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火盗改め
八州取締役は武士としては足軽だそうですね。 では火盗改めはどういう身分だったのでしょう?
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こんにちは。 >>火盗改めはどういう身分だったのでしょう? どなたかが仰せのように、 ★戦国時代では軍の先頭で主に「槍」を持って突撃する役目で「先手組」と言われ「足軽」でした。 ★余談ですが、その次に控えて突撃するのは「鉄砲隊」でした。同じく「足軽」でした。 ★徳川幕府が安泰となると、先手組は若年寄支配下で、役目は主に城の城門の警備、将軍が鷹狩などでお出ましの時はその警護、城下の治安警備などを主務としました。 そして、身分について言えば、 ★戦時下では、はっきり言ってしまえば「雑兵」でしたから、「旗本」にも「御家人」にも属さなかったのです。 ★戦がなくなってからも、「先手組」はもしまた戦が始まれば真っ先に参戦することが義務付けられていました。 ★足軽大将は「与力」となり、旗本と御家人の中間の扱いでしたが、やや旗本寄りが近いかもしれません。 ★従って、旗本との交流もある意味では、積極的に行われました。 ★足軽大将の下に「弓組」と「筒組」(鉄砲)があり、数名の「組頭」が居り部下がいました。 ★この組頭と部下は「同心」でしたが、「御家人格」となりました。 ★この者たちは、御家人との交流は許されていましたが、旗本との交流はあまりありませんでした。と言うよりも「許されていなかった」と言った方が良いかもしれません。 ★なおこれは、町奉行所にも言えることで、奉行は「旗本」でしたが、やはり足軽大将だった者が「与力」となり、足軽は「同心」となりました。 ★当初は、町奉行所に抱えられた「与力」「同心」は「選ばれた者たち」とうらやましがられていました。 ★残った者たちは「先手組」に残留ということでした。 ★しかし、町奉行所の与力、同心、はご存じの通り「不浄役人」と呼ばれ、先手組とは違って旗本、御家人との交流は許されていませんでした。 ★従って、町奉行所の場合ですと、同じ与力や同心との交流だけでしたので、幕末頃には与力、同心の全てが親戚関係になっていた、と言われています。 ★そこへいくと、先手組の者たちは旗本、御家人との交流が許されていましたので、さて、どちらが良かったか?? 火付盗賊改方(火盗改) ★成立の経緯は、明暦3年(1657)1月18~20日に発生した「明暦の大火」(通称、振袖火事)で江戸の町の80~90%が焼け野原となりましたが、いわゆる「火事場泥棒」が多発しました。 ★例えば、家屋の「釘」を物色して回る。これなども江戸時代は「再生利用」されていましたので、いわゆる「貴重品」だったのです。 ★その後も江戸の町の再建途上にも人身の不安をさらに掻き立てるかのように火付、商家への侵入、一家皆殺しをしての窃盗、等の凶悪犯が出没するようになり、そこで、城下の治安維持の役目として寛文5年(1665)に火盗改が先手組の加役として誕生しました。 ★町奉行所との関係で言えば、町奉行所は当初から主に「訴訟関係」(土地の境界争い、町人と武士との喧嘩の仲裁、人を殺傷した場合の訴訟、等)、を主務としていました、盗賊、殺人犯の探索、捕縛、などの取り締まりもしていましたが、いかんせん、訴訟件数が膨大で盗賊などの探索、捕縛、等には人数が限られてしまいました。 ★そこで、火付け、盗賊、等を探索、捕縛を主務とする「火盗改」を設置することとなったのです。 ★かの有名な「鬼平」こと長谷川平蔵宣以が長官時代は、特に「手荒い取り締まり」で庶民からも恐れられていました。 ★つまり、町奉行所が役務を実行する際は、現行犯でない限りはいちいち老中に「お伺い」を立てる必要がありましたが、火盗改は上司である若年寄などのお伺いは「無用」とされていましたから、極端に言えば火付け、盗賊、等の探索、捕縛ではいつでもどこでも商家や民家(長屋)などへも無断で踏み込むことが許されていたからです。 ★とは言っても、捕縛してからは基本的には「裁判権」はなかったのですが、「叩き」で白状しない場合は老中へのお伺いにより、さらに重い責めを実行し、老中へのお伺いの後に「判決」を出すこともできました。 まあ、もっと詳しく述べれば良いのでしょうが、とりあえず?これ位で・・・。
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- Pinhole-09
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寛文5年、番方の御先手弓頭などに「火盗改」の加役が命じられました。 御先手弓頭は、番方高級武官で職碌1500石、布衣(ほい)の旗本で、同心の八州取締役よりずっと上の身分です。(江戸町奉行は諸大夫で布衣の上ですが) 加役でさらに1000石ふえますが、配下の与力、同心もふえ持ち出しで、2、3年で交代し、8年続けた長谷川平蔵は異例といいます。
お礼
ありがとうございました。 勉強になります。
- szk9998
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火盗改めは「先手組」なので同心です。 戦時には先方足軽隊として先方を務める軍隊の一部です。 開幕時に幕府直属の足軽を同心として召し抱えましたので、足軽とは言わないはずです。 身分としては旗本以下の御家人というあつかいでしょう。 そもそも、関八州取締役は代官所の手代などを雇い始めたのでしょうから、 そもそも武士ですらない場合が多いのでは・・・ 後付けで足軽格とかにしたのではないかと思います。
お礼
ありがとうござい
- ithi
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krya1998 さん、こんばんは。 与力と同心がいますが、与力は御家人、同心は足軽ですね。 詳細は下記のURLを参照ください。 与力 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E5%8A%9B 同心 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%BF%83
お礼
ありがとうございました。 この質問では火盗改めの身分をお尋ねしています。 お店をもう少し開いております。
お礼
幕政かのお江戸などの状況たいへんべんきょうになりました。 いつもながら的確詳細なお教えをありがとうございました。 補足コメントはありません。