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遣隋使・遣唐使時代の船着場(波止場)。
使節はどんな方法で船に乗り込んだのですか。 岸辺から直接乗り込むことができる船着場(波止場)は、おそらくできていなかったと思います。 少し離れた所に停泊している船まで小船で行って、そこから梯子で乗り込んだのではと、推測しています。 質問ですが、上記の推測であっていますか。 もし合っておれば、遣唐使船くらいの大きさの船が着岸できる波止場はいつごろ、どこにできたのですか。 よろしくお願いします。
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すいません、ひとつ勘違いしてました、 当時の港なら難波津だろうと思っていたのですが、遣唐使の最初の港は住吉津で、住吉大社で祈願してから難波津を経由していたらしいです。 ただ住吉津に大型船が停泊できたかはわかりません。 奈良時代の間は人の乗り降りは小船を使い住吉津を使用した可能性もあります。 遣唐使 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E6%B4%A5
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- jkpawapuro
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回答No.1
難波津 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E6%B4%A5 ためしに検索して見ました。 古墳時代に掘削工事 土砂の堆積により762年に座礁事故 これはおそらく遣隋使から遣唐使初期にかけては難波津で直接接岸してましたねえ。 その後785年に神崎川と淀川と直結させる工事が行われているとのことですからそれ以降は川尻泊に接岸していたのではないでしょうか? わざわざ河の掘削工事までして水運を確保してるとなると、接岸していたんだと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 古代の船の専門家の推定した一例では、遣唐使船の形や大きさは、長さ30m、幅8mほどで、積載量から見て北前船の千石船程度の大きさらしいです。 千石船の復元模型を見た経験から、あんな大きな船に遣唐使はどんな方法で乗り込んだのだろうと思いました。 しかし、古墳時代の掘削技術から推測して接岸していたのではというご回答なので、考え直しました。 小船から乗り移るのも大変です。 まして大量の荷物(食糧・飲料水他)を積み込むのですから、小船でははかどりませんね。 石積みの護岸工事を想像していたのですが、ほぼ3百年間に30回ほどの派遣ですから、大木を組み合わせた仮設で十分な気がします。 本格的な波止場なのか、仮設なのか、まだよく分かりませんが、よいアドバイスをありがとうございました。