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松平定信は11代将軍になれたと思いますか?

松平定信は、白河藩に養子に行かなければ、11代将軍になっていたでしょうか? 松平定信は、もし白河藩に養子に行かずに田安家に残っていれば、兄の治察の後を継いで田安家の3代目の当主となっていたはずです。 その場合、家基が亡くなった後に、11代将軍の最有力候補となっていたように思います。 松平定信は白河藩に養子にさえ行かなければ、11代将軍になっていたと思いますか?

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  • ithi
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回答No.1

zttrxabc さん、こんばんは。 候補には上がるかもしれません。しかしながら、田安家には父宗武が徳川将軍家重、大御所吉宗との確執があるため、そうすんなりなれるような状態ではありません。それに彼にまだ上の兄がいたはずです。彼と一緒に田沼意次の肝いりで二人は久松系松平家(家康の母の再婚先)に養子に出されてしまいました。定信自身は相当運動したみたいですが、結局、かなわなかったみたいですね。あまりに頭の切れる人はこの当時の将軍には向かなかったようです。 松平定国 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E5%9B%BD 松平定信 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E4%BF%A1 田安宗武 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%97%E6%AD%A6

noname#224172
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。 松平定信の兄は徳川治察の他に松平定国がいましたよね。 松平定国は伊予松山藩に養子に行っていたと思います。 治察の後を継げるのは、松平定信しかいなくなったのですが、結局は一度決まった白河藩の養子の話をなしにする事はできなかったようですね。 ありがとうございました。