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菅原道真の歌 梅の花は?
「こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな」(菅原道真 拾遺和歌集) 「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」 この歌の最後が違うんですが、どちらが正しいのでしょうか? 私は2つ目を高校の授業で習ったのですが。 それとも写本の違いなどでどちらも正しいのでしょか? 専門ではなく素人の質問ですので、素人でもわかる範囲でご回答をいただきたいです。
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この一週間、源氏物語/須磨の「恩賜の御衣は今ここにあり」に端を発して、道真の「九月十日」や會津八一の道真を偲ぶ歌を読みふけっていたところです。 Botticellianさんのご説明で、正しいと思います。 拾遺集→「春を忘るな」 大鏡→「春な忘れそ」 出典が明記されているかぎりは正解です。意味はまったく変わらないので、どちらも正しいと言えると思います。 あなたは、素人とおっしゃりながら、写本の系統によって内容が少々異なる古文書が存在することまでご存知ですから、「ゆれ」のレベルと納得していただければいいと思います。 なお、私も文学を少々かじってはいますが、専門家ではありませんので、的はずれの部分はお許し下さい。
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- Botticellian
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勅撰集である拾遺和歌集には「春を忘るな」となっていて、大鏡の時平伝では「春な忘れそ」となっていたと昔習いました。 ただし拾遺和歌集でも「春な忘れそ」と書いてあるものがあるかもしれません。 「宝物集」「十訓抄」など後世の話には「春な忘れそ」と見えるようですので、後に変化した可能性はあります。 これは山部赤人の「田子ノ浦に・・」と同じような経緯なのかもしれませんが、山部赤人の作品が百人一首で表現が変えられたような修辞的な理由は分かりません。 あと正しいか正しくないかということについては、両方正しいと言えるでしょう。(両方後世まで伝わっているわけですから)
お礼
的確な回答をありがとうございました。 山部赤人以降の説明は良くわからないのですが(なにしろ国文学は素人でして)ニュアンスで理解することにします。 読んでいた小説に「春を忘るな」となっていたのでおやっと思い、ネットで検索>両方がある>??の経緯での質問でした。 個人的には「春な忘れそ」の方が道真の歌としてはふさわしい気がします。なにしろ古代に近い時代の秀才で後に怨霊になった人ですから、現代人にわかり難いほうがふさわしいのではないかと。
- KYAKYAKYA
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この歌は太宰府天満宮にある「飛梅」を歌ったものですので、分かりやすく納得するためには、太宰府天満宮の資料を参考に考えてみたら如何でしょうか? 何せ「飛梅」の歴史と歩んだ神社ですから。
お礼
回答ありがとうございます。 太宰府天満宮で検索してみましたが「飛梅」(とびうめ?)については詳しいことを見つけられませんでした。 ただ道真を追って飛んで行ったのは初めて知りました。 将門の首が飛んで行ったのを思い出しました。おもしろいご教授ありがとうございました。
お礼
丁寧でわかり易い回答をありがとうぞざいます。 >写本の系統によって内容が少々異なる古文書 ああ、これも中学か高校の授業で聞いた話です。私事ですが小柄な穏やかで優しい先生が語られました。 回答をくださった皆さんに。 これ以上の多くの回答をいただくと、ポイントを差し上げるのに困ってしまうのでここで締め切ります。 皆さんありがとうございました。