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アメリカに勝利したベトコンの戦術等について?

まるで硫黄島の様にジャングル及び洞窟(地下トンネル?)を縦横無尽に活用し、敵の背後から仕掛け、また逃げ、敵の背後から再度仕掛ける、まるで「もぐらたたきの様な?戦術」がよく似ているような気がします。戦後、東南アジアに残られた旧日本軍の残党の方々も多くおられたと聞きます。ひょっとするとベトコンに勝利をもたらした「もぐらたたきの様な?戦術」は旧日本軍の残党の方々が技術指導したものなのでしょうか?

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  • oska2
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回答No.1

>「もぐらたたきの様な?戦術」は旧日本軍の残党の方々が技術指導したものなのでしょうか? その通りですね。 1945年の敗戦でも、戦地に自主的に残った日本兵が多くいます。 「アジアを、解放する」とい、旧日本政府の方針を信じていた方々です。 アジア各国の独立戦争では、多くの日本兵が活躍しています。 ベトナムも例外では、ありません。 フランスからの独立戦争を戦う為に、「クァンガイ陸軍中学」では旧日本兵将校・一般兵が教官としてベトナム人を軍事訓練を行っています。 ※机上理論でなく、実践経験豊富な教官です。 これらの学校を卒業したベトナム人兵士が、アメリカ・韓国軍と戦ったのです。 今でも、ベトナム各地では日本に対して好意的ですよ。 余談ですが・・・。 ベトナム国内には、約24000人の韓国軍人との混血遺児がいます。 ※ベトナム政府発表。実際は、もっと多い。 ベトナム戦争時には、韓国軍兵士は「略奪・暴行・虐殺など」非人道的な行為を度々行っています。 韓国軍専用の「従軍慰安婦」も、強制的に連行されました。 反対したベトナム人の両親を、銃殺しています。 私が現地で聞いた話では、従軍慰安婦になる事を拒んだベトナム人女性は「丸裸にされて、生きたまま火の中に投げ込まれた」との事です。 もちろん、韓国の正しい歴史には一切記載はありませんがね。 韓国大統領がベトナムを訪問しても、一切謝罪も賠償もしていません。 ※ニュースでは映りませんが、韓国大統領の訪問先ではプラカードを持った活動家がいます。 ※ベトナム各地には、韓国軍から被害を受けた場所に「残虐行為があった記録」として「碑」が建っています。 もちろん、韓国の正しい歴史には一切記載はありません。

参考URL:
http://www.mercury.sannet.ne.jp/emadukawiemogosi/1112KankokuNoSensooHanzai.html
7964
質問者

お礼

遺骨収容等で硫黄島の塹壕を観てみると解るのですが、猛烈な艦砲射撃が殆ど役に立ってませんでした。 ことは同じでベトナムに仕掛けた米軍の絨毯爆撃も殆ど役に立ってなかったでしょう。 米軍に原爆や水爆を落とされても、壊滅できなかったと思えるほどです。 しかし、あの穴の中での戦闘及び生活は恐く、毎日が地獄だった筈です。末期ガンの抗癌剤治療と同じく、自殺したほうが余程楽だったと思います。 ベトナム人も旧級日本軍と同じく粘り強く戦われたことは、真に賞賛させることと思います。 ただ、戦争は最悪の手段です。勝った、負けたなど本当は、どうでもいいです。余りに多くの命が無駄に消費されました。

その他の回答 (2)

  • eroero4649
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回答No.3

太平洋戦争も大詰めとなる1944(昭和19)年6月に、後に「マッカーサー参謀」の異名をとる堀栄三さんという参謀が「敵軍戦法早わかり」というマニュアル本を作ったのです。45年8月15日で終戦ですから、終戦のわずか1年前です。 このマニュアルに基づいてペリリューとか硫黄島とか沖縄では戦法が見直されて米軍は苦戦を強いられることになります。実はそれまで、日本陸軍には対米軍戦法マニュアルというのは存在していなかったのです。日本陸軍の仮想敵はソ連軍だったのでね。 ですから硫黄島や沖縄の日本軍の戦い方は日本陸軍全体の戦法ではなく、急遽作られたマニュアルに基づく現場の創意工夫だったのです。いかにも日本企業っぽい話でしょ? 元々日本陸軍の戦法というのは運動戦重視です。運動戦というのは、陣地に籠るのを嫌って動き回りながら戦う戦法です。なぜ日本軍が運動戦重視になったかというと、陣地戦となると大砲などの火力が重要になりますので、貧乏軍隊で大砲が多く用意できなかった日本軍としては運動戦しか選択の余地はなかったという涙なしでは語れない事情がありました。 というわけで、北ベトナム軍に対する日本陸軍の影響というのはほとんどないといえるかと思います。ただ、ベトナムに残留した元日本兵が陸軍中学校で士官候補生の指導をしたということはあります。とはいえそれは戦略的な影響というより、今の企業でいうなら元工場長みたいな人が工員の指導をしたり組織を作ったりみたいな感じであったと思います。 では北ベトナム軍及びベトコンゲリラに最も影響を与えたのは何かというと、ちゃあんとソ連軍というのは「ゲリラマニュアル」というのを作っていたのです。 ソ連はナチスドイツとの戦争で、パルチザンゲリラを使ってゲリラ活動をしていました。一方のナチスドイツもあの悪名高いゲシュタポを使って鎮圧をしていたのでそこはもう非常にレベルの高い戦いがあったのですね。そういった中で積み上がっていたノウハウをちゃんとマニュアル化していて、それをベトナムのみならず世界中に広めたのです。 毛沢東の紅軍も参考にしていますし、チェ・ゲバラやカストロのゲリラ軍もそれを叩き台にしてノウハウを高めていきました。同じ共産圏である北ベトナム軍及びベトコンにもそのノウハウは伝えられていたでしょうから、どちらが影響が大きいかというと、それはソ連軍及び人民解放軍(紅軍)による影響のほうが大きいのは間違いないと思います。

7964
質問者

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遺骨収容等で硫黄島の塹壕を観てみると解るのですが、猛烈な艦砲射撃が殆ど役に立ってませんでした。 ことは同じでベトナムに仕掛けた米軍の絨毯爆撃も殆ど役に立ってなかったでしょう。 米軍に原爆や水爆を落とされても、壊滅できなかったと思えるほどです。 しかし、あの穴の中での戦闘及び生活は恐く、毎日が地獄だった筈です。末期ガンの抗癌剤治療と同じく、自殺したほうが余程楽だったと思います。 ベトナム人も旧級日本軍と同じく粘り強く戦われたことは、真に賞賛させることと思います。 ただ、戦争は最悪の手段です。勝った、負けたなど本当は、どうでもいいです。余りに多くの命が無駄に消費されました。

  • shpfive
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回答No.2

ベトナム解放戦線に旧日本兵が参加していたのは事実ですから、まったく影響がなかったとまでは言いませんけど… 実際問題としてベトナム民主共和国はソ連から重火器や軍事顧問の提供を受けていたほか、中華人民共和国からも軽火器や軍事顧問の提供を受けており、両国から派遣されていた軍事顧問が戦争指導にもあたっていましたので、ベトナムの「ゲリラ戦法」に影響を与えたのは、むしろそちらであると考えられます。 特に中国共産党は日中戦争当時から「ゲリラ戦法」についての経験を積んでおり、反対に旧日本軍の側には「ゲリラ戦法」のノウハウは、それほどありませんでした。 硫黄島の場合は優秀な軍人だった栗林忠道大将の個人采配による部分が大きく、日本軍としてあのようなノウハウがあったとは考えづらいものがあります。

7964
質問者

お礼

遺骨収容等で硫黄島の塹壕を観てみると解るのですが、猛烈な艦砲射撃が殆ど役に立ってませんでした。 ことは同じでベトナムに仕掛けた米軍の絨毯爆撃も殆ど役に立ってなかったでしょう。 米軍に原爆や水爆を落とされても、壊滅できなかったと思えるほどです。 しかし、あの穴の中での戦闘及び生活は恐く、毎日が地獄だった筈です。末期ガンの抗癌剤治療と同じく、自殺したほうが余程楽だったと思います。 ベトナム人も旧級日本軍と同じく粘り強く戦われたことは、真に賞賛させることと思います。 ただ、戦争は最悪の手段です。勝った、負けたなど本当は、どうでもいいです。余りに多くの命が無駄に消費されました。

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