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大名と公家の結婚
公家のおひいさんと結婚している大名は多いですが、大名・公家間の結婚には幕府による制約とかなかったのでしょうか? 大名家同士の結婚は土井大炊など幕閣有力者に依頼して相手を探してもらうことが多かったようですが、公家との結婚も幕府有力者が仲介とかしていたのでしょうか。
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あんまり知らんですが、お答えがほかにないようなので、たたき台として一言。 武家諸法度に次の一項がありますように、幕府は大名間の勝手な婚姻による反幕府勢力の増大を警戒していますね。幕府は武家間の婚姻を、積極的に大名統制に利用していたと思います。 「国主・城主・一万石以上ナラビニ近習・物頭ハ、私ニ婚姻ヲ結ブベカラザル事」 神君家康公は豊臣時代に、同様の禁止令を勝手に破ったくせに、おかしいですね。 公家は身分が高いだけで力もなく、無色透明に近いですから、公家の姫をもらうことについては、それほど警戒されないでしょう。 由緒正しき家柄の大名は、その血統のよさを維持するためにも高位の公家から、そして出自の定かではない大名は当然貴種を好みますから、公家の血を入れたいということはあったと思います。 江戸時代の大名の婚姻について、どんなルートでどうやって話が進んでいったのか詳しくは知りません。 大名としては、自分で勝手に伝手を頼って話を進め、幕府に承認を求めてもダメと言われたら沽券にかかわる、また幕府にヘンな疑いをかけられても困るということで、頭から幕閣有力者にお願いした例が多いのじゃないでしょうか。それの方が後腐れがなく、地位保全のためにはよろしいかと存じます。 以下は当方の勝手な想像ですが、頼まれた幕閣有力者は、この大名には大名統制上からいって、特にどこかの大名の姫をあてがう必要がないと判断した場合は、自分の家来に対し「適当な公家の姫を探せ」と命じます。 命ぜられた家来はその大名家の家来を通じて、公家の姫でいいかと大名の内意を伺い、そして朝廷と付き合いのある高家などに周旋を依頼します。そして高家は朝廷の武家伝奏に適当な公家の姫君の紹介を頼む・・・・と、こんなように話が進んで行ったんじゃないかと想像してみましたが、どうでしょうか。
お礼
徳川は豊臣以上に貴種好きのようですね。 著名な戦国大名の子孫が多く高家・旗本に列しているようですね。 やはり公家との婚姻も幕閣の斡旋があったのでしょうか。 大名の姫が公家に嫁いでいる例も結構多いみたいです。 ありがとうございました!