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江戸時代末期の侠客ってなにをしていたら侠客って言わ

江戸時代末期の侠客ってなにをしていたら侠客って言われてたんですか? 団子屋で無銭飲食する輩が侠客? 関所を無銭で通行する不良が侠客? 侠客の仕事はなんですか?なにをしたら侠客と呼ばれたんですか?

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  • oska2
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回答No.1

>江戸時代末期の侠客ってなにをしていたら侠客って言われてたんですか? ヤクザ同しは、戦いを行う。 一般人には、一切手を出さない。 反体制派。 >侠客の仕事はなんですか?なにをしたら侠客と呼ばれたんですか? 多くは、博打の胴締め。又は、港湾土木業者ですかね。 有名なところでは、清水一家の次郎長。 賭博・殺人ばど、何でも行っています。 が、人情に厚く涙もろかった様ですね。 ですから、多くの者が慕って来たのでしよう。 幕末には「幕府側の戦死者は、捨て置く事」という討幕軍の命令に反して「死根ねば、官軍も賊軍も無い」と幕府側戦死者を埋葬・供養しています。 四国の金毘羅さん(幕府直轄地)でも、高杉晋作を匿ったヤクザが居ました。 参拝客相手の博打の胴元ですが、新政府からは「任侠・英雄」と見做されました。 要は、一般人に対して威圧的な対応をしない+敵対勢力に対しては徹底的に戦う輩です。 パレスチナの「ハマス」も、パレスチナ難民側から見ると「任侠」なんですね。 各国政府(もちろん、日本の公安を含む)側から見ると、テロリスト集団に過ぎません。 ヤクザも、色んな立場から見ると色々な見方があります。

blackkigyou2017
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  • fujic-1990
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回答No.2

 強きをくじき、弱きを助ける という人が侠客です。  当然、庶民のあこがれ、尊敬の対象となりましたので、本物とは似ても似つかぬ「ニセ侠客」から似て非なる「似而非(えせ)侠客」、あこがれてマネはするが足りない「自称侠客」などなどが、本物の何百倍もいました。世の常です。  典型的な侠客は、例えば、凶悪代官から住民を助けるために代官を殺したり、ほかからやってきて庶民を苦しめた強盗などを何人も殺してしまったりして、代官所あたりから指名手配されるような人ですね。 > 団子屋で無銭飲食する輩が侠客?  そのヤカラは庶民を苦しめる側なので、侠客ではありません。庶民のために、侠客から退治される側です。 > 関所を無銭で通行する不良が侠客?  「関所破り」のことですか?  上記のとおり、侠客は代官所などから指名手配される場合があるので、そういう場合に関所破りすることもあるでしょうが、関所破りしたから侠客ということにはなりません。  むしろ侠客に退治される悪党が、日常的に関所破りしているんじゃないでしょうか。 > 侠客の仕事はなんですか?  時には人を殺し、代官所や奉行所から追われる立場ですから、田畑を耕す系の継続的な仕事は無理なんです。  庶民のタメを思って行動する人ですから、庶民に迷惑をかける仕事も無理なんです。  そうやって除外していくと、仲間内で博打をやったり、あくまでも自主的に庶民が支払ってくれるお金で村や町内のガードマンをやったり、という程度のことしか残らないと思います。  もっとも、「いつも侠客だ」という話でもありません。がまんできずに庶民を助ける。助けると庶民が侠客として尊敬する、という場合もあります。  とある村で寺子屋の先生をやっていた人が、教え子の親や教え子たちに対する代官の極悪非道ぶりに憤慨し、代官を殺して出奔するというような話もあったと記憶しています。この人の仕事は「先生」だった、ということになります。  私としては、(日本史でも習ったと思いますが)大塩平八郎も侠客だと思っています。この人の仕事は、大坂町奉行所の与力でした。

blackkigyou2017
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