- ベストアンサー
【人生、何を持って幸福と言えるのか】
【人生、何を持って幸福と言えるのか】 あなたは人に教えることが出来るぐらいに人生を悟りましたか? 人生、何を持って幸福と言えるのか。私に教えてください。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
赤の他人が、質問に答えてくれるのって幸せじゃないですか? 人生なんて言い出すと、大きな視点での話になりますけど、実際には瞬間の積み重ねですから、そういう細かいことに幸せを感じ続けていけば、人生の終わりに幸せな人生だったと感じるんじゃないですか。
その他の回答 (6)
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
物質には意識はない以上、幸福も不幸もありません。 認識の発達=意識の発生は、幸福感の発生(プラス)でもあり、不幸(マイナス)の発生でもあるのです。 しかし、本来、環境認識と自己認識が充分であれば、その相互作用において、精神的な充足感の増大を指向できるはずです。 物質に「目的」はありませんが、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 (あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする) 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人は無意識(死)による幸・不幸±0の状態から、認識の発達に応じて充足量の増大(認識の深まりによる精神的豊かさ×認識的社会性の発達による物質的豊かさ)を目指して生きているのであり、大事なのは意志の充足=社会生命的自覚化=愛による自律的社会行動です(お金をもらうためにイヤイヤ働くのではなく)。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、死による幸・不幸±0の状態からプラスを目指して生きていたはずが、いつの間にか他律的な苦痛(マイナス)から逃げる事による、かろうじて±0に近づく死人に等しい生に堕してしまっているのです。
- yuyuyunn
- ベストアンサー率41% (20359/48650)
自由で 自分の好きなことができること
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
生きていれば幸せだよ。 生きていて不幸せかい。 それも良きかな。
- suienn
- ベストアンサー率32% (131/403)
何気ない毎日を過ごせているのが幸せですね。日々の積み重ねそのものです。 当たり前と思っていることが、実は幸せ。普段は気づいていません。 何かが起きた時、普段の何気ない毎日がいかに幸せであったと気づくもの。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
これはね、心理学においてはあるていど 結論がでています。 人生において、満足するのが、幸福です。 ああ、俺の人生はまんざらでもなかったな と思えるのが幸福だ、ということです。 美味いモノを食って幸せ、なんてのは一次的な 快楽に過ぎず、そんなものは幸福では ありません。
- aokii
- ベストアンサー率23% (5210/22062)
人生は、他人のために生きたいと思えれば幸せです。
お礼
みなさん回答ありがとうございます 矛盾しています 考えがおかしい