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公家はどうして日記をつける

公家はどうしてあんなに日記を書いてるんですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • notnot
  • ベストアンサー率47% (4900/10359)
回答No.3

子孫に、先例を伝えるためです。 貴族は先例に従って行動します。

その他の回答 (6)

回答No.7

自己と世間への報告、理解の求め何でしょう。 そしてたまたま公家さんとか戦災に逢わなかった記録が多く残っているという結果なんでしょうか。 ご解答からのヒントでの解答ですが。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11136/34654)
回答No.6

・暇でやることなくて時間を持て余している ・教養人なので、文学の素養がある ・家柄がいいので、没落せず記録が子孫まで残される(ここ重要) 「公家が日記をつける」というのもあるのでしょうが、「現代まで残っている」というのも重要です。その家が没落してしまえばその記録も失われてしまいますからね。 ただ、性質として日本人は日記大好きの筆まめというのがあるのは間違いないです。室町時代以前は、悠長に日記を書いてそれを現代まで紛失せずに残せたのは公家のお家くらいのものでした。 戦国時代から以降は、日本人の筆まめ気質が爆発します。もうあっちこっちに「今日こんなことがありました」という記録を残している人が増えたのです。読み書きできる人が増えた上、江戸時代は戦争がない平和な時代だったので、戦争で記録が消失することもありませんでした。大変残念なことに、江戸時代に残された貴重な資料は第二次大戦の空襲によって膨大な数が失われてしまいました。 しかし幕末の頃に江戸のある商人が出来事や世間の人々の噂などを日記にマメに残していまして、これが幕末研究のものすごい資料になっているのです。また戦国時代に出納帳をマメにつけていた商人がいまして、これで各地の物価が分かるようにもなっています。これを見ると全国各地の宿代が同一料金になっていることが分かるそうですよ。他にも江戸時代にマメな日記を残した武士がいて、「見世物を見に行って楽しんでいたら、その隙に脇差の鞘を盗まれた」なんてことが書いてあって「脇差の鞘をスるやつがいた」ってのが分かるのです。 また第二次大戦のときには、日本兵がマメな日記を丁寧につけていることが多いことにアメリカ軍は大変に驚きました。アメリカ軍では情報漏れを防ぐために日記をつけていることを禁じていたからです。だから元米兵の従軍回想記なんかもあるのですが、ああいうものを書いた人は聖書の空いたスペースにこっそり日記メモを残したりしていたそうです。日記には「何月何日にどこにいた」というようなことが残っているわけですからアメリカ軍にとっては貴重な情報なのですが、なにぶん日本語の文字は彼らには解読不能で、日系二世アメリカ人は日本語が喋られても文字が読めない人が多かった(日系一世は強制収容所の中)ので、目の前に缶詰があるのに缶切りがなくて食べられないようなジレンマだったそうですよ。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2310/5143)
回答No.5

>公家はどうしてあんなに日記を書いてるんですか? 次の、意味があった様です。 1.綺麗な字の練習を兼ねて日記を書く。 下級貴族は、副業(内職)で和歌・百人一首などを作成していました。綺麗な字でないと、高く売る事が出来ません。 江戸時代、皇室料は3万石から10万石です。天皇から下級貴族全ての生活を賄う事は不可能。 1.家の記録を残す。 貴族は、世襲制ですよね。武士は食わねどたか楊枝」と一緒で「帝に仕えている事」を代々記録に残す必要があったのです。 1.そして、他にも回答が有る様に「暇つぶし」。 鎌倉幕府時代以降、天皇・皇族・貴族は、政治・軍事の全てに関与しなくなりましたよね。 毎日、暇なのです。残ったのは、権威だけ。 あの信長でも、権威を無視する事は不可能でした。利用する事は考えましたが、滅ぼす事は考えていませんよね。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7249)
回答No.4

仕事だからです。 稗田阿礼と言う人がいましたが、この人は古事記というものを編纂しました。 あれが全部創作だと思いますか。 フィクションを作るのが天才的だとしても、エピソード間に空気感の統一もなく、前後の脈絡もおかしいものを作れるかというとできません。 あれはその時点までに誰かが書き残したものを集め編集したものです。 誰かが、書き残していないと成立しません。 農業や何かにかかわる儀式は、天皇がつかさどることになっています。 公家はその周辺でお手伝いはするけど、神事そのものをする権利はありません。 公家は、何がなされたかの記録をし、のちに歴史になるような事件の発生も記録する、というのが仕事なんです。 だから、自分の周辺のメモをつくる、ということが「日記」というフォーマットになっていったわけです。 決して暇こいて字を書いているわけではありません。 なぜかというと、字を書くためには墨をすらなければならず、その濃さの調整をしないといけません。 一度墨をつくったら一日使えるかというとそんなことはなく、しばしば水を入れ摩り下ろさなければならないのです。 もちろん、全部自分がやったかどうかわかりませんけど、側近にやらせるとしても指示は出さなければなりません。 そういう面倒なことは、暇こいてできることではありません。 暇なら寝ていた方がいいし、書かないで人のものを読んでいたほうが楽でしょう。 それは現代でも同じことで、ものを書くより読んだほうが楽です。今は墨を摩る必要がないけども書くのは面倒です。 侍も、戦をしていないときは資料の整理と帳簿付けをしていたわけで、それなりに記録を残すというのが仕事でした。 公家は戦をする義務はありませんから、生まれてから死ぬまでの仕事は記録以外ないのです。

回答No.2

そりゃ仕事だからです 官位で従四位以上の殿上人と言われる天皇と拝謁出来る官位の公家は 朝廷や議会でのいわば議事録を作る事も仕事でしたし、プライベートで日記を書いてた公家は暇つぶしの意味も有ったと思います

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

ヒマなのと、家系や見栄が大事だから。

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