるのかとか?うまくいえませんが・・。 種としての人間の存続のためだと思うんですがそもそも、なんで種を 存続させる意思が働くのかとか考えると偉大な意思があるように思え てなりません。でも、ひそかに思ってるだけで、会社や友人にそうい う事は言えないんですよ。神の存在っていうか、そういう力はあるの ですかね?あとなんで日本はそいういうことを社会の中でいいずらい 風潮なんですかね。宗教(若しくは神云々を喋ること)=悪なんです かね?海外では特に欧州などでは、友人の旅立ちの時などのときに 「GOD BLESS YOU」(その国の言語で) とか普通にいいますよね? 普通に生活していて時々疑問に思うことなんです。 なんか、乱文になりましたが、どう思うか、皆さんの回答を聞き たいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • flavas2
  • ベストアンサー率63% (200/317)
回答No.11

戦前の教育勅語とか修身教育、天皇を神聖視する【国家神道】は軍国主義に利用され大東亜戦争に突入しましたから、 戦後はGHQの管理下で全体主義や宗教から分離した教育改革がなされて教育基本法が制定され、政教分離、非軍事化された今の日本国憲法と制定されました。情報統制や宗教の分離は日本人の思想に影響を与えていると思います。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ◆連合国軍最高司令官総司令部(GHQ) ・情報統制、・非軍事化、・教育改革を参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E5%AE%98%E7%B7%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8 ◆国家神道 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93 戦前の過ちの反動からか、宗教教育のない戦後の教育を受けた人は無宗教感、無神論感の強い人が多いのではないでしょうか。あとの宗教観は個々の家庭教育に委ねられると思いますが。それも希薄になってきていると思います。 加えてメディアでは映される宗教というのはライフスペース、法の華、オウム真理教、摂理などカルトや【新興宗教の犯罪】(霊感商法、詐欺、強引な勧誘)が目立ちましたから宗教に抵抗のある人も多いんじゃないでしょうか?こういったことから宗教という言葉だけでもアレルギー(拒絶反応)を示す人は多いと思いますよ。 私は仏壇も神棚もなかった家で育ちましたから、どちらかと言うと無宗教で信心深くないのですが・・・。神や仏は信じてないのですが宗教道徳は有用性を感じています。メンタルヘルスという観点で心理学関係の本に限らず美輪明宏さんや瀬戸内寂聴さんの本とか読んだりしますから。実家は・・・真言宗だったかな?浄土真宗かも?ちょっと聞かないとわからないレベルです。 でも無宗教を装っていても日本人の死は宗教と密接に関わっています。 正月やお盆の概念とか、先祖供養(仏壇やお墓に参ったり)などは宗教行事ですから。そのうち少子化や核家族化が大幅に進みお墓の相続、法要などの施主もそのうち廃れるかもしれませんね。 世間の宗教=悪という感覚や宗教に対する無関心と共に失われるのは宗教道徳だと思いますよ。私も客商売をしていますがお寺の奥さんとかキリスト教の信者さんとかその他宗教の方も来ますが末端信者は話してみても信心深く良い人ばかりですよ。何事も組織として大きくなると問題が起こってくるのかもしれません。行き過ぎた個人主義や凶悪犯罪、モラルの低下を見るとどっぷり宗教も困りますが、別にキリスト教でも仏教でも良いのですが、もうちょっとだけ宗教に回帰してもいいと思います。自利利他の精神とか無財の七施(和顔施、愛語施とか)とか単純に悪いことしたら地獄に落ちるとかの観念ですが。聖書も読んでみてもいいと思います。人間の正しい生き方や在り方などが長い歴史の中で集大成されていると思います。 補足としては 接客業として宗教の話がタブーなのは、いろんな宗教の人がいてますから偏るといけないからという理由からです。政治の話も同じ理由からです。 つらつらと思い立ったことを並べましたが、ご参考までに。

CP20
質問者

お礼

なるほど。そういう側面があるんですね! ありがとうございます。 教育勅語は私もよく知ってます。家族を大切に!夫婦は仲良くししょう とか学業に励みましょう。とかを天皇陛下の言葉として書いてあるやつ ですよね。いい言葉だと私も思います。 聖書もよんだことあってなかなかいい本ですよね。 いろいろ教えていただきありがとうございます。

その他の回答 (10)

  • zyuniti
  • ベストアンサー率14% (13/91)
回答No.10

凄く変な言い方になりますが、日本人は宗教性(信仰性)が非常に強い民族だと思います。 というのも、元々あらゆる物に神が宿っているという考え(八百万(やおよろず)の神)が根本にありますので、 例えば仏教にしろキリスト教にしろ、その神様の内の1人だという解釈が底辺に有ります。 それ程日本人の神に対する考えというのはおおらかですから、沢山の宗教がこの国に有るんです。 他の国でこれほどの数の宗教や神様が崇められてる国が有るでしょうか?まず無いと思います。 それを証拠に日本古来の土着信仰や神道は、基本的に他の宗教(胡散臭い新興宗教等は別ですが)を否定しませんよね。 日本人は神や仏を信じていないんじゃ無くて、常に身近に神という存在を見い出している為に他の宗教や神様を気にしていないと言うのが正確だと思います。 乱文になりましたが、文意を読み取って頂くと幸いです。

noname#43126
noname#43126
回答No.9

質問者さんのおっしゃっておられることの前半部分何よりも~からそういう力はあるんですかね?に関してですが、それは哲学的な問いだと思います。  「産まれたての赤ん坊が安心感、幸福感を感じる」ことが問題なのではなく、「どうして大人たちは生まれたての赤ん坊が安心感、幸福感を感じていると思うのか」ということが質問者さんが本来問うべき問題だと思います。産まれたての赤ん坊の感情は誰も知る由が無いのに、なぜ人は赤ん坊を見てそう思うのか、ということです。その延長線上で人間がもつ悩みというものが見えてくるのだと思います。「感じない男」で有名な森岡正博氏が言うところの「自己否定感(簡単に言うと、今の自分はあるべき自分ではない、という感覚)」に関係があるように思えます。これを機会に色々な哲学の本をぜひ読んでみてください。  後半の宗教に関してですが、無宗教も宗教のひとつです。宗教とは信念(キリスト教で言うところの信仰告白)の形を指します。それを証拠に、世界中のキリスト教諸派は信仰告白の共有によって同じキリスト教であること(同じ神を信じていること)を確認しあっています。キリスト教であることを名乗ってはいても、この信仰告白を無視していれば某団体のようにキリスト教の一派だとは認められません。無宗教の人にだって「こういうときはこうする、こう考える」というような信念があるはずです。信仰とは何か特定の神にすがることだけではなくて、そのような信念(信仰告白)を持つことでもあるのです。Wikipediaでかまいませんから、ぜひいろいろと調べてみてください。  だからこそ無宗教者である私たちは自分自身の信念を捻じ曲げかねない宗教の侵入を拒もうとする。それは宗教者である方々が他の宗教を批判するときと同じ心理である。私はそう考えています。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.8

たくさん神がいれば議論する必要は無い。 するならば、融合させた時の話。 ようはオタクな話をする。こちらの方が好きなんですよ。 日本が合体モノが好きなのはそうなのかもしれませんね。 元々、宗教は宇宙の真理。星の数だけ真理は存在する。 だから日本人の手は長い。 一神教は自分の都合の良い星にしか興味が無い。 それ故に、たくさんの真実はどうでも良い。ただ己の正しさを信じて疑わない力を求める。 あとはこれに気付くかどうかですね。 日本教とでも答えておきましょう。 宇宙の真理全てが神である。と。

  • tryouts
  • ベストアンサー率31% (126/404)
回答No.7

日本人は議論の対象になってしまうような事から逃げるのが良いことと思っているのでしょうがないのでは? 特に宗教と政治ですよね。 海外で無信教と言ったら化け物でも見たように思われますし。 幕末から戦前にかけて見ればわかりますが、日本でも以前は政治・宗教を話す(議論する)ことはタブーではなかったんです。 信念を持って(時には命懸け、相手と合わなきゃ殺し合いも)話すことから、事なかれ主義に国民全体がなってきているんですよね。

  • a375
  • ベストアンサー率30% (439/1421)
回答No.6

大変バランス感覚に富んだお考えの持ち主でいらっしゃいます。そのような疑問をお持ちになるのは、日本における宗教の特殊事情と宗教家の衰退をも意味します。また別の視点から見ますと日本乃至は日本人の神とは>私は神を信じていますし、とお書きですが、具体的な神の名はお書きになっておられ無いのは神の存在を肯定なさっておられながらあくまで象徴的な存在、ある意味「抵抗不能な力」ともいう存在に対して「神」とおっしやっているように受け取れます。実はこれが日本人の宗教的感覚が海外で誤解される最大の原因とも申せますし、最大の特徴でもあります。其れはご案内のようにクリスマスの賑わいや、初詣の盛んな事と無縁では有りますまい。海外では宗教とは一神教です。しかし日本では八百万の神、至る所神の存在を認めるという緩やかな、いいかえれば無定見な信仰です。こうした環境で一神教の宣告は大変勇気のいる事です。>宗教(若しくは神云々を喋ること)=悪なんです かね? では無く勇気の問題、言い換えればその神たるものに対する信仰を世間に知らしめる事により、自分の立場を鮮明にする事に対する躊躇なのです。日本人社会は横並び社会、「和を以って尊し」ですから其処かクビ一つ抜け出すのは大変なことなのです。悪でなく恥に近い感情です。しかし其れは最初の申し上げた宗教また宗教家の衰退、おおげさに言えば宗教の職業化につながる事による弊害ともいえましょう。これは何も佛教に特定はしませんが、歴史的経過から申せばそうならざるを得ないのでは無いでしょうか。まだ申し上げる事がありますが制限がありますので、最後にお答えとしてはご自身の勇気次第であると想います。其れは宗教に帰依(属)されている方も沢山おられることが証明です。ただこのご質問からあなた様はいつか何らかの信仰をお持ちになる気がします。そのような素質の無い私から見れば羨ましい限りです。以上なんの論理的裏づけの無い愚見です。

  • googoomen
  • ベストアンサー率20% (15/72)
回答No.5

自分の考えはこう。 神様・宗教・仏様 どれも信じてないし、信じる気もない。 神様を信じてる人は、他教の神様とそれを信じる人を尊重しない。皆、自分の宗教だけが正しいと思ってる。 神様や宗教を盲信(狂信)してる人は、神様のために人まで殺す。 それもこれも、「神様」なんて概念があるから悪いんだと思う。 神の力も信じない。 神様を心から信じて人が救われるなら、発展途上国で餓死する人は、皆心から神を信じて救われてるはず。 神様は、さみしくて弱い人が作り出した妄想。 宗教は、神様の名前を使って、儲けようとした(権力を維持しようとした)誰かが作った物だと思う。

CP20
質問者

お礼

>神様は、さみしくて弱い人が作り出した妄想。 うーん。そうなんですかね。そうかもしれないと私も思ってきました。 ありがとうございます。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.4

私は大学でキリスト教における神の存在の証明という授業を とったことがあります。これまで高名な人々が神の存在の証 明を試みてきました。そして、あなたのような予定的な神秘 に触れることでその証明の根拠にしています。 それはパウロにおける回心とも共通するものがあります。 パウロはアテネでおかしなことを言う男だ、と揶揄されます が、パウロにとってはあちこちに異なる神を祭るアテナイ人 が信じられなかったわけです。 欧米人が宗教を公然と表明するのは、一神教だからです。 唯一の神に誰も異論は持っていないのですから。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.3

神仏を信じることは、ちっとも悪いことではありません。しかし、神仏の話をすることにはリスクを伴います。海外なんて、なお更ですよ。下手に宗教の話をして相手が違う神を信じていたら、かなり話がややこしくなります。 ギリシャへ行ったときのこと。現地で知り合ったムスリムの青年が、5~6人の仲間を紹介してくれました。ところが、「仲間を紹介するけど、彼らはイスラム圏のいろいろな国からギリシャに来ているため、口を開けば異なる政治信条の話になってしまい、すぐにケンカが始まるので、あなたの前では黙っていることにしたからね」と言うのです。事実、お仲間は、私に愛想よく微笑みながら「ケンカになったら申し訳ないので、僕たち、黙ってますね」と言っていました。政治と宗教の話は怖いです。インターネットのディスカッションを見たってそれは分かりますよ。 宗教の話は、相手もその信仰に賛同するか尊重していればこそ成り立つのです。そうでない限り、相手は、こちらを異端者か勧誘と見て恐れます。また、こと日本に関していえば、宗教を戦争に利用したという負い目を感じている人が多い、というのはあると思います。 なので、「ねえ、神っているんじゃないかって思わない?」と軽く言う程度や、たまたま話題が自然にそっちの方向に行ったときに、「実は僕、結構、信仰深いんだ」と言うのは一向に構わないと思います。ただ、神についてせつせつと訴えたりしたら、古今東西「あぶない人かも」って思われても仕方がありません。賢い宣教師は、耳を傾ける人にしか神の話をしませんよ。

  • rbpfx170
  • ベストアンサー率23% (105/449)
回答No.2

 神に仕える牧師様も、仏に仕えるお坊様もお金が無ければ生きていけないもので、宗教自体が利権の温床になっている現実があるからではないでしょうか。  高級外車に乗ってお経を唱えに来る時代です。  難しい、宗教論は解りませんし、解りたくないと思っています。  神は自分自身の心の中に存在していて、集団で拝み奉る物ではないと思いますが・・・。  宗教の自由は何人にも認められているのですから、批判することもありませんけど・・・。  人間の存在なんて、宇宙に比べたらあまりにも小さすぎる物ですよ。  参考にならないかも知れませんが、あくまで私的意見ですが・・・。

  • kiyocchi50
  • ベストアンサー率28% (456/1607)
回答No.1

質問は結局なんなんですか? 神や仏を信じる事の是非ですか? それにしては、文の内容的には違う気もしますし。 それとも、神や仏を口に出して語る事の是非ですか?

関連するQ&A