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刺し違えるの使い方、正しい?
「万一のことあらば、差し違えしてくれようぞ」 これは前田利家が豊臣秀頼を家康から守ろうと決意を発した場面からです。「刺し違える」を辞書でひくと「互いに刃物で刺し合う」とありました。しかし前田利家は家康を刺そうと決意したのであって、逆に斬られることは不本意なはずです。本人にとっては「刺し違えるようなことであっても構わない、そんな気構えで秀頼殿をお守りするぞ」という意気込みであり、だからそんな文脈では「刺し違える」という言葉の選択はおかしいように思うのです。ちなみにこのせりふは「そのとき歴史が動いた」のコミックです。この単語の選択は適切でしょうか?
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ご質問の文の内容からは、具体的な「刺し違え」という感じはしませんね。むしろ「刺し違え」が相応しいのは秀頼が家康に呼び出されて会見したとき、秀頼に随行した加藤清正でしょう。清正は秀頼を守るために、騙し打ちの気配を感じたら秀頼に危害が及ぶよりも速く家康の胸元に飛び込み刃を突き付け、秀頼が刺されたら確実に家康も落命する、という気概を見せつけて秀頼を守ったのではありませんか。 前田利家の場合は少し事情が違うようです(武田鏡村著『前田利家の謎』PHP文庫、によって概略をしるします)。秀吉の死後、利家と家康の対立で一触即発の状態になりますが、これは石田三成の謀略とも見られ、利家の方から仲裁を求め、家康も非を認め和解が成立します。その和解の実を示すために利家は家康のもとへ赴きますが、心配した息子の利長が同行を願い出た時に、腹立たしげに言ったのがご質問内容の言葉だと思います。 『すべては太閤の遺命で秀頼様を守るためである。わしが斬られたらそなたは弔い合戦をして勝利を得よ。』そして腰の刀を抜き放って『家康と会って、事あらば、一刀のもとに切り棄てようぞ』 つまり、「もし家康が私を騙し打ちにするつもりだとしても、私はむざむざと斬られはしない。一刀のもとに家康を斬り棄てる。(家康を仕留めらても仕留められなくても)そのあとで、お前は弔い合戦を興せ。そうすれば諸大名の多くがお前のもとに参集するだろう。そういう絶好の機会だというのに、肝心のお前が私に同行して共に討たれてしまったら、お前はどうする気だ!!」 「事あらば、一刀のもとに切り棄てようぞ」は『利家夜話』に基づく表現ですが、これをこの場面で「万一のことあらば、差し違えしてくれようぞ」としたのは「適切な選択」だと思います。