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焼夷弾の不発弾について(2)
焼夷弾の不発弾についてを質問させていただいた者ですが、どういう訳か、PCの設定不具合化かお礼のページ以降が開けません(載っていません)。 回答一つ一つにお礼なり再質問をさせていただきたいと思って何度も試してみましたが無駄でした。 したがってお礼を別のアドレスで入って申し上げさせていただきます。 質問の趣旨ですが、テレビで姫路城の歴史が取り上げられるたびに、主天守最上階でで空襲の後 焼夷弾が話が取り上げられます。 しかし、この話は発見者の証言だけで、記録はありません。 証言を疑うつもりは毛頭ないのですが、戦争末期姫路城には上空から目立ちやすい白を隠すために黒い偽装網がかけられていました。 それに最上階の窓は通常夜間頑丈な扉で閉まっています。 壁を突き破って入ったと放映されたこともありますが、あれだけの壁を焼夷弾が突き破ることは不可能と思われます(通常爆弾ならいざ知らず)。 仮に、偽装網(各階軒から垂れ下がっている)をあおって入り窓の扉が開いていたとしても、私の知る限りではお城には記録はないみたいです(修理も含めて)。 それに、窓の上には結構大きな屋根の久が出っ張っております。 使用された焼夷弾の種類はM47 100ポンド(三種類あり)です。 公称100ポンドですが、正味は70ポンドとあります。 内容物は油脂(ナパーム)、白燐などです。 (通常爆弾と比べて、軽量(薄い外壁と油脂)だったので大量にB-29に積載できたそうです。 35kg前後程度の重さなら建物を壊さずに床に転がっていても不思議ではないかもしれません。 多分私の質問に明快な答えは今のところないかもしれません。 ありがとうございました。 申し訳ありませんでした。
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- staratras
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日本の昔の城では石垣や土塀などは貫通する物に対する強度がありますが、天守などの屋根の部分は木造の骨格に屋根瓦を載せた構造なので当然石垣や土塀ほどの強度はなく、上空から重力の加速度で高速となって落下してきたものが貫通しても不思議ではないでしょう。 ごく常識的に、上空で分離した六角筒型の子焼夷弾が姫路城大天守の最上層の屋根を突き破って6階の床に到達したものの、幸いなことに発火せず翌朝処理されたのではないかと推測しますが…。 余談ですが、回答者は小学生のころこの六角筒(燃焼した後のもの)を友達と一緒に拾って遊んでいて親に叱られたことがあります。戦後十数年経っていましたが、地方都市の郊外(九州の県庁所在地)にも空襲の遺物が残っていました。 http://www.kajima.co.jp/tech/himeji_castle/index-j.html
- ithi
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hope_agt_hope さん、こんにちは。 もともと白亜の天守なので、目立ちやすく、そのために偽装網をかけられていました。私の記憶では昭和19年末のころのことですが、城下町のほとんどが焼けたのにお城の中心部だけ残った景観から、米軍がわざと残したとも考えていました。でも、やはり、天守閣に焼夷弾が落ちていたという事実を知って、ああ、この城も攻撃を受けていたんだなと知りました。燃えなくてよかったと思いました。この城は数奇な運命を懸命に生き残ってきたので、私もこの城が世界文化遺産になった時、涙が出ました。