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聖書上に描かれる天国について

お世話になります。 聖書に示される天国 では 子をなす事は 禁じられている の、ですか?

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回答No.14

No.12です 補足とお礼を頂戴しました。 だんだんQ&Aの趣旨から離れ当サイトの事務局に睨まれそうです。 お考えになられる一助に書かせて下さい。 ○知恵すら拒むとはいやはや本当に… 無用の用という考え方があります。 容器の中は空です。 この空間は何の役にもたちません。 しかし、空だから水でも粉でもなんでも入ります。 何かが入れてあれば後ははいりません。 空で無用だからこそ役に立ちます。 まっこんな意味です。 事前に知識や思い込みが詰まっていれば後からの知識が入りません。 ○お礼は散文的で文意が全くとれません。 聖書と同じ書き方ですかね 読む人次第? 今や、われらの神の救と力と国と、 神のキリストの権威とは、現れた。 われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。 それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。 しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。 悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである 千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。 その数は、海の砂のように多い。 彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。 すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。 そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである ヨハネの黙示録より抜粋 ご参考までに

Nouble
質問者

お礼

有り難うございます。 〉だんだんQ&Aの趣旨から… ですね 疑問が残る に、しろ スレッドは 立て直した方が、いいですね 〉無用の用という考… 先入観に、支配 されてますよ 詰めるものは 其れ単独で、 常に、自立的に 存在し続け、得る で、しょうか? 例えばの話し 治具が無いと 形を、状態を、 維持し得ない そんなのもは 現に、ありますよね? あと、 ある種の、合成樹脂を 満帆に、詰めていた方が 数倍も多く、収容可能な事も 在りますよね 例えば水、 例えば水素、 特に水素等においては 燃やした方が 1千5百余倍以上も、多く詰まります 詰まりは 空が、一番詰まる は、大嘘 例えばリンゴも ジューサーと、火鍋を、 先に、詰めておき すり潰させ、煮込ませ、 ながら 詰めた方が 遙かに多く、詰められますよね? ことわりを、知れば 此程の事は 容易に、見抜ける と、言うもの ことわりから、遠ざけるは 詭弁をはく、容易さを 妨げない行為 併せて 詭弁に、甘い言葉に、満たせば おのずと、耳を塞ぐでしょう 其れは、…の言葉すら、遮る 茶飲み友達と、語らうように …と共に、肩を並べ 笑い合い、語らい合い、 真を、意を、問い合う 此処の様に、ね 其れが困るものの、誘い では? 話を戻して 詰まり、 空の方が、詰め易い は、思い込み 故に、 思い込みを、利用して 初めて、成立し得る そんな場合が、ある 此は、… 詭弁の、可能計が ありませんか? 仮に、正しい方向への行いを 「聖者の行い」 と、仮定します。 聖者の行い から、遠ざけ そうじゃない方向に 落とし込む、言葉 此を、 貴方方は 何と、申されますか? 確か…、 何かの、甘い言葉 とか、言いませんでした? 其れこそ 情報である所の マ、其のものでは? 基礎があり、 誤りがある事を、自覚し 修正をも、受け入れる 正しい鍵が、示されたなら ね 修正も、正として 並列に、記載する ソフトウエア開発の、ようにね (※注:比喩なだけで、 ソフトウエア開発の現状を、礼賛している 訳では、無いですよ) 〉聖書と同じ… 同じ描き方かどうか は、判らない の、ですが 論理的脈略は、 立てる積もりが 一様は、あるのですよ ただ、同じになっていて 読み手次第で、 意味が本当に変わるなら なら、 示し手 其のものにも、問題がある と、言う事 耳が痛い と、共に 光明を感じます。 で、ですね 何処が、どう駄目か… 別スレッドですね(;゜ロ゜) 〉地と海よ、おまえたちはわ… 此をもし、 本当に、此のまま 示したものが、居るなら 帰って このものの管理担当者に迄 話しを卸し 一寸指導を、 検討要請する、必要が あるでしょうね 其れこそ、 余りに無茶苦茶 勝手し過ぎ ですから まあ、志望者だ と、思うので 叙情のきび的な、難しさは あるでしょうね まあ、人担当として赴任した 其のせい、なのかな? 余りにも、人依り過ぎ 事実無視 過ぎ 人の弱さ故、かな 追記、 スレッドを立て直した方がいい 此は判ります が、ですね どう立てたら適切か 些かに迷います ご指南頂けませんか? 疑問点は 聖書のように、伝わり難く では、無く 聖書との 明白な差別化を、持たせ 此のスレッドの、内容を 如何に、書けば 伝え得るか ですね

その他の回答 (14)

回答No.15

No.14です お礼を頂戴しました お礼に「先入観に、支配されてますよ詰めるものは・・・詰めた方が遙かに多く、詰められますよね?」と延々とお書きにならていますが、本題の文言を無視して例え話に飛びついて議論されても何の益もありません。 「無用の用」と言いますのは「一見何の役にもたたないように見える事物でも重要な役割を果たしている」と巷間で解釈されている老子の言葉です 聖書は、理解不能で間違いだらけの役にもたたないものだとお考えになられているのではありませんか 「ことわりを、知れば此程の事は容易に見抜けると言うもの・・・此は、…詭弁の、可能計がありませんか?」と延々と書かれていますが文意が全く読み取れません。 >スレッドを立て直した方がいい此は判りますが、ですねどう立てたら適切か些かに迷いますご指南頂けませんか? 論理的脈略は立てる積もりがあるのであれば、お考えになられておられることを第三者が理解できるように平易に理論付けて書かれてこの点について分からないと質問されればよろしいだけです。 尚、スマホからのご投稿でしょうか、日本語の文章を独善的に切られても読みにくいだけですのでご注意願います。

Nouble
質問者

お礼

有り難うございます。 〉いる老子の言… あらあら、 語るに落ちたわけですね 恥ずかしいやら 何やら…

  • stmim
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回答No.13

その発想はありませんでした。 子供を産むというのは人間的な営みで、そうしたことをすべて卒業するのが天国に行くということだと思います。 つまり、あがりの状態です。 天国の人間には生物的な肉体もない。別に死ぬこともないから人間をふやす必要もない。 人間が新しく生まれるとしたら地上のみじゃないでしょうか? 天国で子供が生まれるとしたらそれはどんな人生なのか? 禁止されているというより、子供がうまれる仕組みが存在しないと思います。

Nouble
質問者

お礼

有り難うございます。 仮に 天国には、 全ての喜びか揃う と、言う解釈と …達の住まう世界 と、言う解釈 其の他の解釈 が、ある と、します。 前者の 喜びが全て揃う世界 と、した時 此の喜びには 子をなす事 他の世話をする事 子と共に育つ事 満ちる事 此等、又他も、 きっと、含まれるでしょう ならば 増える も、必定 かと、思います。

Nouble
質問者

補足

また、聖書によると …が、父 な、訳ですし 此の国の神話でも アジアの伝来も 北欧でも 其の他、…でも 其の真意がどうか、 此の意見が正しいか、 は、 定かでは、無い ものの 人に伝わる、宗教内にも …達が、子を為さない とは、 改めて、思えば 思い辛い かも、知れませんね

回答No.12

No.3、7,9,11です お礼と補足を頂戴しました。 ご意見を述べられておられるようですが文意が取れない部分があります。 >本当に偽物ではない真に崇高な…達が訂正を求めているとした時此を実現できる可能性は一体どれ位有るでしょうか? 「…達」とは誰を指しておられますか 何を基準として「本当」とするのか、何をもって「真」とするのかで可能性は変わってきます。 物事を考える際には色々な考え方があります。 本偽、真偽、是非など物事を分けて二項対立的に考える考え方と、物事を一体のまま考える、見るものも見られるものもない主客一如というような考え方もあります。 物事を考えるのに当たって分けて考えるのは自然科学で使われている考え方です。 宗教のように信じることを大前提としている世界では物事を一体のまま考える傾向が濃厚です。 >新たに伝えるにも余りにもことわりを解さな過ぎる訂正も、受け入れない 何を何に基づいて「ことわり」とお考えになられますか。 自然科学分野で使われる物事を分断して考える考え方に基づいて、これが「ことわり」だとして物事を一体で考える考え方で述べられていることに対して「ことわり」を理解していない、と言われてもすれ違いになるだけです。 物事に対する考え方が根本的に異なりますので受け入れないという事態も当然起こり得ます。 >一般レベルの…ではもうどうにもならないと言うのが大勢を占めているのです。 何を「一般」とされておられますでしょうか 「…」を言葉で表現して頂きませんとお考えの趣旨が通じません。 「大勢を占めている」というのは、大勢の人達という意味でしょうか、あるいは質問者さんのお考えの大半を占めているということでしょうか。 >どうにかする手はあるのでしょうか? なにをどうされたいのでしょうか ○攻撃する気等毛頭無いのですが ご心配には及びません。 物事のとらえ方や考え方が違えば意見が異なってくるのは当然のことです。 >此の耳に届く…達の悲嘆から聖書に限らず訂正を一切許さない宗教の記述には日頃からどうしたものかと思っているもので この文章で「…達」とされておられるのは誰のことでしょうか。 「聖書に限らず」とされておられますが仏教では如是我聞と書き出せば以降はどのような事を書いても差し支えないとされています。 日本仏教の元である大乗仏教の場合は釈迦が考えたであろうとすることに対して5000を超える意見(お経)があります。 イスラム教では物事を考えるのに当たってコーランをどのように解釈したら良いかということを都度ウラマー(法学者)と呼ばれる人達がやっています。 この結果ISのような連中がいたり、イスラム教最大の信者を抱えるインドネシアのように平穏な国もあります。 旧約聖書も死海文書が発見されたこともあり、現在の形になるまでは改変されたり添削されていたことが分かっています。 一度公になった文書を勝手に添削しないというのは現代でも行われています。 日本国憲法を書き換えるか文言を追加するかなどについて喧々諤諤やっています。 宗教書に限ったことではありません。 公になった原書の文言をどのように解釈するかは人それぞれです。 日本国憲法についても自民党と民進党、共産党で解釈が異なりゴタゴタやっています。 旧約聖書をキリスト教と共有するユダヤ教は新約聖書そのものを認めていません。 認めていないからと言って書き換えるということはやりません。 旧約聖書も新約聖書も全編寓話で記述されていますので色々な解釈がされています。 この解釈の違いで宗派が沢山できています。 同じ宗派内でも時代によって解釈が違うこともあります。 解釈が違ってくればその時々の社会情勢に対する考え方や判断に違いが出てきます。 原本である聖書には変わりがありませんが、中世には魔女裁判などが行われましたが現代は行われていません。 長崎の五島列島には隠れキリシタンと呼ばれる人達がいますが、明治になってキリスト教が解禁された際に、自分達と今の教会の考え方が違うということで、教会に戻ることを拒否された人達の末裔です。 補足とお礼全体の感じからしまして、質問者さんと他の人達の解釈の仕方の違いにイライラされておられるのではありませんでしょうか。 you tubeに下記のような動画があります。 #2 ドキュメンタリー「本当のシナイ山」日本語字幕* 投稿者;Sunrise Ministry サンライズミニストリー いろいろな検討の結果、旧約聖書でモーゼが十戒を授かった山とされるシナイ山はおかしいのではないかと議論しています。 解釈の仕方が時代によって変わってきていることが良く分かります。 一度ご覧下さい。 ご参考までに!

Nouble
質問者

お礼

有り難うございます。 〉「…達」とは誰を指しておられますか 見えざるもの達です 人が、創造主、太陽神、 等と、称すもの達も 含まれます >本当に偽物ではない真に崇高な…達が とは 創造主等として、GODと、称されるものも含め 本当に偽物ではない、真に崇高な…の 方々の事です 本来は「…」とすら 称したくない の、です 「」と、したい所 なのですが 其れでは、 文として、成りたくなる場合が、出ます ので、 今回は、こう表しています。 なお、文頭、文末に置く 省略を表す「…」とは 表さない と、言う意味では 同じです 〉本偽、真偽、是非など物… 未だ、悟りの数が 今に比べ、少なかった頃 悪魔との違いに、ついて 囚われた時か、在りました 故に、 未熟な答えである可能性 其れを、踏まえて 捉えて頂きたい 違いの1つとして 悪魔は、 全てではなくとも 代償を求める と、至りました 今、私は 此の回りには 代償を求めるものは、置いていません ただ、今となっては こうとも、思います 余る力は、害となりますので ので、故に、 其れなりの能力が、あるか 資質を、問う 其れも、有り得る とも、考えます。 また、 まあ、マを統べるもの マ、其のもの と、称される方も 拒絶せず、否定せず、対立せず、 其の、現れ方の違いだけを 取りざたする のでは、なく 全て包み込む、内包する、 と、しています。 此が、慈愛の信条 ですから 〉大勢を占めている とは、 断じよう と、言う意見を持つ方々、…達が、 …達の ほぼ、全てを占める と、言う事です >新たに伝えるにも余りにもことわりを解さな過ぎる訂正も、受け入れない 此は 私が悲嘆している の、ではなく …が悲嘆している言葉です 表したくない事 では、ありますが 皆様が称すところの「神」も 含まれます。 此の方々に対し 何らかの、思いを示す 此を信仰 と、称している のでは、ないですか? 百歩譲っても …の言葉の骨子、思想の紡ぎ方、とも言える ことわりを 否定して、どうするものか と、 疑問に、駆られます。 …と、 意思を、交わすには ことわりや、 理論的、話しの構築、 また、其れ等への理解力は、 必須です。 此等、 ことわりや、理論的思考 を、否定する と、言う事は …との、意思疎通のチャンスを 自ら否定する 此に、他なりません。 >どうにかする手はあるのでしょう… 此まで、何度も何度も …達は、表わそうとして にも、関わらず 其の度に 全てが、伝わらずに 来ました 其の、伝わらない原因 と、しては ことわりに、対する 理解力が、足りなさすぎる、 故に、 欠落する 既得権益等 しがらみに囚われ、 断ち切ろうとしない、出来ない、 社会的因果が、 個の決済を越え、 修正を飲み込む、 等、様々なものがあり 結果、 足りない、不適切な穴埋めがされる、 等 …達の真意には、 筒底、もとるものが 結果として、残されて しまっています。 ことわりへの、理解力不足 位なら 断じるしかない とは、成らないものも 新たにも、受け取らない 修正にも、応じない では、 真意を、 どうにも、伝えようもない なら、断じるしかない と、成ってしまう そういう訳、です こうして …とは、どうか と、 新たに伝えても 受けないでしょ? 此の現状を、打破する方法は …達の中には なかなか、 見いだし難い、以上 拒む事を、尊重するしかない 此の上は 拒む、其の自身 詰まり、 人自身に、問うのも一案 と、思っていました、 たまたま、 此の場で 広く、且つこだわり無く、知る、 其の方が、居られた ので、 適切と、思える方を見た ので、 問うてみた 次第です。 人の個々の 其の内にある 忌むべきもの 「情報」 は、 何とか、もう出来るでしょう 個々の人に 忌むべきものを、発生させる 経済も 好感触が、持てます しかし、宗教は… 新規も、更新も、 受け入れない、方々が どうしようもなく、 居られ続けます。 此のままでは、 もし、事が上手く運び 一般レベルの…達迄が、 此の世に、現臨する と、言う事に なった場合も、 其れを マ、 と 人の内の、幾らかの個が 独自に断じて 危害を、加えようとする そんな事も、 容易に、想像できます。 此は、困るのです。 〉仏教では如是我聞と書き出せ… しかしながら 如是我聞、 …とは、其の個々は 数多在れども 唯一無二、 有り様は、 総じて、ほぼ1つ このように… と、書いても 新たな宗派が、生まれるだけ 旧の宗教を、尊重する 其の方の、首根っこを掴み 違う、こっちだ 等とは、言えない訳で 結果、 現臨に対するテロが、懸念され続ける 訳です。 〉魔女裁判などが行われましたが現代は… 有り難い事です 〉違いにイライラされ… 否定出来ないですね、 しかし、そうさせるのは 一重に、 此の身が 人の形を、今は取っている事もあり また、でも尚 私の耳に、届き続けるものもあり 破滅を、是としない にも、関わらず 断じる、其の 根拠、根源、 の躍如も ラストワンマイル と、しては 進まず 悪戯に、 代を、変えていくのみ 心配が、加速するのも 無理もない と、 お許し頂ければ、幸いです。

Nouble
質問者

補足

改めて、ことわり(理)を 辞典で、調べましたが まま、其のままの意味 でした 知識、現れを束ね 其の 同、異、から また、一貫性から 知恵を見出し 知恵を束ねて 矛盾をあぶり出し 時に修正し、 理を知る 理を束ね 天啓を添え 悟りを得る 悟りを束ね 束ね、束ね、束ね、束ね、……………束ね、 おのずを見出す て、感じです でも、知恵すら拒む とは、いやはや 本当に…

回答No.11

No.3、7、9です。 再度お礼を頂戴しました。 ご意見といいますかご質問がありましたので説明させて下さい。 事前にお断りしておきますが、特にクリスチャンでもプロテスタントでもありませんので誤解なきように願います。 >人が追放される前の場所エデン?との関係が未だはっきりとは判りません。 創世記では、エデンが先にあってそこへまずアダムを送り込みアダムの肋骨からイブを創り、その際に「産めよ増えよ地に満ちて地を従わせ全ての生き物を支配せよ」と言ったとされています。 ただこの言葉は神が人を創る前日に動物などを創った際に「産めよ増えよ地に満ちよ」と言ったとされています。 アダムとイブに対しては「地を従わせ全ての生き物を支配せよ」と言葉を追加したことになっています。 >地に満ちよとはエデンで人として種を増やせとの意味なのでしょうか? 旧約聖書の記述に従えばそういうことになります。 >エデンに、存在し続ける事を…に許されたそんな存在を採り、食わずとも構わない、個を肥やすために、食う、採る エデンはこの世の楽園と位置づけられていて神がいる天国ではないと受け取ることができます。 そもそも創世記というお話はこの地上をどのようにして神が創ったのかというお話です。 この世の地上に有る限りは、楽園ではあっても命をつなぐために食べることが必要になりますが、この点についての記述はありません。 ただ「地を従わせ」というのを農耕も意味すると考えることもできます。 >エデンで人は「増える」を推奨されたのでしょうか? 旧約聖書をそのまま読めばそういうことになります。 >智に富む…ならば其の先には崩壊が待っていると判るだろうに このように考えるのが人間の限界で神の思し召しはうかがい知ることはできないというのが宗教たる所以です。 >其れとも、抑も其のままのエデンで食い散らかしながら増えよと言う意味でしょうか? これについても記述はありません。 食い散らすかどうかは判断できません。 >追放が起こらなかった場合どうなっていたのでしょうか? 人が生きていく上での苦しみの根源を教える話ですので、追放が起こらないという前提が成り立ちません。 >エデンでは食うのでしょうか?食わざるのでしょうか? アダムもイブも智慧の実を口にしていますから食うということになります。 〉餓死する… 〉戦争が起……が人の苦しみを奨励し予め組み入れるでしょうか これらのことも神の思し召しという解釈になります。 人がうかがい知ることができることではないというのが宗教たる所以です。 >貴方なら全てに慈愛を違えますか?守りますか? ご質問の趣旨が良く分かりません。 >どのように解釈すべきでしょうか? 聖書を信じるか否かで変わってきます。 ご参考までに、キリスト教では愛は崇高なものとされていますが、仏教では執着心の一つであるから滅却しなくてはならないとされています。 つまり慈愛なるものをどのように考えるかで解釈が違ってくるということです。 四苦八苦というのは仏教からきた言葉です。 人が生きて行くのにあたり避けることができない苦のことを指しています。 愛別離苦というのがその苦の一つとされています。 愛するものと分かれる苦のことですが、なまじ愛などに囚われるから苦が生じると考えます。 仏教では慈愛とよく似た言葉で慈悲という言葉があります。 蛇足 いろいろお考えのようですが、聖書はあくまでも宗教書です。 しかも全てが寓話として書かれていて、それをどのように受け取り、どのように解釈するかは読む人次第ということになっています。 従って理論的な整合性には頓着しません。 逆に言いますとなまじ理論的に解釈しようとすると矛盾だらけでかえって混乱しますのでご注意下さい。 旧約聖書が成立した場所は死海の周辺の地域だったと考えられています。 植栽の乏しい荒野の地域です。 エデンも東の彼方にある理想郷として、あらゆる樹木が茂る楽園をイメージして書かれています。 植栽が豊かで肥沃な土地であるインドで生まれた仏教とは自ずと異なってきます。 旧約聖書が舞台となったシナイ半島というのはどのような地帯なのかはgooglマップの航空写真でご覧下さい。 you tubuにも光景の動画があります。 シナイ半島 投稿者:tkoa1553okayo1 このような気候風土で暮らす人達にとって納得性のあるお話というのはどのようなものであったのか考えてみて下さい。 遥か東方にあるエデンの園がどのようにイメージされていたかを考えてみて下さい。 海に囲まれた四季豊な国に暮らす日本人とは相当違います。

Nouble
質問者

お礼

有り難うございます。 〉事前にお断りし… 申し訳ありません。 攻撃する気等、 毛頭無いのですが 此の耳に届く …達の悲嘆から 聖書に限らず 訂正を、一切許さない 宗教の記述、には 日頃から、どうしたものか と、思っているもので 済みません、 お気分を害したなら、謝罪します。 修正を、受け付けない、なら 失敗として、断じる しかない との、過激な声もあり 止めるのも、大変なのです。 どう記載されてるか、すら 判らない中で 断じようとの 此等の声が、止まるように 断じる動きが、止まるように するには 先ずは知らないと と、思って居るだけで 攻撃等、とんでもない事です。 重ねて申します。 申し訳ない。

Nouble
質問者

補足

仮の話しとして もし仮に 本当に偽物ではない 真に崇高な …達が 訂正を求めている と、した時 此を実現できる可能性は 一体どれ位有るでしょうか? 新たに伝えるにも、 余りにも ことわりを解さな過ぎる 訂正も、受け入れない では、一般レベルの…では もう、どうにもならない と、言うのが 大勢を、占めている の、です。 もう 正直に、打ち明けます。 どうにかする手は あるのでしょうか? お考えを お示し頂けないでしょうか、

回答No.10

 こんにちは。  ★ 子をなす事は 禁じられている の、ですか?  ☆ いわゆる天国では 人びとはいわゆる天使のごとくに成って――ただし 男女の性差はのこると言われますが―― 性交はおこなわれないらしいです。  ええっと 例のレヴィレート婚の話のところで イエスが語っていたと思います。  ほかの回答とのやり取りでいくつかの主題が出されているようですが 取りあえず 趣旨説明欄についての回答です。

Nouble
質問者

お礼

有り難うございます。

回答No.9

No.3.7です 再度お礼を頂戴しました 追加のご質問がありましたので説明させて下さい。 >人が、生まれた世界では聖書記述によると個を増やしていいの? 旧約聖書の創世期記のに「産めよ増えよ地に満ちて地を従わせ全ての生き物を支配せよ」とありますので人は個を増やしもいいというかむしろ積極的に増やせとされています。 >聖書を通した視点では此等の点はどう認知するのが適切ですか? 此等の点というのがどの範囲を指しておられるのかよくわかりません。 「植物も、生きていると言う事ならばリンゴを、食べるは殺傷であり他の存在の其の尊厳への冒涜です。」 とあります点につきましては、 質問者さんのお考えは仏教の殺生戒に基づいた考え方です。 上記の創世記の記述にもありますように聖書では「地を従わせ全ての生き物を支配せよ」とありますようにリンゴであれなんであれ生きているものの生殺与奪権は人間にあり殺すことを他の存在の其の尊厳への冒涜とは考えません。 >聖書で、描かれているだろう人が元いた世界では食う事は必要ないと至りました。 「人が元いた世界」というのは天国へ行く前すなわち生前の生きていた世界ということでしょうか 旧約聖書にあるアダムとイブの子のカインとアペルの話として 「カインとアベルは神の前に捧げ物を持ってきました。カインは農耕従事者として地の作物を、アベルは牧畜従事者として羊の初子の中から最上のものを捧げました。」 とされています。 農耕も牧畜も食料を手に入れる生業ですので「食う事は必要ない」ということにはなりません。 新約聖書には「人の生くるはパンのみに由るにあらず」という文言がみられますが、これを逆に言えば人はパンで命を支えていることになります。 つまり「食う事は必要ない」ということにはならないということです。 「人成らざる崇高なものを見れば他への冒涜を許すはずがないと考えれます。」 という点につきましては 上記の創世記に「地を従わせ全ての生き物を支配せよ」とありますように自然界を人間が支配するとこは冒涜とされていません。 「個が増えるならいずれは破綻を迎えると至りました。」 という点につきましては 現在は人口爆発などと言われて人口が増えることに対して危機感がありますが、旧約聖書が成立した時代にはこのような危機感はありませんでした。 従いまして個が増えて破綻するということに関してはなにも触れていません。 むしろヨハネの黙示録のようにいずれこの世に終わりがくるという考え方が主流です。 聖書には最後の審判という考え方があってこれがキリスト教の根幹をなす思想です。 現在言われている人口爆発による破綻も現在の先進国の生活水準を維持しながらという前提があります。 限りある地球上で人口が増え続ければ食料不足となって餓死することになりますが、餓死することによって人口が調整されますので人が生きて行くだけであればいずれバランスすることになります。 ただその前におそらく戦争が起きて、その際に核兵器を使えば人類が絶滅する可能性がないとは言い切れないかと思います。 つまりどうような形で破綻すると考えるかによります。 蛇足 植物も命あるものと考えてむやみに刈り取って食べるな、という考え方はインドのジャイナ教などにあります。 動物質のものを食べないベジタリアンの中にはこの考え方をする人がいて再生が可能な根菜の地上部分だけ食べる人がいます。 文字通り根絶やしにしないということです。 人と自然との関係について日本人とキリスト教などを奉じる欧米人とでは根本的に違います。 日本人は人も自然の一部と考えますが、欧米人は自然と人間は対峙するものと考え自然を人間に従わせようとします。 現代の日本人にもこの欧米型の考え方が広がっています。 東北の地震の後の防潮堤の建設に当たりこの考え方の違いが鮮明に表れています。 津波をあくまでも防ごうとして高い防潮堤を主張する人と、押し寄せる津波の勢いを弱める防風林を設けて人が高台へ避難する道路を整備するべきだと主張する人に分かれています。 自然を抑え込んで従わせるか、自然に従いただ人は避難すれば良いと考えるかの違いです。

Nouble
質問者

お礼

有り難うございます。 特に蛇足 興味深く拝見致しました。 〉産めよ増えよ地に満… 此の「地に」 と、言う事と 人が追放される前の場所 エデン? との関係が 未だ、はっきりとは判りません 地に満ちよ とは、 エデンで 人として、種を増やせ との意味 なのでしょうか? 其れとも、 早々にエデンから出て 地に至れ と、示されていた ので、しょうか? 別な話 〉>聖書を通した視点で… ですが 私の言うところの 〉人か元いた世界 は、恐らくエデンでいい と、思います。 間違えていたなら、謝罪します。 エデンに、存在し続ける事を …に許された そんな存在を 採り、 食わずとも構わない、個を 肥やすために、食う、採る、 此を、 聖書の世界を、通しては どう理解するか と、言う話しです。 今一度、述べますが エデンで人は 「増える」を、推奨された ので、しょうか? 智に富む…ならば 其の先には 崩壊が待っている と、判るだろうに 此の一節は …の崇高さを傾けている内容 と、思え 此は、どう理解すべきか 判らないのです。 其れとも、抑も其のままの エデンで、食い散らかしながら 増えよ と、言う意味 で、しょうか? 追放が、起こらなかった場合 どうなっていた ので、しょうか? エデンでは 食う ので、しょうか? 食わざる ので、しょうか? また、別な話 〉餓死する… 〉戦争が起… …が、人の苦しみを 奨励し、 予め、組み入れる で、しょうか 慈愛を解く…が、 そうある で、しょうか? 理解が、出来ない の、です? 所で、余談で失礼します。 〉地を従わせ、全ての生き物を支配せよ 此の一節ですが、 人の前に現れ 全てに慈愛を示せ と、述べる 人が、「此のものには、どういたしましょう?」 と、ブドウを、パンを、肉を、 指し示す 慈愛を と、言えば 人は飢え、絶える 支配しむさぼれ と、言えば 飢えず、栄える 貴方なら、 全てに慈愛を を、 違えますか? 守りますか? 此の一節は 根本として、連綿と求める 慈愛の姿勢に 違えている 其のように、感じる の、ですが どのように、解釈すべき で、しょうか?

回答No.8

#4の者です。 イブは、アダムの肋骨から出来ました。 また、全人類は彼らの子孫です。 そもそも子供といわず、天国には、亡くなられた方々がどんどん増える一方です。

Nouble
質問者

お礼

有難うございます。 以下は、勘違いですか? 来る審判の日に 全ての 亡くなった方々の 行き先が 天国か、否か、 決まる。 ので、 未だ、行かれてはいない

Nouble
質問者

補足

あと、 エデンと、現世と、天国の、 各々の違いも、 どう伝えられているのか 興味があります。

回答No.7

No.3です お礼と補足を頂戴しました。 追加のご質問がありましたので説明させて頂きます。 >個が増えると、維持するエネルギーはどうやって賄われるのか このような考え方はされていません。 エネルギーという概念は17世紀のガリレオによって確立された概念です。 聖書はそれ以前に成立していますので、このような概念は書かれていません。 聖書を改竄したり添削することは厳しく制限されていました。 現在も禁止されています。 つまり、聖書に基づいて考えればご質問には答えようがないということになります。 >聖書内では人はエデン生まれですよね? エデンで生まれたというよりもアダムとイブに生活の場としてエデンを与えたと考えたほうがよろしいでしょう。 >追放され今に至る此の整合性は聖書理解においてはどう理解すべきと、考えられてますか? 追放される切っ掛けになったのは、イブが蛇にそそのかされて智慧の実を食べてそれをアダムにも食べさせたことです。 平たく言えば智慧を手に入れたことで追放されました。 「智慧を手にいれた」ことを原罪と言います。 アダムとイブの子孫である全人類はこの原罪を引き継いでいたとされています。 この全人類の原罪を一身に背負って死によって償ったのがキリストであり、それが許されて再び現世に降臨したとされています。 結果として人間が赦され、神との正しい関係に入ることになったと考えられています。 原罪とそれによる苦しみを一身に引き受けて死んだ姿を象徴しているのが教会の十字架に架けられたキリストの像です。 尚、ユダヤ教ではキリストの神格を認めていません。 アダムとイブの追放を原罪と考えはしますが、ユダヤ教徒は神と特別な契約を結んだ選ばれた人間であるという選民思想が主流です。 キリスト教ではキリストが唯一の神の子とされますが、ユダヤ教ではユダヤ教徒の全てが神の子であると考えられています。 理屈で言えば、智慧の実も蛇も神が創ったものです。 こんなものを創らなければ、せっかく創ったアダムやイブを追放せずに済んだではないかということになります。 あるいは、こんな物騒なものをわざわざエデンの中に置いておかなければいいではないかということになります。 この考え方に対して、それは「神の思し召し」あるいは「神の恩寵」であり人間が伺い知ることができない神の深謀遠慮であるとされています。 蛇足 あることが証明されたから信じるのではなく、信じるから神仏があるというのが宗教です。 人間の知恵に基づく論理など神仏の考え(思し召し)には及ばないものとされています。 結果として理論的に矛盾しているかいないかなどということに頓着しません。 要は信じるか信じないかということだけです。 コペルニクスが天動説を唱えた際に、地動説に対して「神はそのような面倒なことは考えない」と言って退けています。 アインシュタインも相対性理論について確率論の立場から問い詰められた際に「神はサイコロを降らない」と友人に書き送っています。 エネルギー不変の法則とよく似た考えが仏教にあります。 この世の実在は空である、空であるが故に増えることも減ることも新たに生じることも消滅することもないという考え方です。 まぁ~原爆などは物質とエネルギーが交換可能であるという考えに基づいていますのでこれと不変の法則を会わせればよく似た考え方と言えます。 最初のご質問とお礼のご質問がズレているようですが、何かあれば遠慮なく補足をお願いします。

Nouble
質問者

お礼

有難うございます。 此の質問を、立てよう と、思った切っ掛けが 正に、私の今朝の 〉蛇が実を食べて… への、着眼です。(天啓?) エデンなのか、天国なのか、 は、判らない ですし、 抑も、其の違いすら どう描かれているのかも 判らない ですが 植物も、生きている と、言う事 ならば リンゴを、食べる は、殺傷であり 他の存在の、其の尊厳への 冒涜です。 聖書内で、 「食」について どう、示されているか が、判らない 所、ですが 私が、知る所の 人成らざる 崇高なもの を、見れば 他への、冒涜を 許すはずが、ない と、考えれます。 と、なれば 聖書で、描かれているだろう 人が、元いた世界 では 食う事は、必要ない と、至りました。 百歩譲って 食ったとしても、 偽物(ギブツ)を、窃取する 娯楽 と、至りました。 現世では、 ほぼ、如何なる 生きた存在は 他から、何らかを 取り込みます。 光等を、含め です。 ある意味、「食う」 ので、しょう? 個が、未だ 限られた量の、内は 神の、何らかな 思し召しで 其れ以外を、取り込まずに 動けても、不思議無い まあ、そうな訳 ですが、 個が、増えるなら いずれは、破綻を迎える と、至りました。 其処で、 人が、生まれた世界 では 聖書記述に、よると 個を、増やして いいの? と、お伺いした 次第です。 聖書を 通した、視点では 此等の点は、 どう認知する のが、適切 ですか? お教えください。

  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (839/4401)
回答No.6

>キリスト教のお葬式では、 お悔やみの言葉は不要 キリスト教は死に対する考え方が仏教や神道とは違い、永遠の命の始まりだとされています。そのため、亡くなったことは悲しいことですが、不幸なことではないという意識があります。 仏教や神道の葬儀でお悔やみの言葉を述べる場面では、 「安らかな眠りをお祈りいたします」のように、故人の安寧を祈る形が一般的です。 http://www.osohshiki.jp/column/article/98/ ここまでしかわかりませんでした。

Nouble
質問者

お礼

有難うございます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11076/34523)
回答No.5

旧約聖書を読む限りは、アダムとイブが天国でセックスしている描写はない(子供はエデンを追放された後に作っている)ことを考えると、たぶん天国にいると男も女も性欲ってのが湧かなくなるんじゃないでしょうか。 じゃあなんで使わないのにちんことまんこがそのままになってるんだというのは気になるところではありますが、ま、神様におかれましては人知の及ばぬふかーーーい考えがあってのことだと思います。

Nouble
質問者

お礼

有難うございます。

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