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なぜアニメは文学の一部なのだろうか?
なぜアニメは文学の一部なのだろうか? 文学カテゴリー皆さまの ご回答のほど、 お待ちしております。
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文学が、より幅広い上位概念としてのカテゴリであれば、その作品性(文学性)を表す媒体として、下位のカテゴリにアニメーションが存在する、ということなのでしょうか。 文学の多くは、その物語の大筋や状況描写を言葉で直接的に表しつつ、人物や出来事の機微は言葉と言葉の関係性によって間接的に描写されるのでしょう。 アニメーションは、この文学の要素や構造を、美術や音楽といった他の要素に置き換え、直接的ないしは間接的に描写しているものですが、作品に内在される文学性というものは、文学と通底していると考えます。 ただし、問題はアニメーションに文学性が宿るのか、という部分です。 文学性の定義が曖昧であることは否めませんが、少なくとも、アニメーションになったからと言って文学よりも内容が「理解しやすい」わけではなく、文学で言われる「行間を読む」的な不可視の要素を、台詞以外の部分、表情や仕草などの映像的な描写により、可視化しつつも、直接的すぎずより曖昧かつ間接的に描写することがあるでしょう。 文学作品を体験する際、予備知識や認識力によって読者側が補完しなければならない要素があることは言うまでもありませんが、アニメーションでも同様に鑑賞者側での補完要素が存在することは、注視しなければならない点であり、これは映画作品、はたまた舞台芸術などとも共通していることと言えます。 アニメーションにおいては、脚本とも合いまって、それら補完要素の散りばめ方の妙が演出手法や表現技法として重要視され評価が決定するのだと思いますし、文学においてもその文学性の評価が、文章の背後に隠された作品世界による文章の巧妙の評価へと直結する点で同様と言えるでしょう。 日本におけるアニメーションだけでなく、世界的にもアニメーションは子供向けのものとしてカテゴライズされてきましたが、映像技術の発展における段階からは、必ずしも子供向けのものではありません。 このことは近年の国際映画祭におけるアニメーション部門や、アニメーションによる国際的なコンペティションにおける受賞作品の傾向からも伺えます。 アニメーションにおいて、もはや子供のみ、または子供を前提に大人も見られるといった作品は受賞はおろかノミネートさえされず、登場人物なども青少年を主軸にしたものはほとんどなく、人間心理や社会的課題などをテーマに、しっかりと文学性が担保された作品しか評価の対象とされていません。 例として、2016年に公開されるや否や、日本はおろかアジア各国をはじめ国際的にヒットを記録した「君の名は。」というアニメーション映画作品がありますが、爆発的な興行収入に対して国外の映画祭などへの招聘は皆無でした。 これは、典型的な思春期の青少年を題材とした商業的なファンタジー作品であり、文学性と言う意味ではまったく評価の対象にならないものであると判断されたからでしょう。 「君の名は。」が爆発的にヒットする中、フランスのカンヌ国際映画祭からアニメーション部門を独立させたアヌシー国際アニメーション映画祭(2017)において、かつて宮崎駿や高畑勲などのジブリアニメが注目集めて以来、約20年ぶりに日本のアニメーションが席巻します。漫画を原作とした「聲の形」、戦時中の光景がモチーフの「この世界の片隅で」など、後に商業的な成功を収める日本アニメも好評を博しましたが、長編部門のグランプリは日本からの「夜明け告げるルーの唄」という作品でした。 この作品は、一見すると少年少女を主軸にしたジュブナイル・アニメーションのようでありながら、鄙びた漁村の伝統と因習と情報化社会、災害、マイノリティの人権など、非常に今日的な世相を反映した作品であり、フィクションやファンタジー要素はありながらも現代的な文学としての色合いも保つ秀作と判断されたのでしょう。 しかし、この「夜明け告げるルーの唄」が長編部門でグランプリを受賞した以降、ふたたび日本のアニメはこれら国際映画祭の受賞から遠ざかっていきます。(もっとも、短編アニメーションは以前も以後も、日本産アニメはほとんど評価されていませんが) この理由は、日本におけるアニメーションは、多くがジュブナイル・アニメーションであり、簡潔に言えば、ジュブナイル小説が文学としてさほど評価されないの同様の状況であり続けるからです。 「君の名は。」のヒットや「夜明け告げるルーの唄」のアヌシーにおけるグランプリなどで、日本のアニメーション業界は、ジュブナイル・アニメーションを『自信を持ってつくる』ことに傾倒しているのですが、このことにより文学性の低さが際立ち、アニメーションが子供向けのもであるという以前から長く続く観念にも拍車がかかり、『アニメは文学の一部なのだろうか』という疑問を呈す状況になっているのだと思います。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。