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流刑と言えば一人和歌?皆さんにとって流刑とは?

流刑と言えば一人和歌?皆さんにとって流刑とは? なぜ流刑された貴族は一人和歌を詠み率が高いのだろうか? (菅原道真、崇徳院、小野篁等) 文学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。

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  • fujic-1990
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回答No.1

 我々の祖先たちは、我が国(今の日本国)を  大八洲豊葦原瑞穂国中国 言霊の幸ふ国  と呼びならわしてきました。  言霊の幸ふ国(ことだま の さきはう くに)とは、「言葉には『言霊』という霊威が宿っており、言葉を発するとその霊力によって、その言葉に込めた願い(あるいは呪い)が実現する国」というような意味です。  これを「言霊信仰」と言ったりします。  なので、「都に戻りたい」という強い思いを込めて言葉を発すれば、言霊の霊力で都に戻れると、信じたのです。  ただ、道真さんたちは、教養・学識豊かな、身分ある方々。「都に戻りたい、もどりたい。ああもどりたいもどりたい」と言うダケ・・・ なんてことを、その教養が許さなかったわけです。  というか、教養あふれる言葉を発することによって、言霊自身を感動させれば、感動して奮い立った言霊の力で、いっそう早く願いがかなうだろうと、信じたのです。  それで、教養のない雑兵でさえ歌を詠った万葉以来の伝統に則り、彼らは、あふれる思いを和歌に託したのでした。

その他の回答 (2)

回答No.3

そうですか。流刑(るけい)された人は、一人(この独人りっていうのが大事ですね)多く歌を詠んでいるんですね。 一つは自己の無念の発露、合理化(ジャスティファイ)、存在の主張でしょうね。 多くの和歌がそういう傾向もあるんですが。 文学は不得手ですので、こういう回答しか書けませんでした。

  • kaitara1
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回答No.2

やはりリストラですね。多くの人は嘆くだけで歌にできませんが、平成万葉集は詠み人知らずの歌であふれていると思います。

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