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幸福不幸の割合

幸福と不幸はひとによって 捉え方はさまざまなので 割合などはわからないと思いますが その人が乗り越えるべき 分量として、同じように 与えられるものだと思いますか? 意味があって色んな出来事を 与えてくるのでしょうか それを乗り越えることができるか できないか、 それが人生なのでしょうか?

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  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.4

楽しいばっかりの人生も希なら 苦しいばかりの人生は・・・在るかも。 王様の息子に生まれて尊重され好きなように出来て贅沢もでき頭が良くてスポーツ万能でも その地位を狙うものもいるでしょう。 戦争に負けるかもしれません。 一方不幸は底なしというか貧しく楽しい事も殆どなく生まれ 子供の頃から働いて 公害の水俣病やイタイイタイ病に罹って痛いばかりの人生とか 生まれつき病気や原爆症 孤児や虐待でいい事なしとか 悪い事は幾らでも在る様に思います。 悪いことに意味があるとか 神様はその人が耐えられるくらいの苦しみしか与えない とか それは・・・そうではない様です。心に共通の神様があるのは在る人もいるでしょうけど 神様もヨブに耐え切れないほどの苦しみを与えました。あんまりです。 あんまりだと思うことは多いです。空爆で爆死したり(日本でも何処でも) 酔っ払い運転で子供が死んだり、ほとんど能力もなく生まれついたり あまりと言えばあんまりです。 ただ私の思想としての人生は、苦しくても辛くても存在すれば良い。 本人は大変かもしれないけど 生きて存在することに意義がある。と言う事です。 楽しく存在出来ればそれに越した事はないですが、苦しくても存在して未来に向かって 箱一つ作れば、絵の一枚も描けば、お菓子一つも食べて喜べば 生きてる価値はあると思います。 苦しくても オリンピックは参加することに意義があります。 人間は辛くても存在する事に意義があるのです。存在して何かすれば、良い事を それだけで意味も意義もあります。はい。

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その他の回答 (3)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

"幸福と不幸はひとによって捉え方はさまざまなので"     ↑ 不幸は様々ですが、幸福は概ね共通している と思います。 ”意味があって色んな出来事を 与えてくるのでしょうか”    ↑ 意味などありません。 意味がある、と考えて乗り越えようという ことです。 つまり、意味は不幸を乗り越えるために 人間が考え出した技術です。 ”それを乗り越えることができるか できないか、 それが人生なのでしょうか? ”     ↑ 乗り越えれば乗り越えた人生、ということです。 乗り越えられなければ、そういう人生だ、という ことに過ぎません。

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  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.2

>幸福と不幸はひとによって 捉え方はさまざまなので 割合などはわからないと思いますが ■その通りです。 もっと厳密に言えば、それ(幸不幸の状態)を感じるのは、その人の生命状態にあります。 同じ状況でも、人によって幸不幸の感じられ方は様々ですし、自分自身においても同じ事柄でも生命状態においては、異なった受け止めをする場合があります。 それだけ、人間の心(生命状態)というものは、移り変わりやすいものなのです。 >その人が乗り越えるべき 分量として、同じように 与えられるものだと思いますか? >意味があって色んな出来事を 与えてくるのでしょうか >それを乗り越えることができるか できないか、 それが人生なのでしょうか? ■色々な物事が起きる根本的な原因として、それは与えられるものではなく、その人の生命状態から起こるものです。これは、その人の身の上に(様々な環境を含めて)起きるすべての事柄が、その人の生命状態と連動しているのです。これを仏教では“業(カルマ)”と言います。あくまでも『与えられる』と言ったような外的要因ではありません。 ■世の中には、自分自身以外の何か外的な作用に根本原因を求める宗教や思想が少なくありません。例えば『神』に原因を求めるもの。こういったものを仏教では“外道(自分以外に原因を求めるという意味)”と言います。それに対して、自分の生命状態や宿業に原因を求めるものを“内道”と言います。 ■仏教では、どんな形であれ人間として生を受けることがどれほど尊い(貴重な)事かを説いています。それだけでも幸せな事だということです。さて、そうした幸せな人間として生まれた後、人は何を成すべきかということが重要になってきます。 それは、自身の宿業を打開して、他の人にも本来の生き方を勧め、誤った生き方を転換させる事にあります。自分だけの幸せを追い求める『利己』の生き方から、他人の幸せを願い、共に生きる『利他』の生き方をしなければいけません。

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回答No.1

幸福とか不幸とかは認識の問題でもありますので、個人差が大きいのです。 同じようにあたえらえるものではないし、また同じ境遇の二人を抽出しても、感じ方が違います。 人生は「四苦八苦」を受け入れ、「一心三観」の見方を身に着ければ幸せになります。

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