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幸福とは如何に?
年内に衆議院議員の選挙が行われます。 大乗仏教に例えれば、 日本と言う大きな船に、日本国民が乗り合わせ、幸福を求めて 荒波の中へと進んでいきます。 船の船長と船員が決まります。 生と死は一体、老と病は一体、食と排は一体(生老病死) 今を生きて幸福を成し遂げる(平生業成)は、 個人に取って、 人生の大事業であると、親鸞聖人の言葉です。死んでからでは 幸福には成らないと、法然聖人も賛同しています。 生から死まで欲と煩悩(煩悩具足)を身に纏い、生き物皆、心 に悪を持っている。その悪を表に出せば、人は傷つく。愛を求 めて、愛を守り人は生きている。愛を失えば人は失望感に悩む。 裕福でも不幸、貧困でも幸福な人もいます。 質問です。 一人一人が限られた生活の中で、幸福を求める術は欲や煩悩を 気にせず、他人を怨む事の無い自分の心の悪を消すことなのか、 心の雑念を取り除くことだろうか。 でも、日々欲は有ります。 幸福とは如何に?
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七) イエスや神に何度も同じ奇跡を求めるのは、大変失礼に当たります。私は、身内の病状が奇跡的に回復した際に、一度で聖母マリアの奇跡と信じました。「もう一度起こして見せて下さい」と言う人は、聖母に愛されないでしょう。 八) 現在、SNS 上で奇跡を演じれば、インチキと疑われるに決まっています。
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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六) イエスは、四日前に亡くなったラザロという病気だった男性を、生き返らせましたし、多くの病人を悪霊を追い出すことで治しました。それでも、当時の人たちの多くが悔い改めませんでした。
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やはり、現世を見ていると、過去の出来事が 手品みたいで誤魔化しが有るように思えます。 2024年の今、イエスが死人を生かし、病 を治せば、SMSで拡散したちまち英雄になる と私は思います。野球の大谷選手の様に。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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四) 現在の日本人の外見は、中国人が一番近いように見えます。 五) イエスは唯一の救世主であり別格なので、他の宗教と同列には扱えません。
お礼
有り難う御座いました。
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イエスが特別という実感がないのです。 冗談ですが、死んだ人を目の前で生か したり、病気の人を完治したり、すれ ば偉大さが実感出来、平和になると思 います。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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三) 親鸞と新約聖書の類似をお認めになるなら、あなたもオリジナルのほう、新約聖書を学ぶべきでは?
お礼
有り難う御座いました。
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私は武士の様に何処かの藩に所属してしまう事を 嫌います。剣術も一つの流派にとどまらず、色ん な流派を学び、悟りを極めたいと思います。キリ ストもその流派の一つです。気楽に学びます。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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一) 聖徳太子が実在しない説は聞いたことがあります。仏教を日本に広める目的で作り出した架空のスーパーマンなのかもしれません。 二) ミトコンドリア遺伝子の研究などから、日本には中国大陸から渡って来た人たちが多いのではないかと、私は思いますが。
お礼
有り難う御座いました。
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日本の人種は、北海道のアイヌ、沖縄の島民、 中国や朝鮮国からの移民などなど、アメリカ やイギリス、ドイツ、イタリアも東北に渡り 住んだとか。ごちやまぜで良く解らないので す。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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ン) 中国には7世紀に、景教としてキリスト教が伝わっていた。この時期は、先に述べた聖徳太子の時期と重なっており、景教が日本にも伝わっていた証拠とも言える。 「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」が、親鸞の中心思想とすれば、私が挙げたルカ福音書23章の話は、ぴったり過ぎる気がします。なので、親鸞思想は、仏教にキリスト教精神を盛り込んだもののように見えます。
お礼
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ともあれ、受け継がれていることは良いことだと 思います。話は変わりますが、聖徳太子は朝鮮人 ではないでしょうか?日本では有名な諸説があり ますが、朝鮮半島から日本への人類大移動にも何 か関係があるのでしょうか。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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ヲ) 一般論として言えるのは、文献の成立年代で、新約聖書は1世紀、親鸞は13世紀とすれば、親鸞がどこかでイエスの教えを聞いた可能性も否定はできません。聖徳太子は6~7世紀で、うまやどの皇子と呼ばれ、イエスの情報(赤子イエスは飼い葉桶に寝かされていた)を借用したようにも見えます。 このように、新しい情報と古い情報が似ていれば、オリジナルは古いほうと考えるべきでしょう。
お礼
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古い方が優先ですが、何時の時代でも正しい事は 同じ意味の言葉が出てくるものだと思います。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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お礼と補足を有難うございました。 幸福は自分自身の生命体が作るものです。 強い生命体を作る為には心の鍛錬が必要となります。
お礼
有り難う御座いました。
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長い間、お付き合い有り難う御座いました。 個々の人間が、何ものにも負けない強い心 を鍛えることにより、人生の幸福をつかみ 取る事が出来ると確信しました。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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ロ) 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ福音書23章) 罪人の一人とイエスの魂は、刑死後、即日に、金星へ行ったことになります。これはカルマ(輪廻)の法則そのものでしょう。西洋人には理解しづらいイエスの言葉だろうと思います。(ただイエスの魂は三日後には、復活のために再び地球に帰らねばならなかったが) ヮ) 幾億年前の前世の記憶を持つ宇宙人もいるでしょうね。ほとんど天使と言える宇宙人だと思います。
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キリストと共に、十字架に懸けられた犯罪人も、 キリストと一緒に金星へ行けたのですか。 親鸞の言葉に「善人なほもって往生をとぐ。い はんや悪人をや。」が有る。キリストと同じ考 えではないだろうか。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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ル) 宇宙人(天人)は、前世を忘れません。 仏教徒の現在の日本人だって、ほとんどが前世を覚えていません。 天人のレベルになれば、前世を忘れないが、地球レベルでは通常、忘れてしまうということでしょう。前世を忘れてはいても、無意識には性格などが前世のままということもあると思います。 仏教の因縁は、前世のカルマを指すと思われます。例えば、前世で悪いことをして、来世で苦しめられるというような。 レ) 西洋には輪廻という概念が無く、この点でアジアの仏教徒のほうが 霊魂の理解が深いと言えるでしょう。日本などでは、輪廻について理解があるので、説明しやすいのです。-
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西洋では輪廻という概念が無い。アジア日本にはある。 二つに分かれましたが、キリストはどちらにも輪廻は 有りですか。宇宙人の記憶力は何億年前世のものなの でしょう。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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法華経では 例え地獄の底に暮らそうとも 心の充実があれば、その人、所住の所は常寂光土なりとあります。 真の心の充実が幸せを呼びます。 それには己の心を強くする事です。 どんな悩みも乗り越えられる生命力です。 その力こそがその人の心をダイヤモンドのような 環境に振りまわされることのない強い心となり 真の幸せを感じるという事です。 欲に付きましては法華経の中に「令離執着」という言葉があります これは(りょうりしょうじゃく)と読みますが その通りですと執着を離れる事となりますが ここではこの「離」という字を「顕か」に見ると読むのです 法華経の中でただ一字、文字の意味を変えて読む ですから執着を離れる事でなく 顕かにみて正しく解決していく つまり欲望を離れるのではなく顕かにみて自分できちんと解決をして行くという事です つまり欲望は抑える事でも離れる事でもなく それを顕かに見て最良の解決をするという事です その心の戦いが幸せをもたらすという事なのです。 以上は法華経を解読するとそのようになります。
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有り難う御座いました。
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人間人生の一度は、どん底生活を経験すれば、 何でも出来る強い精神を持てると思います。 昭和の戦争で敗戦した日本軍は各戦地から命 からがら死と直面して日本へ帰国した。その 精神は「人間を無力にしてしまう。他方、ど んな屈強でも強く生きていく力」のどちらか を与えた。つまり、戦地では「欲も煩悩も自 由に成らない環境」で鍛えられてきた。今の 僧呂は「結婚はする。肉は食らう。金儲けは する。説法はしない。欲と煩悩だらけ。」に 成って、檀家には上から目線でものを言う。 今の仏教の姿です。「誠は愛と勇気の心では 無いでしょうか。」
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有り難う御座いました。
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キリストの奇跡は皆平等ではないのですか。 回答者様だけの特権ですか。キリストは人 を選んでいるのですか。