>松平定信が老中職を失脚した理由は何だったのでしょうか?
松平定信と言えば、8代将軍の孫ですよね。
これが、改革の失敗⇒失脚につながりました。
将軍の孫なのに、「何故、譜代の大名の養子へ?」という気持ちがあった様です。
ご存知の様に、定信は「吉宗の政治の再現」を政治の基本としましたよね。
重農主義から重商主義へ時代が変わっている事に、気が付かなかったのです。
重商主義で経済改革・財政改革を目指した田沼政治とは、180度異なります。
既に、商人の力が強くなっていた時代です。
吉宗の「享保の改革」と同じ改革を行っても、商人だけでなく庶民からも反発を受けますよね。
>松平定信が老中を失脚した最大の理由を教えてください。
プライドが高かったのと、(政策について)国民・幕閣の支持を得られなかった事です。
政策論争・採決を放棄する某政党の元水着モデルの二重国籍代表と同じですね。^^;
お礼
御回答ありがとうございました。 松平定信は、白河藩の養子にさえ行かなければ、田安徳川家の3代目の当主となり、11代将軍になっていた可能性が高いと思います。 だから、江戸幕府老中首座・将軍輔佐 という地位についても全く満足していなかったのだと思います。 そのような過去があったので、松平定信は世を憂いたような堅物になってしまい、規制ばかりを行う政治をしたのだと思います。 そう考えると、松平定信も気の毒に思います。 ありがとうございました。