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昭和初期の列国議員同盟会議はいつ開催でしょうか
ある神社の石碑に、 芳賀茂元氏の『列国議員同盟会議』参列記念に建立と記されていますが、 列国議員同盟会議 をネット検索しても判りかねてます。 石碑には昭和2年と 昭和7年の年号があります。 会議が開催は2年、 石碑を7年に建立ではないかと推測していますが、 会議そのものが判らず困っています。 ご指導をお願いいたします。
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補足を頂きましたが、残念ながらネット上で調べた限りでは 昭和2年に結び付く情報は得られない現状です。 >石碑には昭和2年と 昭和7年の年号があります。 現物を見られた iki-sima 様御自身が「その後の会議出席という実績を あとから彫り込んだのでしょうか。 」との可能性を仰ると言う事は 「昭和2年」「会議」「昭和7年」の刻字間の関係が曖昧表現か、 あるいは判読出来ない箇所があるということでしょうか。 石碑の刻字内容を存じませんので解りかねますが、何れにしましても 「芳賀茂元氏の『列国議員同盟会議』参列記念に建立と記されています」 のでしたら、最終的な刻字は<1932(昭和七)年7月20日~7月26日>以後か、 最大限溯るとしても貴族院議員に当選した<1932(昭和七)年2月12日>あるいは 任命日<1932(昭和七)年3月8日>迄は遡れず、在スイス矢田七太郎特命全権公使 が外務大臣に宛てた「列国議会同盟第二十八回会議開催セラルベキ旨スイス同 盟事務局ヨリ通知アリタリ招請状郵送スル」につき取り敢えずの電信(ベルン 13日後発/本省5月14日前着)到着日<5月14日>より後で、尚且つ芳賀茂元氏が参 加メンバーに決定<6月17-18日頃>より後の事と考えざる得ない結果、 昭和2年は他の事跡?とでも考えない限り私にはお手上げです。 関連URL 〇(万国議員同盟会議関係一件 第一巻)分割2 [階層]外務省外交史料館外交史料館>外務省記録>B門条約、協定、国際会議> 10類 国際会議、国際条約及協定>13項 万国商事会議、万国議院会議> 0目>万国議員同盟会議関係一件 第一巻 [レファレンスコード]B04122553400[画像数]127 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04122553400 <85&99など/127> あと、芳賀茂元氏の経歴関連URL 〇芳賀茂元貴族院令第一条第六号ニ依リ貴族院議員ニ任スルノ件 [階層]行政文書>*内閣・総理府>太政官・内閣関係>第五類 任免裁可書> 任免裁可書・昭和七年・任免巻二十一 [請求番号]本館-2A-020-00・任B01703100[件名番号]008[作成部局]内閣 [年月日]昭和07年03月08日[マイクロフィルム]079700[開始コマ]0808 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000001001702&ID=M0000000000003083683&TYPE=&NO= <5/5> 貴族院多額納税者議員当選者表 福岡縣 昭和七年二月二十五日報 芳賀茂元 明治二十年十二月二日生 官公職及職業/八幡市消防組頭 貸家業 學歴及其他ノ経歴/中學三年修業 昭和三年十一月市窮民救済費トシテ金一万円寄附セシニヨリ紺授褒賞下賜 昭和五年三月八幡消防組頭任命 同年十二月政友会八幡支會副支會長就任 同年十月所得税調査委員当選 なお、上記では紺授褒賞下賜が昭和三年十一月と記されていますが、 下記官報によれば「昭和三年十月二十四日」が正しいようです。 〇『官報.1928年10月29日/大蔵省印刷局/日本マイクロ写真/昭和3年』 ・官報第五五四號 昭和三年十月二十九日 月曜日 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957015/5 <5/17>(719頁2段目) 彙報○官廳事項 褒賞 ◎紺綬褒章下賜 公益ノタメ私財ヲ寄附セシ廉ヲ以テ昭和三年十月二十四日 紺綬褒章ヲ下賜セラレタル者左ノ如シ(賞勳局) … 昭和三年六月八幡市窮民救助費金一万圓寄附ス(以下前同文 ※依テ大正七年九月十九日勅定ノ紺綬褒章ヲ賜ヒ以テ之ヲ表彰セラル※) 八幡市枝光 芳賀 茂元 念のため下記にて、1927(昭和二)年第二十四回会議(開催地佛國巴里)関連記録 <1-53/98>を一読しましたが、芳賀茂元氏に繋がる情報は有りませんでした。 〇(万国議員同盟会議関係一件 第一巻)分割1 [階層]外務省外交史料館外交史料館>外務省記録>B門条約、協定、国際会議> 10類 国際会議、国際条約及協定>13項 万国商事会議、万国議院会議> 0目>万国議員同盟会議関係一件 第一巻 [レファレンスコード]B04122553300[画像数]98 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04122553300 <1-53/98> 以上 昭和2年に直結する事例は浮かびませんが 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^
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- chiha2525_
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「芳賀茂元」で検索してヒットしたものに、 「萬國議員會議席上より(國際消防協會設立の提案) / 芳賀茂元/p4~6」 というのがあり、この会議のことであれば1932年(昭和7年)のことのようです。 データは国会図書館のものですが、まだデジタイズされていなくて内容は見られない状態のようです。 何かの手がかりになれば。
お礼
自身の検索では国会図書館のは出てきませんでしたが、 昭和7年という説にたいへん有効な情報と思います。 貴重なご回答ありがとうございました。
- Kittynote
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列国議会同盟<Interparliamentary Union> 略称 IPU。国際議員連盟、国際議会同盟とも訳す。1889年、イギリス・フランス 両国議員の提唱で国際仲裁期成列国議員会議としてパリで発足した団体。 1905年に列国議会同盟と改称。本部はジュネーブに所在 (『ブリタニカ国際大百科事典』)。 〇『列国議会同盟及び同盟日本議員団.昭和34年1月/参議院事務局/1959.1』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351679/26 <26/85>(43頁) (二)列国議会同盟会議一覧表 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351679/27 <27/85>(44頁) 回数/年次(※元号)/開催地/参加国数/代表者数/議長 28/1932(昭和7)/ジュネーブ/27/128/カルトン・ド・ウィアール伯爵 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351679/35 <35/85>(60頁) 第二十八回会議における決議(一九三二年─ジュネーブ) (一)世界法制定に関する決議 (二)麻薬製造制限に関する決議 (三)安全保障に関する決議 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351679/41 <41/85>(73頁) (六)列国議会同盟会議日本議員団出席名簿 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351679/43 <43/85>(77頁) 年次/回数/開催地/会期/ 日本議員団出席者氏名/ 西暦1932昭和7/28/ジュネーブ/自7月20日至7月26日/ 貴族院 内 田 嘉 吉 芳 賀 茂 元 衆議院 福 井 甚 三 船 田 中 清 水 徳太郎 岩 瀬 亮 中 村 三之丞 寿 原 英太郎 同行書記官 大 木 操 上記のとおり出席名簿では第二十八回以外に芳賀茂元氏が見出せないことと、 下記のとおり貴族院議員任命は昭和七年三月八日付であることからも どうやら、1932(昭和七)年7月20日~7月26日の間、 ジュネーブで開催された第二十八回列国議会同盟会議が該当するようです。 〇『官報.1932年03月09日/大蔵省印刷局/日本マイクロ写真/昭和7年』 ・官報第一五五五號 昭和七年三月九日 水曜日 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958025/7 <7/26>(233頁2段目) 帝國議會/○貴族院 ◎昭和七年三月八日 芳賀茂元 貴族院令第一條第六號ニ依リ貴族院議員ニ任ス 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^
補足
沢山の情報ありがとうございます。 御回答から会議は、貴族院議員任命時期や会議の出席名簿という有力な情報ですが、 石碑の昭和2年が会議以前というが疑問です。 貴族院議員に選ばれる功績があった時点で石碑建立し、その後の会議出席という実績をあとから彫り込んだのでしょうか。
>会議そのものが判らず困っています。 列国議会同盟ではありませんでしょうか 列国議会同盟(IPU)というのはイギリスとフランスの提唱に基づいて1889年に作られた、最も古い多国間の組織です。 各国の国会議員が参加する会議です。 現在も続けられていて衆参両院の議員の代表が参加しています。 現在は毎年春秋の二回開かれています。 過去、日本は明治14年(1908)に参加し昭和14年(1939)に参加資格を剥奪されました。 戦後昭和27年(1952)に復帰しました。 神社の所在地は福岡でしょうか。 芳賀茂元氏というのは貴族議員で現在の福岡大学の前身である九州専門学校の初代理事長を務められた方でしょうか。 もしそうであれば、福岡大学に氏関連の史料が残されているかと思います。 図書館などで聞いてみて下さい。 下記サイトに氏に関する事項が若干記載されています 自己点検・自己評価としての自校史 - 福岡大学 www.adm.fukuoka-u.ac.jp/fu844/home2/Ronso/RonsyuA/Vol10-1/A1...
お礼
再度の御指導で、 昭和2年建立、 昭和7年の貴族院議員任命、会議出席という功績を追刻という推測は確認できませんが、 八幡製鉄所創立時の八幡村の村長と同姓ということ、創業期の事績や神社の資料等を探して昭和2年の意味を自身で確認していきます。 御指導ありがとうございました。 締め切りは期限まで延ばしたいと思います。