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ずばり
徳川家康と前田利家が戦します。勝つのはどっちだと思いますか??
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信玄と謙信の川中島の合戦のような1:1の対戦であれば利家が勝つと思います。 関ヶ原の戦いのように複数の大名を動員した同盟軍どうしの戦いであれば家康が勝つと思います。 利家は個人的にも指揮官としても優れた才能を持っていました。 家康は政治外交に関して優れた才能を持っていました。 対峙に当たって想定する状況がどちらの才能が有効に働くかで変わってきます 関ヶ原の戦いが起きる1年ほど前に家康と利家は対峙していました(加賀征伐) 戦闘が行われる前に利家側は不利と判断して家康に恭順の意を示して戦闘を回避しています。 関ヶ原の戦いは軍事的に家康が強かったから勝ったのではありません。 合戦前の布陣でも西軍が有利です。 合戦前に家康は外交を繰り広げていて西軍内部が統一されていませんでした。 毛利も首謀者である石田三成が担ぎ上げただけの名目上の総大将でした。 家康は事前にこれを知っていて合戦開始時にも毛利軍の前を素通りしていました。 三成軍だけを目標に攻立てました。 三成が軍を起こしたのは秀吉が定めた五大老五奉行制を蔑ろにする家康を討つという極めて官僚的な発想です。 これに対して家康は三成を豊臣家に仇をなす獅子身中の虫と仕立て上げました。 これで秀吉恩顧の大名も家康に荷担します。 このような情勢下ではたとえ軍略に優れた利家が健在で西軍に荷担していても負けていたでしょう。 大阪の陣でも真田軍が獅子奮迅の働きをして一時家康を後退させていましたが大阪方は破れました。
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- あずき なな(@azuki-7)
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個人戦なら利家 団体戦なら家康 家康は野戦は得意ですが城攻めは下手です 利家は野戦も城攻めもバランスよく得意 同じ条件で戦えたなら若干利家が有利かも
お礼
ありがとうございます
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34531)
前田家の動員兵力が、朝鮮出兵のときに1万6千人くらいでした。そこから考えて、そのくらいかもうちょっと多めに見積もっても約2万人くらいだと思います。 一方の徳川軍ですが、関ヶ原のときの家康直率の兵力が約3万人。他に中山道を通って例の上田城で食い止められた徳川秀忠の軍が3万8千人です。 「攻者3倍の法則」といって、防御側に比べて攻撃側の兵力が3倍あると数が少ない側が勝つことはほぼ不可能になるといわれます。もちろん中には渭水の戦いのように圧倒的大兵力に対して寡兵が勝ったなんてこともありますが、それは野球の試合でいうなら9回ツーアウトから7点差をひっくり返して勝ったみたいなもので、滅多に起こることではないですし、家康はみすみすとそんな敗北を喫するような凡将ではなく、むしろ小牧・長久手の戦いで見られるような野戦の鬼です。
お礼
ありがとうございます
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9602)
naoki4865 さん、おはようございます。 確かに家康かも知れません。だけど、武闘派の7将のうち、細川越中だけは前田家の縁戚であるとともに宇喜多家の縁戚でもありました。だから、両方の仲を取り持ったと思いますね。前田利家なら、石田三成、大谷刑部も味方したでしょうから、規模は小さいながら、関が原になりましたね。
お礼
ありがとうございます
- misa-on28
- ベストアンサー率35% (227/640)
ズバリ、前田利家が秀頼の後見人として、豊臣勢力を糾合できる可能性が高いので、やれば利家の勝ち。それをわかっていた家康は利家の死に待ちで養生に尽くしたと思われます。 家康は今でいう健康オタクでしたが、長寿こそ利家の影響力を排除する唯一の手段とわかっていたからかもしれませんね。
お礼
ありがとうございます
- notnot
- ベストアンサー率47% (4900/10358)
最初は、どのタイミングかによるのではと思いましたが、どのタイミングでも徳川家康でしょう。 徳川家康とその配下 対 前田利家とその配下 の戦いであると言う前提です。 まさか個人対個人の一騎打ちの話では無いですよね?
お礼
ありがとうございます
補足
すみません、質問のしかたが、わるかったですね。。。。秀吉が死に、家康が野心むき出しの関が原前の状態でです。利家がもう少し生きていたらどうなってたかな??とおもいまして
お礼
ありがとうございます