「直観」と「直感」の違い、その差って何ですか?
frauさんという人が、どっちも同じだと言っています。
ふつう哲学では、「直観」という言葉は使いますが、「直感」という言葉はあまり使われません。
「直観」という言葉が哲学で使われるようになったのは、中世の聖アンセルムスからで、アンセルムスは、「直観」を二通りの意味で使っていました。
一つは、直観的認識は、現に目の前にあるものについての知識という意味。
もう一つは、いかなる直観的な認識も先行する認識に限定されていない、論証的な認識の反対という意味。
カントが「直観」という時、後者の意味に使っていました。
要するに推論によらない知識を「直観」と言っていました。
そしてカントは感覚を「感性的直観」といい、そして時間・空間を非感性的「純粋直観」と言って直観的に知られると言っていました。
それを批判したのが、パース。彼は言っています
「私たちは直観する能力を持っているかどうかを直観的に判定する能力を持っていない」、と。
また、「私たちは直観と直観以外の認識とを区別することができない」、と。
そしてパースはカントのいう感覚も、時間・空間も、直観によって知られるのではなく、推論によって知られるものだと言っています。
デカルトは「われ思う・コギト」を直観によって知られると言いましたが、パースによればそれも間違い、推論だと言っています。
「直観」という言葉はひじょうに便利な言葉です。
それを私は「知性(理性)で知った」と言えば「なぜ?」と聞かれますが、それを「直観で知った」と言ったら、「直観か、だったらそれ以上追及してもしようがないな」となります。
だから何でも、それを直観で知ったと言えば、人から批判されるのを防止できます。
改めて、お聞きします、「直観と直感の違い、その差って何ですか?」
そして、そもそも「直観」って何ですか?
お礼
ありがとうございました。 やはり区別するべきでしょうね。