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全自動運転

「クルマの無い社会」というのが、考え難い故に、 クルマの「副作用」というのは、言わば「大目に」見られて来ました(と、思います。) それが、仮に「交通事故0」の達成が、「全自動運転」によって可能になるなら、 ドライバーは、進んで運転から手を引くべきでしょうか。 「自分で車を運転したいのなら、サーキットへ行って」 そういう時代が、来るのでしょうか。 【訊きたいポイント】 「「全自動運転」時代の到来に向けて、ドライバーの「立場」とは?」 宜しくお願い致します。

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回答No.4

自動車免許にも色々あり、上級の免許を持つ者は、 免許の簡単な車も運転できる。 その階層性の一番下が自動運転=免許いらずになる だけの話でしょう。 おそらく最高速度の制限や乗客を乗せての運転など、 免許無しではできない運転を解除する免許は存続する。

kurinal
質問者

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psytexさん、こんにちは。ご回答ありがとうございます。 >「自動車免許にも色々あり、上級の免許を持つ者は、 免許の簡単な車も運転できる。」 ・・・まあ、そうなっていると思います。 >「その階層性の一番下が自動運転=免許いらずになる だけの話でしょう。」 ほほう。なるほど。 現時点でも「これに乗るのは、免許は要らないのよ」というのが、ありますね。 (そういう「方向性」も、あるのですね) >「おそらく最高速度の制限や乗客を乗せての運転など、 免許無しではできない運転を解除する免許は存続する。」 時折見かける、「買い物弱者」のための、電動三輪。 あれで、いいのか。 いや、電動三輪も「事故0」を達成するか判りません。 しかし、「時速30km未満で走行するなら、事故の確率は大幅に減る」 というのは、小生も聞いたことが有りました。

その他の回答 (6)

回答No.7

そもそも自分で運転したい人は運転そして、その車とも危機回避出来ないと自動運転システムは確立しないよ。 ドライバーを排除する必要はない。

kurinal
質問者

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Flareon様、ご回答ありがとうございます。 >「そもそも自分で運転したい人は運転」 ほほう。 >「そして、その車とも危機回避出来ないと自動運転システムは確立しないよ。」 ドライバーと、事故の相手方と較べれば、相手方のほうが、よほど危険です。 >「ドライバーを排除する必要はない。」 「そんなら、判った。もう自分は運転しない」ということなら、「排除」ではありませんね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11203/34801)
回答No.6

意外とそう遠くない将来に、自動車専用道路つまり高速道路では自動運転の時代が来ると思います。ナビなどで目的地(インターチェンジ)を設定したら、あとは車がオートで走ってくれるようになるでしょう。合流なども自動運転同士ならスムースに行われると思います。 最初は、自動運転機能がついていない車もあるでしょうからそれによる事故も起きるでしょうが、全ての自動車に自動運転機能がつけば事故は限りなくゼロに近くなるでしょう。 とはいえ、その自動運転機能の故障や車そのものの故障も起こることを考えれば、そうなったとしても高速道路での事故がゼロになるということはないとは思います。 しかしそういう時代となれば、人間が運転するのは原則として禁止となる時代がやってくるでしょうね。

kurinal
質問者

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eroero4649様、ご回答ありがとうございます。 >「意外とそう遠くない将来に、自動車専用道路つまり高速道路では自動運転の時代が来ると思います。ナビなどで目的地(インターチェンジ)を設定したら、あとは車がオートで走ってくれるようになるでしょう。合流なども自動運転同士ならスムースに行われると思います。」 「高速、乗ったら、後はお任せ」・・・でも、降りるところで目覚ましをかけておかないと、ですか。 >「最初は、自動運転機能がついていない車もあるでしょうからそれによる事故も起きるでしょうが、全ての自動車に自動運転機能がつけば事故は限りなくゼロに近くなるでしょう。 とはいえ、その自動運転機能の故障や車そのものの故障も起こることを考えれば、そうなったとしても高速道路での事故がゼロになるということはないとは思います。」 そうですね。「「自動運転」機能の無いクルマは高速通行不可」、、、これはですね。 でも、「追い越し」とか「合流」とかが出来ないドライバーは、増えるんでしょう。 >「しかしそういう時代となれば、人間が運転するのは原則として禁止となる時代がやってくるでしょうね。」 なるほど「原則として禁止」ですか。 なかなか、適時適切な表現が、あったものです。

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (180/320)
回答No.5

 自動車が10億台あろうが20億台あろうが、1000年に1回くらいの事故確率と言える技術パラダイスの時代が来れば、「手動運転禁止」になるかも知れませんが、少なくとも後1世紀くらいは、そういう時代は望むべくもない気がします。  それで突然なんですが、「サイコパス」っていうアニメがあるんですよ(^^;)。その世界では、人々の犯罪度を客観的に数値化できる識相という技術があり、監視カメラ網どころか水も漏らさぬ識相監視ネットワークが辺鄙なド田舎にさえ存在し、それらをシビラシステムと呼ばれる中央集権的なシステムが運用する超管理社会、という設定です。  ところがいくら犯罪を犯しても識相が劣化しない「サイコパス」がいた。サイコパスだから、そいつはシビラシステムに捕捉されない。アニメだから当然そいつは殺人やテロを起こす。そのとき殺人やテロを目の当たりにした人々の反応はどうだったか?。  まず眼前の状況を理解できない。犯罪者がほとんど皆無の技術的パラダイスに住んでいるから。万引きも強盗も強姦も物取りも詐欺も見た事がない。殺人過程を呆然と傍観するか、何かのキャンペーンと勘違いして、無関心に通り過ぎていく。  ちょっとレイ・ブラッドベリの「華氏451度」を思い出しました。  で、今の自動運転(アイサイトなど)には、「これは低速走行時の安全装置であって、完全な自動運転では決してありません。決してハンドルを放すな」と唱っています。  自動運転は人間の「補助装置」であって「事故責任は、あなたですよ」と言ってる訳です。この辺りが、やっぱり妥当なところじゃないかなぁ~と、自分は思います(^^)。

kurinal
質問者

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ddtddtddt様、ご回答ありがとうございます。 >「自動車が10億台あろうが20億台あろうが、1000年に1回くらいの事故確率と言える技術パラダイスの時代が来れば、「手動運転禁止」になるかも知れませんが、少なくとも後1世紀くらいは、そういう時代は望むべくもない気がします。」 そうですか。 個人的には「後10年」と思っていたのですが・・・もう100年、頑張らないといけないですね。 >「それで突然なんですが、「サイコパス」っていうアニメがあるんですよ(^^;)。その世界では、人々の犯罪度を客観的に数値化できる識相という技術があり、監視カメラ網どころか水も漏らさぬ識相監視ネットワークが辺鄙なド田舎にさえ存在し、それらをシビラシステムと呼ばれる中央集権的なシステムが運用する超管理社会、という設定です。  ところがいくら犯罪を犯しても識相が劣化しない「サイコパス」がいた。サイコパスだから、そいつはシビラシステムに捕捉されない。アニメだから当然そいつは殺人やテロを起こす。そのとき殺人やテロを目の当たりにした人々の反応はどうだったか?。  まず眼前の状況を理解できない。犯罪者がほとんど皆無の技術的パラダイスに住んでいるから。万引きも強盗も強姦も物取りも詐欺も見た事がない。殺人過程を呆然と傍観するか、何かのキャンペーンと勘違いして、無関心に通り過ぎていく。」 少し、脱線されていると思います。 ・・・「古き良き昭和」なんて言いますが、小生の子ども時代は、大人の「立ちション」なんて、けして珍しい事ではありませんでした。 勿論、平成の世にあっては、「立ちション」を見たら、「奇異」に見えるでしょう。 (経験を積めば、「この辺、公衆トイレも無いから仕方ないよね」みたいな理解も、あり得るでしょうけれども) >「で、今の自動運転(アイサイトなど)には、「これは低速走行時の安全装置であって、完全な自動運転では決してありません。決してハンドルを放すな」と唱っています。  自動運転は人間の「補助装置」であって「事故責任は、あなたですよ」と言ってる訳です。この辺りが、やっぱり妥当なところじゃないかなぁ~と、自分は思います(^^)。」 ああー、なるほど。現時点での「自動運転」では、そういうことになるかなと思います。 「全自動運転」では、メーカー等の責任が(より)問われるようになるのでしょう。

  • hiodraiu
  • ベストアンサー率15% (451/2846)
回答No.3

全自動運転が可能になった時点で、人間向けの自動車がこの世から無くなるんじゃないかな。つまり運転席も操作系も何もない車。それと並行して、道路も標識や信号機がなくなり、そのかわり無線等で車に直接情報を送る様になったり、コンピュータの処理速度の合わせた制限速度が設定されたりと、車を取り巻くいろいろなものが変わってきちゃうんじゃないかと思います。 そこまで行っていない、人間が運転できる仕組みが残っているなら、進んで手を引く必要なはないと思います。哲学のカテですが、もっと現実的にみて、法的に人間の責任が残っているのか、技術的にメーカーが未だ人間の運転を想定してモノ作りをしているのか、道路側の準備ができていないか、どれかは判りませんが、人の運転が許される内は「ドライバーは、進んで運転から手を引くべき」とは思いません。

kurinal
質問者

お礼

hiodraiu様、ご回答ありがとうございます。 >「全自動運転が可能になった時点で、人間向けの自動車がこの世から無くなるんじゃないかな。つまり運転席も操作系も何もない車。それと並行して、道路も標識や信号機がなくなり、そのかわり無線等で車に直接情報を送る様になったり、コンピュータの処理速度の合わせた制限速度が設定されたりと、車を取り巻くいろいろなものが変わってきちゃうんじゃないかと思います。」 なるほど、逆転の発想ですね。 「ドライバー」をそもそも必要としないクルマ。 それの実現には、環境の整備ということも、あるいは必要であるかもしれない。 >「そこまで行っていない、人間が運転できる仕組みが残っているなら、進んで手を引く必要なはないと思います。哲学のカテですが、もっと現実的にみて、法的に人間の責任が残っているのか、技術的にメーカーが未だ人間の運転を想定してモノ作りをしているのか、道路側の準備ができていないか、どれかは判りませんが、人の運転が許される内は「ドライバーは、進んで運転から手を引くべき」とは思いません。」 「故意」はともかくとして、「過失」、さらには、「不可避」ということまで、考えられます。 環境の側から考えれば、まず「不可避」を、無くしていくと思います。

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.2

はい、その通りと思います。 交通事故が0になるならドライバーは運転するべきでないと思います。 全自動運転ができたらすばらしいですね。 旅行の時に車の中で寝ててもいい。TVをみていてもいい。通勤時間に読書やゲームもできる。 夢のようですね。 ただ、交通事故0は難しそうですね。0にはならないでしょう。 子供が急に飛び出してきて轢かれた場合は、事故の責任はどうなるのか? 自動車を作ったメーカーか?自動車の所有者か?子供の過失なのか? それから前方から急に暴走トラックがやってきて、左右どちらかに避けないと衝突する場合で、左には子供、右には老人がいたとします。左に切ると子供が死に、右に切ると老人が死にます。ハンドルを切らないと自分が死にます。さて、この場合、どう運転するようにプログラムしておくのか?かなり悩ましい。 全自動運転に到達するのは大変ですね。

kurinal
質問者

お礼

stmim様、ご回答ありがとうございます。 >「交通事故が0になるならドライバーは運転するべきでないと思います。」 ・・・そもそも、最初から「交通事故なんて起きないクルマ」が発売されれば、良かった。 >「子供が急に飛び出してきて轢かれた場合は、事故の責任はどうなるのか? 自動車を作ったメーカーか?自動車の所有者か?子供の過失なのか?」 ・・・まあ、個別具体的に、判断されるものと思います。 >「それから前方から急に暴走トラックがやってきて、左右どちらかに避けないと衝突する場合で、左には子供、右には老人がいたとします。左に切ると子供が死に、右に切ると老人が死にます。ハンドルを切らないと自分が死にます。さて、この場合、どう運転するようにプログラムしておくのか?かなり悩ましい。」 これはですね。「全自動運転」が実現された暁には、「暴走トラック」ということ自体が有り得ません。 >「全自動運転に到達するのは大変ですね。」 今回、stmim様が例示して頂いたケースというのは、 「全自動運転」が未だ成らない、現時点での問題を捉えていると思います。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

それが、仮に「交通事故0」の達成が、「全自動運転」によって可能になるなら、 ドライバーは、進んで運転から手を引くべきでしょうか。  ↑ それよりも更に進んで、人間の運転は禁止に なると思います。 全自動になって、交通事故が激減すれば 人間の運転など危なくてしょうがないから禁止 という運びになると思います。 「自分で車を運転したいのなら、サーキットへ行って」 そういう時代が、来るのでしょうか。    ↑ 来ると思います。 現代版、刀狩り、ですね。

kurinal
質問者

お礼

hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「それよりも更に進んで、人間の運転は禁止に なると思います。 全自動になって、交通事故が激減すれば 人間の運転など危なくてしょうがないから禁止 という運びになると思います。」 私も、そんなふうになるのかなと思いましたが、 ちょっと甘かったのかもしれないです。 >「現代版、刀狩り、ですね。」 「刀狩り」は、戦国末期~江戸初期にかけては、 専制君主によって行われたと思いますが、 民主主義国家においては、 それほど単純な「法の支配」ということには、 とどまらないと思います。

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