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過去を吸い込む白砂

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる 『一握の砂』 質問:石川啄木は何を忘れたいのでしょう。なんとなく詩人としての悲嘆の思いなんでしょうか?

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  • Nakay702
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回答No.1

>石川啄木は何を忘れたいのでしょう。なんとなく詩人としての悲嘆の思いなんでしょうか? ⇒上の句に続いて、 頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず とありますね。この「一握の砂を示しし人」を忘れたいのでしょうか? この数行あとに、 砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日 とありますね。この「初恋」を忘れたいのでしょうか? ところで、この詩の題は「我を愛する歌」ですね(『一握の砂』は歌集の題)。 さらに数行あとに、 たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず とあります。我を愛するとは、「母も(誰も)愛する」ことでしょうね。 数十行あとには、 「さばかりの事に死ぬるや」 「さばかりの事に生くるや」 止せ止せ問答 などとあります。もしかしたら、忘れたいのでなく、忘れたくないのでしょうか? 「さばかりの事」ばかりで、哀しいけど…。 さらに数十行あとの終り近くには、 何事も思ふことなく いそがしく 暮らせし一日(ひとひ)を忘れじと思ふ とありますし…。

krya1998
質問者

お礼

忘れたいが 失いたくない。 判る気がします。 ありがとうございました。

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