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ピラミッド巨石の運搬に船も?
ピラミッド建造のとき、石材をどうやって運んだのか、船も利用した説がありますが巨石の積み降ろしはどうやったのか、船板は作れたのか、など幾つもの疑問が解けないままです。 一つだけでもいいから謎を解きたく、呈示しました。 質問を書く前に、ピラミッド建造当時の代表的情景を述べてみます。 o 巨石をコロ(丸太)載せや木そりで運んだ状況は、壁画で確認できる。 <巨石をコロで牽く壁画> 少し牽引したら後方コロ(丸太)を進行側へ運ぶ図 http://konishidc.v4.g-1.jp/Windows-Live-Writer/10bcb555d4c3/50CDF5FC/19fe989b3683.gif <ピラミッドの石を(橇で)運ぶ> http://www.gizmodo.jp/2014/05/post_14458.html o ナイル増水期に船利用の仮説があるが、船や波止場の痕跡が無い。 (船への積み降しをどうやったのか、クレンか傾斜桟橋も必要の筈) o 運河を掘りクーファ(皮舟)運搬の仮説があるが、裏付け証拠が無い。 (クーファは、樹木などの骨組みに獣革か樹皮を張り巡らした小舟) o まだ銅器の時代に、銅鋸で水漏れしない板船造りには疑問がある。 (鉄は、後世 BC.1500年以降に西アジアで製鉄手法が開発された) o 巨石は楔(くさび)で切割った筈だが銅楔は無理、青銅の時代なのか。 (異星人かそのロボットによる[幽質化]力で切出した説話は、仮説) <ピラミッドの建造方法> http://satoru99.exblog.jp/14070861/ o 作業は庶民への福祉事業で、宿舎日記や報酬配分などの記録がある。 <エジプト物語> http://www.ne.jp/asahi/y-sakai/fukui/sub56.html#kodai <ピラミッドとは何か> 手記 http://www.intweb.co.jp/egypt/egypt01.htm (知りたい質問) 回答は、どれか一つだけでも構いません。 ◆ 巨石を船では運ばなかった証拠はないか? 船を使ったとしたら、ナイル増水期だったのか随時運河を掘ったのかの痕跡はないか? ◆ 船を使った場合、巨石の積み降しはどうやったのか? 運搬コロの傾斜波止場の類いを設けたか、船は板造りか皮張りクーファか? ◆ 山から運ぶ巨石はどうやって切出したのか? 銅製の工具か、青銅製のたがね類か? なお、回答は、”裏付け” (URL・書名・記事名) か “根拠” (理由・自説でもok) をお願いします。 自身の考え・主張だけで根拠がない場合は、回答ではなく ”感想” に過ぎないので、ご遠慮ください。
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- kagakusuki
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後、船を使ったという証拠に関してですが、ピラミッドの周囲や石切り場には運河や水路の跡が発見されているそうです。 船を使って運搬するのでなければ運河を設ける必要はありませんから、ピラミッドに使用された石材は船を使って運搬されたと考えられます。 【参考URL】 ピラミッドの石材の運び方? | 水中考古学/船舶・海事史研究 http://www.nauticalarchaeologyjp.com/news/20071026622.html
- kagakusuki
- ベストアンサー率51% (2610/5101)
>別の資料(「ギザのピラミッド」 http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/maps/pyramid_of_giza.html )では、 <河岸神殿はおそらく、ナイル川を使って船で運ばれてきた石材を積み下ろす集積基地を神殿に転用したものと考えられ、参道は石材の運搬道ではないかといわれている> とあるが、これも断定ではなく「おそらく」とか「と考えられ」としていて、推察に過ぎない。 という事を理由に既存の説を疑問視するのは科学的な態度としては間違ってはおりませんが、その一方で、 >諸資料では、多くは次のような表現となっている印象を受けています。 >「採石場は遠・近方々にある。 そこから陸路でピラミッド直近か神殿・参道近く迄運ぶ。 その近辺に石切り場を設け、建造石材の形状・寸法などを微調整して積み上げる」 これが一般的です。 という話は、既存の推論に基づく仮説ですらなく、単に質問者様がその様な「印象を受けています」と言うだけの話に過ぎません。 少なくとも採石場からピラミッド直近まで石材を運ぶのに、陸路のみで行い、船は使用していないとしている資料は見た事がありません。 ですから、「『諸資料では、多くは』『採石場(中略)から陸路でピラミッド直近か神殿・参道近く迄運ぶ』『ような表現となっている』」という話は明らかに事実とは反しており、単に質問者様がその様な印象を持っているというだけの話であり、多くの諸資料では言及されていないこと・説明してもいないことを、一方的な想像で述べているだけに過ぎません。 つまり質問者様は、 > <河岸神殿はおそらく、ナイル川を使って船で運ばれてきた石材を積み下ろす集積基地を神殿に転用したものと考えられ、参道は石材の運搬道ではないかといわれている> という、既存の定説となっている事に対しては単なる推察に過ぎないとして排しておきながら、その一方で「『諸資料では、多くは』『採石場(中略)から陸路でピラミッド直近か神殿・参道近く迄運ぶ』『ような表現となっている』」という、事実とは異なる単なる自分が頭の中で勝手に想像したに過ぎない事を根拠にして反論しておられるのですから、ダブルスタンダードも甚だしい話であり、真実を追求しようとする態度とは到底申せません。 その様な考え方では、例えどの様な証拠が見つかったとしても、その事実を曲解したり、無視したりする事で、質問者様個人だけは幾らでも事実に目を背ける事が出来るのですから、真実に近づく事がより困難になるだけですよ。 >一方、手元にあった別資料の一つ( ”ピラミッドはこうして造られた” http://poyoland.jugem.jp/?eid=464 ) 中程のピラミッド巨石運搬斜道図の下の文では:ー > <それはピラミッドから500mほど離れた所にある石切り場との関係。 ピラミッドの大半をしめる石灰岩はこの場所から切り出されたもの。 Houdin「古代の人々が石を切り出した時についた傷が残っている。 彼らは青銅のノミを使って石を切り出した」 石切り場が傾斜路の途中に位置する為、石を運び上げるには、大きく迂回することになる。> とあります。 そのURLのページにはこうも書かれています。 >内部トンネルでは、運ぶことができない巨大な石が、ピラミッドに使われている。 >それはピラミッドがある場所からナイル川を1000kmさかのぼった町アスワンから運ばれた。 >Aswanは古代エジプト時代最も南に位置した国境の町だった。 >その石切り場が今も残っている。 >ナイル川を挟んで対岸にある石切り場から、ピラミッドの表面を覆う化粧石が船で運ばれていた。 >そして王の間で使われる花崗岩のブロックも、船で運ばれてきた。 そのピラミッド(クフ王のピラミッド)の場合は、石灰岩は500mという近場で切り出す事が出来たのでしょうが、ピラミッドの建設に適した台地と、採石場に適した岩場との間が数kmも離れているような場合であれば、船という運搬手段があるのにもかかわらず、態々、困難な陸路を使って運ばねばならない理由はありません。 いや、例え500mでも陸路で運搬するのは大変なのですから、花崗岩の為に船を使って石を運ぶシステムを構築していたのですから、クフ王のピラミッドに使われた石灰岩でも船を使って陸路で運ばねばならない距離を出来るだけ短縮した方が合理的であり、どのみち必要となる事に変わりはない船を使って石材を運ぶシステムを遊ばせておいて、態々苦労の多い陸路を使っていたとする理由はないと思われます。 ですから、むしろ証拠が必要となるのはピラミッドの石材の主な運搬手段が船ではないとする場合の方であり、その様な証拠が無いのであれば、石灰岩も船を使って運んだものと考えるのが妥当です。 ><河岸から遠く離れた所にはその都合を満たす場所が存在しない> というのは、どういう意味なのかよく解らなくて困る。 >遠方の山岳などには、採石場は処々方々に存在する筈。 「石切り場はピラミッドの直近に置いた」との説もあり、据付け作業前に巨石の形状を微調整するのを考えると、妥当な配置と思います。 だから質問者様の個人的なその説では、河岸から遠く離れた所でも石切り場を設けてピラミッドを建設できるという事になるのにもかかわらず、実際には石切り場やピラミッドは川の近くにばかりあります。 つまり、<河岸から遠く離れた所にはその都合を満たす場所が存在しない>としなければ、石切り場やピラミッドの実際の分布を説明出来ないのです。 質問者様は >サイト各資料によると採石場や石切り場は礼拝堂・築山との間の都合による配置らしく、船積みの都合で石切り場を決めた [証拠] は出ていないようです。 として、「船積みとは関係の無い都合」も存在している事を想定しておられるのですから、その様な都合を満たす場所が河岸から離れた所には存在していない事が明らかでなければ、石切り場やピラミッドの実際の分布を説明出来ないという問題が生じる事になると申しているのです。 河川を越えて巨石を運んだという事実があるのであれば、人は水面を歩く事も空を飛ぶ事も出来ませんし、当時は巨石を運ぶ事が出来る飛行機なども存在していませんでしたから、船を使う以外の方法はありえません。 もし船を使う以外の方法が使われた可能性を否定しないのであれば、それこそ、「言ってるだけの憶測。 証拠が無く証明されてはいないということです。推察するのは自由ですが、運搬した根拠が無ければ決め手とならず、仮説のまま」というものです。 船以外の方法を使った事を証明する証拠が必要になる訳ですから、その証拠を示して下さい。 >東岸の石切り場は、祭事用の飾り加工場だった可能性もある。対岸の東側へ、なぜわざわざ巨石を運んだのか、そして西岸へ戻したのか、疑問がある。 推察するのは自由ですが、根拠が無ければ決め手とならず、仮説のまま」というものです。 もし万が一そうであったとしても、川を越えて巨石を運ぶ事には何ら変わりはないのですから、何れにせよ古代エジプトでは船を使って石材を運搬していたという事です。
補足
(ここは #14です) 質問中「船の運搬」は、必ずあった筈なのに根拠が見当たらず停滞していた。 質問外の謎や私見なども受けて検討したのがきっかけで、疑問の幾つかに潜んでいた問題点が浮上し、僅か乍らも別面での進展となった。 浮彫りになった問題点の説明前に、原典類に共通する不明瞭な用語が1件あり、報告しておきたい。 <石切り場> は一般的には山岳の岩石採取場を意味するが、通常は石積み形状を整えるための石切り成形場所も「石切り場」と俗称しているので、資料によっては「採石場」か「成形場」なのか判断に迷ったり、説明が支離滅裂に受取れかねないことも起こり得る。 例えば <アラビアの山中にある石切場から石をナイルまで運搬> の記事に対し、別記事 <ピラミッドは石切り場からほど近く> で言う「石切り場」は、山岳地帯に採石場とピラミッド両方を設営したとは考え難く、山麓・平地などに設ける「石切成形場所」を意味する可能性が高いがはっきりしない。 或いは、一山を切り崩しながら採石もして頂上から下方へピラミッドを構築したとも思え、もしそうなら遺跡の組上げで謎だった辻褄が合う点も多い。 「石切り場」の言葉一つで新たな疑問が生じる。 今後は、原典となる公表記事では「採石場」か「成形場」かを明瞭に識別できる用語で表して欲しいと思う。 次に、番外の疑問から掘り起して浮彫りになってきた問題点の幾つかを説明したい。 まずは建立の全体像を大雑把にでも確認するなどの問題点から。 ◆全容の記事「採石地で大まかに切出した石材を現場(*たぶん建立場の意)へ運び、そこで最終加工するのが一般的」 旨の説話で感じた問題点がある。ピラミッドによってどのような差異があったかは記述が無く、どの記事だったかは思い出せない。 ここでは「一般的」としている状況から、幾つかのピラミッドによっては、違う状況があったと認識しておく必要がありそうだということだ。 ◆大まかに見て次のような状況が想像される。 o 一般的には、山岳の採石場に河があるとは限らず、切出した巨石をコロ又は橇で波止場まで運ぶか、そのまま建立地へ陸送するとになる。 o 採石場から見て、河又は氾濫水域が遥か遠くだったり、ピラミッドとは逆方向に波止場があるような場合は、船によらず直接ピラミッドの方向へ陸送する場合もあり得る。 o 東側の対岸に「化粧石」の産出場(原文は「石切り場」)があることが判明した。方や60トンの巨大な花崗岩は <ナイル川を- - アスワンから運ばれた> とあり、少しでも重量を減らし運搬したい船輸送なら、予め採石場で所定寸法に切断・成形加工してから運んだと見るのが自然だ。つまり、建立地の成形「石切り場」は省く場合もあり得る。 o ギザの三大ピラミッドは、目立つ高台に建立され白色系の飾り石を使い、遠方から眺め現在地を判断する灯台のような存在だったなら、その構築方法や建立手順などが他のピラミッドとは相違した点があったかもしれないと推察する。 ◆採石地とピラミッド建立地の位置関係は、次のような仮説が判明した。 <#5>で紹介された次の採石場は、どれもナイル河畔にあった。 「クルナ」「ディバビーヤ」「アスワン市近郊」「ゲベル・シルシラ」 <ピラミッドがある場所からナイル川を1000kmさかのぼった町アスワンから運ばれた> これは巨大な60トン花崗岩の場合。 <アラビアの山中にある石切場から石をナイルまで運搬> <街のすぐ隣には、石を運びこむための港があった。 ナイル川を挟んで対岸にある石切り場から、ピラミッドの表面を覆う化粧石が船で運ばれていた> <ピラミッドから500mほど離れた所にある石切り場> <ピラミッドを形作った石灰岩のほとんどは、近くの石切り場で切り出された> 余談ながら船使用の例で <船で河を越え対岸に運ばれた石を受け取り、いわゆるリビア山脈まで曳いて> という説話もある。参考まで。 ◆河川や湖・広大沼などの水場をどのようにして運搬したかは、調べるほどに謎に満ちている。 船の運搬は謎が多く、<#7>で回答された半浮・半潜水の「水中筏(いかだ)」の方が、仮想のシミュレーションでは実用になった可能性が高い。 船の運搬を否定しているのではなく、船を実証し得る「根拠」を募っても皆無で、裏付けが無い風説類ばかりが回答されている状況なので、実在した「可能性」が極めて低いと評しているだけを理解して欲しい。 筏・橇の陸送は壁画類が存在するが、船の運搬が実用されたにしては壁画にもパピルス類にも記録が無い。 水中筏の痕跡も同様。 小船の場合、現実には「積み降し」が無理と思える。船体が何万トンのような場合は2トン程度の積み荷の偏りは何%にも満たないので問題が出ないが、木造船で自重の100%以上の積荷の最中に重心の横ずれがあれば、たちまち横転してしまう。不審なら、折り紙の舟に消しゴムでも載せてみるがよい。積載手法自体は、ドック(1艘が入る入り江)で横手の陸上から何百人かで牽引すれば可能だ。が、巨石の重心が船へ移る段階で船体横転の問題が生じる。 また、これをどのような手法で克服したかにも疑問が残る。 舟の横から積み降し困難なら、縦方向の舳先か船尾から行えば良さそうに思えるが、巨石重心の偏りは何とかなっても、何百人かの牽引者が舟に乗り切れず水の中ということになって実現しそうにない。 水中筏では、材木の浮力だけで巨石を支えるとすれば、筏を何層もに組み、水流で筏が傾いても巨石が落ちないように固定すれば搬送できる。 問題なのは牽引手法で、水流で運行方向が乱れないよう舟2艘以上で牽引すれば実用できそうだが、そう旨くいくかどうかは疑問だ。 ◆ ピラミッドの構築工程で、平衡錘りによる巨石吊り上げ説は抜群の効果があったと推察できる。 問題と思えるのは牽引綱の支点に滑車が使えなかったとすると、ダミー巨石の錘りと建立巨石とを結ぶ支点に、木柱のような素材を使った回転だけで支えきれたのかに疑問が涌く。 綱の耐久度や回転部の力学的耐力に問題がなかったか検証されるよう希望したい。 様々な疑問や問題点をあれこれ述べたが、中には検討済み事項もあるかもしれない。殆どは記事がウェブにも見当たらないので、未検討ならぜひ解明を望みたい懸案事項だ。 上記の諸点は独自説の主張と誤って判断されないよう願いたい。浮彫りになった問題点の説明に過ぎないことを正しく認識して欲しい。 総じて考古学系の学生のテーマ選びの参考や、少なくとも宿題題材のヒント程度にはなり得るのではなかろうか。何らかの機会に吉村先生の目に振れれば幸いで、問題解明の片鱗でも「週刊作治」に解説類が出ないかと秘かに期待している。
- kagakusuki
- ベストアンサー率51% (2610/5101)
>採石場や石切り場は礼拝堂・築山との間の都合 大抵のサイトでは船で石を運搬する都合で石切り場やピラミッドの建設現場が決まったとしている様で、主に「船積みとは関係の無い都合」で決まったとしている情報は見た事が無いのですが、質問者様の仰る都合とは一体どの様な都合の事なのですか? 又、河岸から遠く離れた所にはその都合を満たす場所が存在しない事が明らかとなっているのかという問題もあります。 後、 >船積みの都合で石切り場を決めた [証拠] ではなくとも、船で石材を運搬した証拠であれば、既に回答No.8で >当時のエジプトには死者の世界はナイル川よりも西にあるとする宗教観があったらしく、ピラミッドの殆どはナイル川の西岸に建設されていますが、その建設材として使用された石を切り出した石切り場はナイルの東岸にもあります。 >東岸で切り出した巨石を西岸に運ぶためには船を使う以外の方法はありません と述べております。 >青銅器の時代でも馬車(戦車)の車輪が作れたのですから、鋳物の鬆(ス)が少なければ滑車も造れた筈です。鬆があると、作業中に応力集中や金属疲労の関係で重加重の滑車が破断する危険があるので、実用したかどうかは不明です。 その話は本件とは特に関係がある事ではないでしょう。 石材を船に揚げ降ろしするために使われていたと考えられているクレーンは、ロープと梃と支柱を組み合わせた単純な構造のものでも事足り、青銅器や車輪が無くとも実用化する事が出来るのですから、もし青銅製の滑車が実用化されていなかったとしても、船に石材を揚げ降ろし出来ないとする理由は何もありません。
補足
(ここは #13です) 熱心な探究に感服します。 何かの引用らしい記述が、出典が資料か不明瞭です。 ここの#13は引用文がどこ迄か、回答者の解説文がどこから始まってどこ迄なのかが、この書き方では推察するほかなく判断に困ります。 引用か自説かの記述内容によって解釈・主旨が大きく変わってしまう場合があるので、引用文の範囲を明確に示して下さい。 「>」で始まり、引用の終りを「1行空け」るのは、まぁ許せます。これはもともとメールの慣例(半ばルール)で、多数者が使っていますが、Webで使うのは不適切です。引用箇所を彩色なしで単色標示する場合は、引用の始と末がどこ迄なのかを記号などで明示する必要があります。 引用箇所は <引用文> のように始・末を明示して下さい。 この方法によれば、文中の途中でもどの箇所で引用しても、また行空けした連続文を含む引用の場合でもOKです。 なお、新聞などは<>文の前後に空白を付けないようですが、Webでは <引用文> の頭と末尾を漢字(2バイト字)2文字分前後の空白を明けるのもネチケットと言えそうです。 一目見て引用箇所が明瞭になるからです。 以下は、頂いた具体的な問題点などについて返事や補足説明をします。 (石切り場の位置関係の話) 文頭 <「船積みとは関係の無い都合」で決まったとしている情報> とあるのは引用文なのか、それがWeb 資料の情報なのか掲示板記事か「どこ」の記述なのかはっきりしない。 記述に引用文が混じっているらいいが、どこから自説なのかを明瞭に示すようにして下さい。 「石切り場の都合」が私の言だとするなら、資料類の紹介や解説・感想などを述べることはあるが、古代へ出向いて目撃したような嘘を言ったり、自説として断言するようなことは述べない。それは専門家の学者がすることなので、「質問者の言だ」と言うなら、嘘をつかれたことになる。 Web 資料の引用だとすれば、ギザの三大ピラミッド神殿と参道や管理者官舎群らしい俯瞰配置図と共に、何件かの資料に石切り場の説明があったのだが探している時間が惜しい。教えてくれる筈の回答者の方が、探し出して知らせてくれるなら、それが筋だと思うのですが。 諸資料では、多くは次のような表現となっている印象を受けています。 「採石場は遠・近方々にある。 そこから陸路でピラミッド直近か神殿・参道近く迄運ぶ。 その近辺に石切り場を設け、建造石材の形状・寸法などを微調整して積み上げる」 これが一般的です。 たまたま手近にあった別資料を見ると <昔は河が氾濫するとスフィンクスの近くまで来ていたようですから、船で石を運んできて、そこからピラミッドをつくる場所まで引き上げたのでしょう> という記事はあります。 もし良い記事をみつけたら教えて下さい。 別の資料(「ギザのピラミッド」 http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/maps/pyramid_of_giza.html )では、 <河岸神殿はおそらく、ナイル川を使って船で運ばれてきた石材を積み下ろす集積基地を神殿に転用したものと考えられ、参道は石材の運搬道ではないかといわれている> とあるが、これも断定ではなく「おそらく」とか「と考えられ」としていて、推察に過ぎない。 また、神殿の近隣には官舎と思える住宅街があり、河畔で水没する可能性がある場所になぜ宿舎を設けたのかは疑問があります。 一方、手元にあった別資料の一つ( ”ピラミッドはこうして造られた” http://poyoland.jugem.jp/?eid=464 ) 中程のピラミッド巨石運搬斜道図の下の文では:ー <それはピラミッドから500mほど離れた所にある石切り場との関係。 ピラミッドの大半をしめる石灰岩はこの場所から切り出されたもの。 Houdin「古代の人々が石を切り出した時についた傷が残っている。 彼らは青銅のノミを使って石を切り出した」 石切り場が傾斜路の途中に位置する為、石を運び上げるには、大きく迂回することになる。> とあります。 「船で運んだ」というのは、花崗岩や白色の石材などを外国(シリアだったか)の産地から運んだとき、河や沼を渡ったのは必然的な事実でしょう。 しかし運搬船の現物は、壁画などの記録図も船体断片も「証拠」「痕跡」が無いので、運搬船以外の方法をとったのかもしれません。 ピラミッド直近で運搬船を使ったと主張するのなら、その「痕跡」か「証拠」を教えて下さい。 <河岸から遠く離れた所にはその都合を満たす場所が存在しない> というのは、どういう意味なのかよく解らなくて困る。 遠方の山岳などには、採石場は処々方々に存在する筈。 「石切り場はピラミッドの直近に置いた」との説もあり、据付け作業前に巨石の形状を微調整するのを考えると、妥当な配置と思います。 運搬した根拠が無ければ決め手とならず、仮説のままです。 東岸の石切り場は、祭事用の飾り加工場だった可能性もある。対岸の東側へ、なぜわざわざ巨石を運んだのか、そして西岸へ戻したのか、疑問がある。 証拠については、東岸の石切り場の石質・種類が、ピラミッド建造の方にもあったと「証明」されたなら、他から運んだ石も使って建造したとしても、河対岸の石切場の石もかなり使われたとは思います。 古代の推察ですから、一面的な思い込みをせず、多面的・多角的な推理が必要です。 (滑車の存在) この話は、#8 さんの問題です。 <滑車を製作するのは不可能> との報告に応じ、その当時を推察して#8 さんの方へ当時の技術水準による可能性を説明しただけだったと思います。 青銅の車輪が造れたのなら、滑車も理論的には造れた筈、と推察したまでのことです。 現実には滑車は不可能だった筈と結論しました。
No.7・10・11です 補足を頂戴しました。 >テコにする樹は、硬い質の種類が必要です。 ホームセンター等で素人向けに売っている間伐材を使った木柱では無理でしょう。 >砂漠を出て遠くの山林へ出向き、真直ぐで長い硬質の樹木を探しまわる苦労は、安全装備・方位磁石・金属斧などが発達した現代では想像しきれない程の労力と犠牲などを費やしただろうと推察します。 現在は想像し難いかと思いますが、身近にありました。 レバノン杉と呼ばれる樹木です。 杉とついていますが、松の仲間です。 メソポタミヤやエジプトなどの古代文明を支えた樹木(森林)と言われています。 当時、地中海東岸一帯にフェニキア人と呼ばれる海洋民族がいたとされています。 この人達の手で簡単に運ばれてきていたでしょう。 (フェニキア人については詳細は未だに不明です) 参考 レバノン杉の栄光と衰退、そして復活の物語(2) – 安田喜憲教授らの20年 ... www.worldflags.jp/blog/4543/ (抜粋) 材質はたいへん硬く、かつ腐りにくい。このため、船材やマストには最適だった。 フェニキア人 www.venus.zaq.jp/voyage/map/gv-sPhoenician.html >祭礼母体の崇拝説 古代エジプト人は太陽神ラーを崇拝していたとされます。 ラーについては沢山の遺物が残されていますが、大地や山に関するものが残されていません。 砂漠という流動性の高い常に変化する大地を崇拝の対象としてわざわざ山を造るというのはいささか無理な発想かと思います。 山のふもとに船を埋めるというのも辻褄が合いません。 旧約聖書にあるバベルの塔からの着想でしょう。 >福祉事業説 早大の吉村教授などが唱えられていますが、職能集団の存在は説明できても、生産に寄与しない集団がいるからそれを維持するために作り続けたというのは、どうですかね~ その集団を養うために、徴税されていたであろう農民や隊商の連中を納得させるには難しいでしょう。 ナイル川の上流には幾らでも土地があります。 人余りなら送り込んで開拓させればいいだけです。 >四角錐には、内側に特殊なパワーが生じ、利用できるとの信仰がある 巷間ピラミッドパワーと呼ばれている一種のオカルト的な発想でしょう。 >何か御存知の情報などがありましたら 竹村 公太郎さんという東北大の土木出身の方が、個々のピラミッドではなく、ナイル川とピラミッド群という捉え方をされてブログに投稿されています。 長年、河川を相手にしてきた如何にも土木屋さん的な視点です。 (参考) 文明とインフラ・ストラクチャー第23回 ピラミッドの謎(1) ピラミッドの目的 ... www.kensetsu-plaza.com/kiji/post/2740 文明とインフラ・ストラクチャー第24回 ピラミッドの謎(2) ギザ台地の3基 ... www.kensetsu-plaza.com/kiji/post/2871 要約 ピラミッドは全てナイル川の西側にある 西側は広大な砂漠地帯である。 多数あるピラミッドはナイル川が砂漠地帯へ流路を移動させることを防止する装置(からみ)であった。 ギザの3基の巨大ピラミッドは、ナイル川河口のデルタ地帯から見えるランドマークであった。 ランドマークとして必要な要件をギザのピラミッド3基が満足させている。 要件 河口に近い高台の上になければならなかった。 可能な限り高くしなければならなかった。 光の反射のために正確な正四角錐でなければならなかった。 光を反射させるため鏡のような大理石を張る必要があった。 注)何でランドマークを必要としたのかについては、上記ブログのみでは今一説得に欠けるかと思います。 王の権威の誇示説に近いかもしれません。
お礼
(ここは #12です) 御蔭様で運搬船の存在以外は疑問の大半が解消しました。 その概要は、#8の [補足説明] 欄に記載しておきました。
補足
ピラミッド建立の理由は、誰もが関心のある最大の問題点と思い、前便で訪問閲覧者へのサービスも兼ね知り得たことだけを並べて見ました。 一方、説話が定説化されないのは、夫々にどういう「理由」なのか強い関心があるのに不明なので、時間をみて箇々に調べてみるつもりです。 そのあとお知らせ頂いた資料から判断すると、ピラミッド建立理由の推理は、結局次の仮説8件ということになるでしょうか。 他の閲覧者のためにもここで並べてみます。 拠点標識説、 福祉使事業説、 拝礼象徴説(偶像代り)、 天体観測説、 王の権威誇示説、 穀物倉庫説、 日時計説、 着陸地点の目標説 このうち「拠点標識説」は、砂漠とナイル河だけで目印に乏しい地域では、人々が遠地から眺める富士山のような単なる目標というよりも実用的な標識の価値があると解ります。モアイ像のように帰港するとき(全く同じに見える地勢の別場所へ着いてしまうと、浦島太郎様になる誤着防止)などの現在地判断・灯台表示と言う意味で、納得できそうです。ピラミッドが隣接して二つ以上あれば、距離判断と方角の目安にも役立ちそうです。 どれも仮説のままで決め手になっていませんが、真相はどれか一説ということではなく、幾つかの目的を果すのが理由だったのではないでしょうか。 また、ギザの高台に設けた3大ピラミッドと、それ以外のピラミッドとは、建立の理由が別ではないかという気がします。 平地のピラミッドが、幾つかの目的のための建立と思うのは、例えば次のような複合目的ではないかという読みです。 ◆「福祉事業」として農民・商人などの庶民全てが、交代制で勤労奉仕が義務づけられていたと仮定する場合です。巨石を牽くだけの単純作業ですから、指導層とは別の庶民全員が交代制で従事したとも考えられます。知的な仕事でなく浮浪者や番外者を除き商人・農民など庶民の誰でも従事できる力仕事です。多数が必要な作業ほど、多くの国民が救済されますが、その年の農作収穫や税収が少ないと、王国の財政が苦しくなる欠点はあります。 ◆「御神体代りの象徴」として、[砂漠の神] か [ナイル河の神] の御神体像の代りの象徴として、誰もが築山を信仰するように指導されていて、築山が完成すれば農作物が豊富に収穫できるような伝説が伝わっていたり、そのシキタリが定着しているとの仮定です。 ◆「穀物倉庫」として、収穫した穀物類を貯蔵した可能性もあります。 ◆「天体観測」で農作業の適正化をはかり、収穫を豊にする方向を狙った。 このような幾つもの目的を兼ねてピラミッド建立の事業が遂行された、とする仮定です。 資料の中で「どの説も具体的物証によって否定されてしまった」とありますが、一つひとつの仮説を吟味して箇々の可能性を否定したり他説を批判・拒絶するのではなく、各説を総合的に検討して全体像を考え乍ら真相に迫る検討を進めるべきではないかと考えます。 他者の説を攻撃し欠点を強調したり自説だけを主張するような行為がもしあるなら改めるべきで、誰か音頭をとる権威者のもとなどの方法で、常に全体像の中で箇々の推察を吟味していく姿勢が大切ではないでしょうか。 私は別件もありこの事に深く関わる時間もなく、問題点の検証なども実践しない単なる雑音と思われそうですが、悪い方向を主張していることではないので、敢えて僭越なことを述べさせて貰いました。
No.7・10です 補足を頂戴しました。 お考えになられる参考に二三情報を提供させて下さい。 >別の特殊素材による作用ではないかと思います。 詳しい化合物名は知りませんが、D3oと呼ばれる素材ではないのでしょうか。 (参考) What is D3O®? 驚異の衝撃吸収材“D3O®”とは //HYOD PRODUCTS www.hyod-sports.com/topics/d3o/ 衝撃で硬化するスーツ:ワイアードが提供する未来の展示会『NextFest』(5 ... wired.jp/2007/09/25/衝撃で硬化するスーツ:ワイアードが提供する未/ >積降ろしにやぐらを使った場合に、滑車を使わずに綱の輪だけで2トン余の綱を滑らせることは不可能と思います。 櫓のように固定したものに滑車を付けて吊り上げなくても丸太を二本使うだけで吊り上げ移動装置は作れます。 逆V字型に丸太を組みます。 V字の頂点に左右二本ロープを結びます 予め逆V字の丸太をやや傾けておきます。 片側に石を吊ります。 石のない側のロープを引いて逆V字を引き起こします。 丸太の根元を支点としたテコの原理で、逆V字の丸太が起きるのと同時に石が吊り上げられます。 石はほんの少し浮き上がるだけで充分です。 船に向かって横移動させながら逆V字を傾けてやれば、石は船の上に移動します。 下記サイトの図を参考にいろいろ考えてみて下さい。 (参考) 人力による運搬組立て工法の手引 - 日本造園組合連合会 www.jflc.or.jp/media/niwa_navi/20120330_1246_33_0706.pdf 余談 >手間ひまかけて動画を制作し提供した会社(営利の筈)は、何の意図・目的があってこのような面倒な動画を製作したのか、会社に何の益があってのことか疑問が解けないこともあるので信ずべきでない、と考えてしまいます。 ご指示された「登山・マラソン・超古代文明・宇宙・他次元」のサイトの最下段に「HP開設について(趣旨等)」があります。 明らかにマニアがマニアへ向けて開設したサイトです。 UFOマニアは世界中にいます。 マニア同士の情報交換の場と考えれば、営利は無関係でしょう。 ご指示されたUFO動画の視聴者の書きこみに、CGマニアにしては杜撰ダ!というCGマニアの書きこみがあります。 ピラミッドなどの巨大遺跡には、宇宙人やアトランテス大陸人などの超古代文明人の関与があったのなかったのとマニアの間では議論されてはいます。 それだけ進んだ文明を持った人達が何の目的て巨大遺跡を造ったのかが何故か議論されません。 遺跡ありき、で議論が始まっています。 物作りの技術というのは富士山型で広い裾野の上に少しづつ積み上げられていきます。 その場で必要なものが突出するスカイツリー型であることはありません。 考古学の学者さんというのは、実際にご自分の手で物作りをされた経験が極めて少ないので、なかなか思いつかないようです。 ピラミッドは中から積み上げたのでは、と推論した人も元々建築家でした。 最近はこの点について反省されて実験考古学という分野が発達してきています。 縄文土器も現在の瀬戸物のように炉で焼いていたという先入観があったようです。 フィリピンなど東南アジアでは現在でも焚火に放り込むだけの野焼きの方法が使われていることを後から教えられたことがありました。 石器も実際に石を割ってみて理解し、現在は上手に石器を造る考古学者さんもいるようです。 実際に船を手作りして南米大陸から太平洋へと出かけた人もいます。 ピラミッドもいずれ誰かが実際に作ってみるでしょう。 巨石を四五段積み上げるだけで充分推論できます。 日本の造園技師さんに頼むと以外に簡単に作ってしまうかも知れません。
お礼
(ここは #11です) お知らせ頂いた数々の資料や御見解で、質問の大半が判明しました。 残った問題点は仮説多数で、学者先生がたが夫々の自説を主張している状況では、新規の発掘発見が出ない限り今後の解明の進展はおぼつかないような感じを受けます。 解明を進展して欲しいと念願しますが、それには調査費・作業経費などの原資が必要でしょう。各事象の解明に諸分野学者の合同審議や共同調査が効率的かもしれません。また、造園分野・金属工学・古代人間の行動心理学など各分野の学際的な協力態勢が必要のようにも思われます。 観光事業や科学雑誌類の産業界の協力を仰いで資金調達する手段など、円滑な研究体制が進むよう声援だけですが贈りたいと思います。
補足
(ここは #11です) 肝要な数々のお知らせを心強く思います。 前便#10 では、ピラミッド建立理由の推理を書き漏らしてしまい、気にかけていたところです。 土地神を祭礼する為のしきたり(四角錐)とも想像しますが、後述します。 巨石運びについて 紹介いただいた資料のうち造園連合のは、URL を呼出して何箇所かを印刷しておきました。折をみて自分で配石の模様替えをするときの参考にもなります。 ほかのURLはジャンプしないのが残念で、空き時間をみて呼出操作を行い読むつもりです。 テコに材木を使う場合は、細めだと材木がしなるだけで石はびくとも動かず、折れると裂け目が槍状に突出したりで危険です。 太めだと、先端を刃形に細くしておかないと、石下の地面へ入らず、滑ると材木がハネて反動が来るので怖いです。 テコにする樹は、硬い質の種類が必要です。 古代に、砂漠を出て遠くの山林へ出向き、真直ぐで長い硬質の樹木を探しまわる苦労は、安全装備・方位磁石・金属斧などが発達した現代では想像しきれない程の労力と犠牲などを費やしただろうと推察します。 そんなにしてまで、巨石を使う大ピラミッドを建立しなければならなかったのは何故か、その方が大きな先決問題なのは確かだと思います。 ピラミッド建立の推理 自説混じりで、既に知られている諸説の類などを箇条書きしてみました。 [祭礼母体の崇拝説] 私達が神棚を造り[御札]を拝んだり、[墓石]を造り盆・暮にお参りするのと同様に、古代人・王族が土地の神などを象徴する [築山] を造り、土地神か王魂を招いて祭礼する目的なのでは、という自説です(既出かもしれませんが)。神殿建屋での礼拝とは別の思想があった、との読みです。 ピラミッドを王の領地以外の場所に建立した例もあるようですが、概してその地域の神様を対象としたという考え方です。 それが王政の公約かシキタリだったとすれば、多数建造したことも、財政が逼迫しても建立しようとしたことも、説明がつきそうです。 [福祉事業説] 周知の庶民救済説です。 労働力が多いほど社会福祉が行届くことになりますので、労力が膨大になる作業を選んだとも解せます。 洪水期以外にも、何らかの福祉事業を進めたかどうかの詳細は不明です。 [季節検出説] ピラミッド内の長い天体観測穴から、特定の星が見えたら種まきの季節だなどと設計した説。 似たような事で、別星からの来訪者が到着する時を特定位置に来る船体光で知るための、別の穴位置が設定されていたとの説も聞いたような憶えがありますが、曖昧です。 しかし、少なくとも開始期か収穫期かなどの、農作業の最適時期を知る目的だった可能性はあります。 [着陸地点の目標説] これも周知の宇宙人説の一端です。 しかし他星の生命体のためだけに地球人が建立させられるのは、少し辻褄が合わない感じを受けます。 長年月たつ内には地球人の謀反が起きたり不平不満も出る筈です。 宇宙人にとっても地球人にとっても双方に有益な効果が期待された事業、と見る方が自然でしょう。 [王の権威誇示説] 王の威厳を示し国民の支持を得て施政を円滑に進める目的だった説。 しかし財政が逼迫した時代に、小墳墓を造りかけで放置するなどの奇異な行為で、腑に落ちない面があります。 ピラミッドを四角錐にした理由 三角錐よりも多い石材と人数が必要になり、多数庶民が救済できる。 三角形では、四角形の場合の正面観察に比べ、現実には斜め方向からの観察になりがちで、遠方からの正確な進捗状態が計測しにくい。 四角錐でないと、前後左右・東西南北の基準ができない、 四角錐には、内側に特殊なパワーが生じ、利用できるとの信仰がある(八角錐、正三角錐ではどうなるか、公式実験してみる価値がある)。 ピラミッド系の展示会を初めて観たのは、1988年の「大エジプト展」(ドイツ国立ボーデ博物館 所蔵品)でした。当時の展示解説書を今見ると、宝飾類の観覧・芸術的遺物の鑑賞といった感じで、謎の解明にはほど遠いものでした。展示関与の専門家名簿に、吉村作治先生の名はどこにも見当たらない先代のころでした。 以来、都合で考古学話からは遠ざかっていたら、今は地表下をレーダーで探り、宇宙衛星から遺跡を走査する時代になりました。 目下の「大ピラミッド展」< http://www.tbs.co.jp/pharaoh-egypt/ >は1月3日(2016年)迄となりました。行けば、物理的な事象を集約したような参考書もあるかと思うのですが、大怪我経過療養中の単身外出禁止令で、久しぶりの見学も見送りです。 ウェブの資料探索だと自分で探しても限界があります。 何か御存知の情報などがありましたら、また教えて下さい。この掲示板の書込みは12月21日(月)迄です。
No.7です わざわざお礼を記入頂きありがとうございます。 二三追加の情報を記させて頂きます。 いろいろ考えて見て下さい。 水は潤滑油ではありません。 砂と水を混ぜますとダイラタンシーという現象が起きます。 日常的に経験するのは海岸で乾いた砂地は歩きにくいのに、浪打際は歩き易いことを物理的に解明した理論です。 古代エジプト人は理論はしらなくても生活の知恵で知っていたでしょう。 概略は下記のサイトにあります。 ダイラタンシー - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/ダイラタンシー 橇については日本では修羅と呼ばれて古くから使われていました。 エジプトよりも起伏の多い山岳地帯を越えて巨石や巨木を運搬する際に使われていました。 参考 修羅 (ソリ) - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/修羅_(ソリ) 第二回 古代の運搬具”修羅”の復元に挑戦 - 宇土市 www.city.uto.kumamoto.jp/museum/10hitugi/kouhou-uto/h161015.... 巨石の船への積み込みについては下記のように推測している人もいます。 (参考) 大阪城の石垣石を小豆島より運搬!船着場か? | 古代巨石文化探検部 ... ancient-megalith.info/?p=267 重量物の浮力を使った運搬方法は現在でも半潜水式重量物運搬船として使われています。 現代のように一つの船体にせずに分割すれば原理は変わりません。 参考 巨大な重量物運搬船!船舶の運搬の為に半分沈んで運行する「半潜水艇 ... japontimes.livedoor.biz/archives/38837983.html 以上を纏めた想像図が下記にあります 石垣のできるまで www.d1.dion.ne.jp/~mthouse/page1445.htm 蛇足 ピラミッドは建造方法もさておき、何であんなバカでかいものを造り続けたのでしょうかね~ 日本の古墳のような埋葬設備でもないようですので、全く見当がつきません。 最近はランドマークだと言いだした人もいますが、それにしては数が多すぎます。
お礼
有難うございました。
補足
(ここは #10です) <ダイラタンシー> の名称は知らなかったので、知識が一つ増えました。現象は、片栗粉の水まぜや、動かないボール玩具で体験はしていましたが。玩具の方は、通常は転がるのですが放り投げたり叩く衝撃があると、起上がり小法師のようにその場に止ったままで転がらない不思議な動きをします。 中身を見ると小さな消しゴム様の特殊な合成樹脂らしい粘土があるだけで、ダイラタンシーと同じ現象でも原理はまた別の特殊素材による作用ではないかと思います。 現象が砂で起きるとしても、そりで運ぶような緩やかな動きでも固まるのかと驚きです。流動する流砂では物質が深くへ沈んでしまう現象があり、そのような場合を防ぐ方法などの模索段階で発見した手法かとも想像します。 <橇・修羅・コロによる運搬> 砂漠はコロなしの橇台で運び、平野はコロだけ(壁画あり)か 修羅(台枠)付のコロによった、など何らかの使い分けがあったと想像します。 <船積み> 洪水か運河では水深が浅い傾向となりそうなので、半潜水航法だけでなく吃水が浅い箱船を使った可能性が高いような気がします。 積降ろしにやぐらを使った場合に、滑車を使わずに綱の輪だけで2トン余の綱を滑らせることは不可能と思います。 植物綱の吊り輪と引き綱が重量物の摩擦力でぎっしり噛み合ってしまい、滑車の働きができない筈です。 金属環無しでどんな手法で滑車の代用を施したか、疑問が生じています。 --------------------------------------------------- (ジャンプ付URL) ダイラタント流体、ダイラタンシー http://www.stat.phys.kyushu-u.ac.jp/~nakanisi/Physics/Dilatancy/ 「修羅」の名称 浜田裕幸 http://homepage1.canvas.ne.jp/capitalasuka/newpage40.html 第二回 古代の運搬具”修羅”の復元に挑戦 - 宇土市 http://www.city.uto.kumamoto.jp/museum/10hitugi/kouhou-uto/h161015.html 大阪城の石垣石を小豆島より運搬!船着場か? | 古代巨石文化探検部 ... http://ancient-megalith.info/?p=267 巨大な重量物運搬船!船舶の運搬の為に半分沈んで運行する「半潜水艇 ... http://www.lifener.net/e3532971.html http://japontimes.livedoor.biz/archives/38837983.html 石垣のできるまで 「石垣にせまる」 http://www.d1.dion.ne.jp/~mthouse/page1440i.htm http://www.d1.dion.ne.jp/~mthouse/page1445.htm _______________________________ 余談 最近の様々な宇宙船の動画を見て、やや本当かと信じてしまいそうな、今迄の動画と一味違う感じを受けました。 宇宙人らしい感じの二つの影は興味深く、それが真実なら、大きく手を振って合図らしい動きをしているのは、どこへ何を伝えようとしているのか、遠くで撮影している人も承知している筈ですが、後刻に映像を見る筈の人が居ることを考慮していないのか、何のために仲間か誰かへ何をメッセージしようとしたのか、録画を見る人類へ伝わってくるものが無いのも不思議です。 手間ひまかけて動画を制作し提供した会社(営利の筈)は、何の意図・目的があってこのような面倒な動画を製作したのか、会社に何の益があってのことか疑問が解けないこともあるので信ずべきでない、と考えてしまいます。 問題の動画=『最新UFO映像』 (平凡な映像を1~2分過ぎて本格画面。そのあと延々と続編多々) https://www.youtube.com/watch?v=S0Nbs4Lc8FE --------------------------------------------------- その映像の目録(見識を広めるメニュー)=『登山・マラソン・超古代文明・宇宙・他次元 - 』 http://www.h4.dion.ne.jp/~mf124/index.html → 「6 宇宙」ー「8 リンク集- (4)宇宙」ー 下方「8-4<宇宙関連>「最新UFO映像 2013年12月6日」
- eld3399
- ベストアンサー率4% (16/345)
巨大ピラミッドを建造したのは、地球外の人間、つまり星間旅行者だといわれています。
補足
ここは #9です。 そのとおり、ウェブでも論説が数多く出ている。 <星間旅行者>と見るほか長期滞在者・来訪伝授者と考えたり、その影響があったと想像するような時代を「超古代文明」の年代と呼んでいるらしい。常識的には太昔に実行できた筈がない事象が幾つも発見されていて、地球外生物(又はその身代わりロボット)の能力で実現したとでも考えないと説明がつかないのが理由と思える。 例えば、花崗岩の巨大な板をスキマ無く並べ、臍(ホゾ=嵌合突起)でつないだ遺跡が報告されている。事実なら、穴造りの方は可能でも、硬い花崗岩に小さな臍突起を残しておく加工が、当時では簡単にできた筈がないので、謎となっている。 しかし何年かかっても根気よく端から切欠いていくような作業によれば、絶対に不可能ではない。 切削工具や高水圧加工、レーザ光といった手法が当時は無かったからと言って、「宇宙人のしわざ」とか「超常現象」と決めてしまうのは早計だ。事実か想像に過ぎないかは、いま断定できる段階にない。 要は、確実なな証明ができない事象は「仮説」と考えておくのが、正しい理解への早道と思う。 また、出土品のたぐいは、その遺物がどのような技術で作られたかの証拠品と考えるようにしている。そして、知り得る情報は、誤って解釈しないよう、独自の思い込みなどで錯覚しないよう、正しく理解することが大切だと考えている。 今のところ、乏しい資料例を基に、次のような解釈もしている。 ピラミッドの参道近くに「船坑」とか「河岸神殿」と称する遺跡が散在しているが船着き場の形跡がない。 巨石を運んだなら、それなりに船の残骸や桟橋跡とか巨石積降し櫓(ヤグラ)類の断片でも埋まっていそうだが、報告が出ていない。 運搬船は名ばかりの形式的なもので、「太陽の船」のように行事飾りに過ぎない建造物だったのではないか。 「運搬船」の場合は、名はあっても壁画などの記録がなく実物も無く、真実が確認できない例。 ピラミッドは「古墳ではない」(王の墓ではない)が定説だったが、近年に埋葬遺物を備えたピラミッドも幾つか発見され、定説は覆った。 (参考) 「ピラミッドは、何のために作られた?」 http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/first_page.htm ただし、墳墓とそうでない遺跡との二通りが存在したのか、祭礼専用が正式だったのかは定かでない。建立は着地点の目印だとか国民救済の行事とも言われるが、何の目的で建立されたにかの真相も不明のままだ。 遺跡はあっても、その目的・明細が確定できない場合もある例。 ピラミッド建造の労力は「奴隷によった」通説のほか、異星人が人類を家畜として扱い食用にもした説もあったが、地球人民の国家勤労だった証拠が幾つも出て来た。 労役の人々が報酬(原物支給) を分配した日記や、酔っ払った記録、家族などが治療を受けた形跡が残っていることから、労働に従事したのは奴隷ではなく勤労庶民だった証拠となっている。しかし全員が国民だった確証はなく、下働きだけ奴隷が使役した可能性もある。定説は変動し、推察も一面だけの想像は真相を見誤る危惧が潜在する例。 ピラミッド建設では多人数の協力作業が前提だが、巨石運搬の力仕事を一人で扱う場合の状況だと読違えたり、出土品の映像によりそれが作られた技術や背景を、知ろうとせず判断しようともしない事実もある。 情報を得ても、正しく理解・認識しない [読み手側] に問題がある場合の例。 以上のような例から、特に「超古代文明」を探る場合は、書かれていることをやみくもに信じず、裏付けを確かめるほか、反対面の現象も想像するなど、自分で考え多面的な思考を試みながら見識を高める姿勢が必要だろう。 (参考) 超古代文明の分野を知りたい場合もあり、情報として記事の一例を紹介しておく。 「超古代文明とは」 (開くと音楽演奏が流れるので要注意) http://www.h4.dion.ne.jp/~mf124/sub-3-kodai-siryou.html
- kagakusuki
- ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.5です。 >解説図の、跳ねつるべ式の細い支柱は、ピラミッドの場合2,500kg 級の巨石では無理なので、もっと太い材木を通常は3本使って櫓を組み、クレーンというよりはホイストの感じで丈夫な[滑車] (チェンブロックの代用)を幾つも組合わせれば持上がるかもしれません。 >青銅器時代に巨大な滑車を製作するのは不可能でしょう。船への積み降ろしにこんな大きなやぐらをどうやって使うのかにも謎があります。 ピラミッド用の石材を荷卸しする際に、1人で使用する水汲み用の跳ねつるべと同じサイズの物しか使用できなかったというのは質問者様の勝手な想像に過ぎません。 何の根拠も無く、細い支柱しか使用できないという制限を勝手に設けた自説を主張し、その自説が間違っている事を指摘した処で、それは質問者様が勝手に設けた制限が間違っていたという事に過ぎませんから、質問者様の自説とは異なる見解の説とは無関係な話であり、それを否定する何の根拠にもなっておりません。 全く同様に、ピラミッド用の石材を荷卸しする際に、滑車を使用したという話も、質問者様が根拠も無く主張している自説に過ぎず、その自説が間違っている事を指摘した処で、それは質問者様が勝手に考え出した自説が間違っていたという事に過ぎず、質問者様の自説とは異なる見解の説を否定する根拠には何らなりません。 古代エジプトでも跳ねつるべの様なシーソーの原理を使った仕掛けは既に知られており、大型のものを制作し重さ数トンの巨石を船から荷卸ししていたと考えられているという話であって、細い支柱しか無かったとか、青銅製の滑車を使ったといった話など何処にもありません。 >「船を使った痕跡はないか?」という意味です。 回答No.5で述べたラミッドの建築材料として使用された石を切り出した石切り場は全て川の傍にあります。 船を使う必要が無いのであれば、川の傍に石切り場を設ける必要もありませんから、石材の運搬には船が必要だったと考えられます。 又、当時のエジプトには死者の世界はナイル川よりも西にあるとする宗教観があったらしく、ピラミッドの殆どはナイル川の西岸に建設されていますが、その建設材として使用された石を切り出した石切り場はナイルの東岸にもあります。 東岸で切り出した巨石を西岸に運ぶためには船を使う以外の方法はありませんし、船を使って石を運ぶ術があるのなら、同じく川岸にある建設現場へは船を使って運搬する事が合理的であり、長距離を態々困難な陸路を使って運搬する理由はありません。 >客船とは別機能が必要な貨物船 毎年起きるナイル川の増水時に使用するもの、即ち定期的に使用する必要が生じるものなのですから、別の用途に使用されている船を転用するよりも、専用の船を作った方が合理的です。 >木製の水準器や直角定規などの治具(じぐ=測る道具)も当時に使われたのは驚きでした。当時すでに鋸(のこぎり)が開発されていた証拠です。 平らな木材を得る事は、木材を縦に割ったり、鑿や粗い石などで削る事によっても出来ますから、木製の水準器や直角定規の存在するからといって、それは必ずしも鋸が存在した事の証拠にはなりません。 但し、古代エジプトの遺跡からは実際に銅製や青銅製の鋸が出土していますから、当時のエジプトにおいて一部の木材加工に鋸が使用されていた事は間違いないと考えられます。 【参考URL】木材加工学I(奥村 正悟) KYOTO-U OPEN COURSEWARE > 農学部 > 12 - 木材加工学I(奥村 正悟), 2012 > 講義ノート > 第3回 切削の概念、切削の基本用語、木材切削の特質などの説明を通じた木材切削への導入。/PDF https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/faculty-of-agriculture-jp/6767000/pdf/03.pdf
補足
(ここは #8です) 現在までの判明経過概要をお知らせしておきます。 ◆巨石運びに「船を使った」証拠は見当たらなかった。 橇で運んだ図、コロで牽いた図、乗用船の現物(太陽の船-模型、水に浮かべた形跡あり) は存在し、実在していた証拠となる。 石積みの「船」は、言葉で言われているだけで壁画や記録図、現物も無い。どちらか「不明」というよりも、痕跡が全く無いので、実在しなかった可能性が高いが、存在しなかったという証拠も無い。 ウェブ上に記事が無いなら、その基になる学術書などでも解明されていない筈で、研究者による今後の調査報告を待つことになる。 ◆橇や修羅(コロ運搬の台車)への「積み降ろし」方法は、木材と梃(テコ)・やぐら・十字形ろくろ、牽き綱などによる何とおりもの方法があることが判明した。 その作業状況や道具の記録類や現物は残されていないが、橇やコロ台へ載せた記録図があるので、どの方法かで積み降ろしたのは間違いない。 船への積み降ろしも、同様にして行われたことが証明できる。 ◆採石場からの「巨石切出し工具」は、青銅器の鑿(ノミ)・鎚・鏨(タガネ)類によったことが、遺物の「鏨」現物が発見されたことで、明らかになった。 後に、ヒッタイト族かアッシリアから製鉄技法が伝来し、武器や工具に画期的な進展をもたす迄、不純物が多かったと思われる青銅合金が唯一の文明的な利器として活用されたのは間違いない。 --------------------------------------------------- なお、サイト各資料によると採石場や石切り場は礼拝堂・築山との間の都合による配置らしく、船積みの都合で石切り場を決めた [証拠] は出ていないようです。 また、青銅器の時代でも馬車(戦車)の車輪が作れたのですから、鋳物の鬆(ス)が少なければ滑車も造れた筈です。鬆があると、作業中に応力集中や金属疲労の関係で重加重の滑車が破断する危険があるので、実用したかどうかは不明です。 (参考) 4頭立て戦車 http://homepage3.nifty.com/EuroCities/Gate/GateHistoryAll.htm 人類と金属の出会い http://www.castalloy.co.jp/jinrui.htm 青銅器による文明 http://blogs.yahoo.co.jp/hs_anriver/15612098.html
ピラミッドをどうやって造ったか、と言うことに関しては未だに定説はないようです。 ご質問の各項目につきましては、回答は難しいとして、お考えになられる際のヒントは提供できるかと思います。 その前に、ピラミッドに使われた石は数は多いですが、大きさや重さは古代人にとってビックリするほどのものではなかったということをお含みおき願います。 参考 No.133 巨石を使った建築物・古代人たちの超技術 ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/kaiki2/133kyoseki.htm 日本でもピラミッドよりは時代は下りますが、酒石や古墳の石室など遥かに大きな物が知られています。 >巨石をコロ(丸太)載せや木そりで運んだ状況は、壁画で確認できる。 壁画に見落としはありませんでしょうか。 コロや木そりだけではなく濡れた砂を使っていただろうという見解があります。 参考 ピラミッドの石を運ぶ方法がついに解明(Gizmodo) 赤かぶ - 阿修羅 www.asyura2.com/14/kokusai8/msg/584.html >ナイル増水期に船利用の仮説があるが、船や波止場の痕跡が無い。 (船への積み降しをどうやったのか、クレンか傾斜桟橋も必要の筈) 氾濫を繰り返す川岸に遺跡が残っていろ、というほうが難しいのではありませんか。 最近は水中考古学が発達してきていますので、今後の発掘を見ないと断定は難しいでしょう。 クレーンは現代のようなものはなくても極めてシンプルな構造で類似の働きをする原理は知られていたでしょう。 日本では古くからあり、現在も庭師が使っています。 古代エジプト人が気付かなかったとは思えません。 (参考) 徳川期大坂城石垣の石積み施工技術に関する考察 library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/1996/16-0619.pdf 時代も国も違いますがいずれにしても人力頼りです。 古代エジプト人が同様の知見を持っていなかったとは考え難いでしょう。 桟橋は傾斜である必要はないでしょう。 上記の二股と呼ばれる簡易装置を使えば水平でも可能でしょう。 >運河を掘りクーファ(皮舟)運搬の仮説があるが、裏付け証拠が無い。 (クーファは、樹木などの骨組みに獣革か樹皮を張り巡らした小舟) クリファーのような小型船はさすがに無理でしょう。 ただ運河と言いますかクリークを使ったと言うことは充分考えられるでしょう。 船も貨物船のように積載するのではなく、水中に投じて浮力で重力を減らして吊り下げるような形で運搬していたのではないかと考えられています。 何らかの浮を付ければより容易でしょう。 >まだ銅器の時代に、銅鋸で水漏れしない板船造りには疑問がある。 (鉄は、後世 BC.1500年以降に西アジアで製鉄手法が開発された) ピラミッドの前で太陽の船という構造船が見つかっていますから、製材技術も建造技術も充分あったでしょう。 (参考) 太陽の船 - クフ王の船 のレポート・写真 - iPentec.com www.ipentec.com/document/document.aspx?page=travel-egypt-giz... 銅鋸とされていますが、巨木を縦に割る鋸というのは日本でも室町時代以降です。 鋸なしでも日本でも7世紀中葉に「板葺宮」が造られていたように板は作れました。 法隆寺の円柱も丸太そのままではなく、巨木を四つ割りにして各々を丸く削りあげて造ってあります。 「太陽の船」という構造船を造りだせる人々がこのような技術を持っていなかったとはおもえません。 >巨石は楔(くさび)で切割った筈だが銅楔は無理、青銅の時代なのか。 (異星人かそのロボットによる[幽質化]力で切出した説話は、仮説) 銅がむりであれば石を使えばいいだけです。 ピラミッドの石は堆積岩とよばれる柔らかい石を使っています。 堅いと衝撃で割れやすくなることを避けたのだと思われています。 石を割るのに割口全部に鑿を入れる必要はありません。点線状に要所要所に穴をあけるだけで充分です。 あとは衝撃を加えれば割れます。 夜間の気温にもよりますが、穴に水を入れて凍らせれば翌朝綺麗に割れています。 水よりも氷の方が体積が大きいことを利用した方法です。 まぁ石器が出土していませんから、銅製のポンチのようなものでしょう。 これが出土しているか否かは寡聞にして知りません。 アブ・シンベル宮殿のように巨大な石窟神殿や石像を綺麗に作っていますから道具には不自由しなかったでしょう。 いずれにしましても石の性質や取り扱いに関して相当な知見があったことは間違いがありません。 熟練した職能集団がいたと言うことは間違いないでしょう。 こんな仮説もあります。 内側から石を吊り上げていたのではないかと言う仮説です。 (参考) Excavating Egypt ピラミッドはこうして造られた | ドキュメント鑑賞 自然 ... poyoland.jugem.jp/?eid=464
お礼
有難うございました。
補足
ここは #7です。 真に有益なお知らせの数々をお知らせいただき有難うございました。 (巨石の運搬) 巨石の橇運びで水を撒いた説は、諸種資料でも記載があり承知していました。水まき説の出典元は、貴呈示図や既掲「ピラミッドの石を運ぶ方法がついに解明(Gizmodo)」の図< http://www.gizmodo.jp/2014/05/post_14458.html > ではないかという気がします。 水まきは、彫像が造れる程度の硬さにもなるためか、橇板の前に砂が盛上がらないという仮説ですが、ほかに過剰注水で砂地が流れるほどになった場合や台地が土混じりのぬかるみ状態の場合でも盛上がるのか、実証された裏付けが欲しい感じがします。 [コロ運搬] と [橇運搬] とは、どのような地表状況によって使い分けたかも、若干の疑問を感じます。 言説だけでなく実証された裏付けが付かないと真相は解りません。自分で考えてみることをせず(近年の日本人風習)、鵜呑みにするのは気が進まないので、確証が無いことは「仮説」と考えたいと思います。 クーファの説明やコロ丸太を進行先側へ運ぶような細事を解説したのは、百科事典のほかサイトのどこにも載っていないので特記しました。 水まき説は、サイトの各書に出ているので、この掲示では省いたというわけです。 (船を使った形跡) Webでそれらしい資料が無ければそれで良いので、構いません。 たいていの事は論文 (どういう訳かPDF資料が多いですね) が出ていて、それに関する解説も諸サイトがある筈なので、探している解説のサイトが無いなら、その原典の学術書も存在しないと思います。 クレン・ウィンチ・ホイストに類するような道具は存在したと推察します。 「徳川期大阪城石垣—」のURL資料は巨石運搬技術の集大成版とも思える図解で、古代エジプトの船積みでも似たような技法が使われたことでしょう。貴URL「ピラミッドはこうして造られた」< http://poyoland.jugem.jp/?eid=464 > の後半頁にもピラミッド頂上の天頂石設置を4本柱の櫓で吊った想像図が載っています。 (参考) 新たに東海大学が発見した [ダハシュール北遺跡] http://www.tric.u-tokai.ac.jp/isite/sarchaeology/jdahshur.html 「ピラミッド分布図」 (ダハシュールは分布図のほぼ中央-上寄り) http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/maps/pyramid_position.html --------------------------------------------------- なお、提供されたURLは宛先へ自動ジャンプしない傾向があるので、訪問・閲覧者の便宜のため、僭越ですが以下に再掲示しておきます。 No.133 巨石を使った建築物・古代人たちの超技術 http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/kaiki2/133kyoseki.htm ピラミッドの石を運ぶ方法がついに解明(Gizmodo) http://www.asyura2.com/14/kokusai8/msg/584.html 徳川期大阪城石垣の石積み— http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/1996/16-0619.pdf 太陽の船 - クフ王の船 のレポ・写真 http://www.ipentec.com/document/document.aspx?page=travel-egypt-giza-khufu-ship-report Excavating Egypt ピラミッドはこうして造られた | ドキュメン http://poyoland.jugem.jp/?eid=464 (URL文は、テキスト文形式で英・数・和の文字列を並べるだけで、HTML文法ほか何も細工しない方が良いです。 OkWv側で自動的にジャンプ機能が付加されるようです)
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9143)
(再)会費が無料の専門学会はありません。あなたが要求しているのはこういう学会に所属して大学や研究所で研究している人からの回答です。
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お礼
(ここは #15です) 船の「痕跡」記事はお手柄でした。 巨石の運搬船と「断定」されたわけではなく、思いがけない逆転がないよう祈りたいです。 今後、「証拠」となる現物が発見されることを期待しましょう。
補足
(ここは 15です) <ピラミッドの周囲や石切り場には運河や水路の跡が発見されている> との研究所報 URL で、船の運航が推察できる初の裏付け情報となりました。 運搬船が運行したとなれば、巨石の積降しに木材クレーンなどのような道具が使われたことも、証拠はなくても実行されたと推察できます。 ほかの巨石を牽引するなどの方法では、積降しが不可能と思えるからです。 <人力式クレーン> の話も#15さんの解釈誤りです。 対象の図は覚えていますが関連#が不明で、どこで出た話かだいぶ探し回ったのですが、時間の都合もあり発見できなかったものの、日本の井戸風の跳ねつるべが描かれていて細い木柱でした。エジプトでも同様の着想はあった筈なので、巨石移動には太い柱を使えば実用できるこを述べたのです。