• 締切済み

歴史って役立つのか??

歴史って創作というか捏造というか事実でない可能性のほうが高いですよね。 昔であればあるほど。 書物など嘘書き放題だし。 そして時代背景違うから現在になぞらえて歴史として学ぶときは抽象化せねばならない。 しかし抽象化したら箸にも棒にも引っかからない無味乾燥な訓示的な教訓しか残らない。 歴史から人生に大切なことが学べるとか言ってる貴方はカンチガイしてませんか? 抽象的な憲法を与えられただけで満足してるのですよ。 憲法さえあれば国民生活は安泰だ、とかいって。 しかし実際は具体的な法律を拵えて実用的なものを用意しなければならない。 憲法31条の麗しい理念は刑事訴訟法によって、その他いろいろ・・・・。 でもそんな憲法のような当たり前の内容はいまさら誰でも規定できる。 おなじく抽象化された歴史のエッセンスはだれでも現在の生活から導いてることに過ぎない。 だから歴史を学んでも「今さら感」が拭えない。 あなたが歴史からそれでも人生に役立つものを学べると信じてやまない真髄はどういうところにあるのですか? 単にエンタテイメントとして楽しいだけなのではないですか。

みんなの回答

  • 92128bwsd
  • ベストアンサー率58% (2275/3919)
回答No.12

なるほどね。面白いテーマですね。 物理学、数学を学んでも意味が無いと言うのと似ているかも知れません。物理学、数学もそれぞれ大本は原理とか公理とか言われる、証明できないけれど、世の中こうなっていることにしようと言う大前提からスタートして積み重ねられます。なので、原理や公理が覆ると体系が崩れます。また、我々の生活レベルで役に立っていることは多い物の、先日測定に成功した重力波の研究などは、どれくらい正確なのか、いったいいつ我々の生活に役立つのかわかりません。 歴史はすでに終わってしまったことではあっても、哲学や思想などでは、歴史に人類や人間の法則性を見出そうとします。マルクスの共産主義は歴史の研究を大きな基盤にしています。その共産主義が結局成功できなかったのですがそれも歴史として分析記述されることになるでしょう。 今歴史が特に重要なのは国際政治。例えば日本と言う国のアイデンティティー、領土など歴史認識なしには語れないでしょう。日本のお隣の国が、日本の最南端の県を、実は私たちの領土ですなんてことを万が一言い出した時、まずは歴史的な話から入るでしょう。またどこまで歴史をさかのぼるべきかと言う話もそもそも史実を研究して歴史を証拠として話すしかないでしょう。 歴史の研究そのものは一部の人の好奇心かも知れないし探求心かも知れませんが、それらの史実をつなぎ合わせて因果関係を解明して、解釈はあっても極力客観的に世界で共有できるものにすることは重要と思います。 それを個人個人が学びたい学びたくないは、物理や数学を学びたいかどうかと同じ話と思います。 ちなみに私は、高校の日本史は史実を詰め込みすぎで全体の流れ、時代時代の重要性がわかりにくいので、単なる暗記科目としてあまり勉強する気になれませんでした。ただ、それは逆に少ない史実だけ並べて、歴史の流れの解釈を教えるよりは客観性があるとも言え、痛しかゆしです。

回答No.11

エンターテインメントとして歴史を楽しく受け止められる人は、それなりに何かを学習してるってことなんじゃないですか。

回答No.10

そうですよ? 歴史からなんて何も学びません 単に昔話のエンタテイメントとして楽しんでるだけです 貴方が習った 大化の改新も本能寺の変もみんな作り話ですから

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.9

「歴史」という言葉には、「人類社会の過去の変遷・興亡のありさま」という意味と、「その記録(史書)」という両方の意味があります。(英語のhistoryも同様ですが) 後者の歴史(史書)は、ご指摘の通り「書かれていることがすべて事実」というわけではなく、錯誤や捏造さらには現在に伝わるまでの誤写など、さまざまな「事実と異なる記述」があります。といっても、もちろんすべてが「事実でない」と決めつけることもできず、玉石混淆の史料の山を精査・吟味して、できるだけ事実(に近いと思われるもの)を探し出して、前者の歴史すなわち「人類社会の過去の変遷・興亡のありさま」を提示するのが歴史家の仕事です。そこから発展して法則性を見出したい研究者もいますが、まず優先すべきは「過去に何が起きたのか、何が存在したのか」を見つけ出すことだと考えます。 ただ一つの記録が残っているだけでは、それが事実か否かにわかには判断しづらいこともありますが、全く独立した(相互に影響された可能性がなく、また同一の第三者から影響された可能性もない)記録が複数あれば、事実であった確率が高くなります。 例えば「日本書紀」の巻二十九には天武十三年十一月に昴(すばる)星の近くに尾の見えない彗星が現れたという記述があります。ところが同じ時期のヨーロッパの古記録には「プレアデスの近くにごく暗い星を認めた。それはちょうど雲に覆われた月のようであった」とあることがわかっています。(パングレ「彗星誌」)出現した時期・天球上の位置・天体の形状が一致していますので、この時期西暦で言えば684年の年末から翌685年の年初にかけて、おうし座のプレアデス星団(すばる)の近くに尾が見えないぼんやりした彗星が出現したことは、まず間違いない事実であろうと判断することができます。 日本の場合は例えば過去の地震・津波などの研究は防災に直接役立ちます。日本は世界的に見ても過去の災害の記録が比較的多く残されている国なので、痛苦の記録を書き残してくれた私たちの先祖のためにも、また子や孫の世代のためにもこれを活用しない手はないと考えます。 また、尖閣諸島や島根県の竹島、北方領土が「日本の領土である」と主張するためには、過去の歴史的な経緯を詳しく調べる必要があります。「昔の記録は嘘ばかりで信用できない」とするだけでは、勝てる争いも負けてしまうでしょう。 さらに、こうした直接的な利害を別としても、私たちの先祖がどのように物を考え、どのような社会制度を作って、どのように暮らしてきたかは、現在の私たちの考え方・社会制度・生活にも大きな影響を与えています。「温故知新」という言葉は今も生きているのです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.8

御指摘の通りで、歴史から何かを学ぶ、というのは 正しくないのかもしれません。 しかしです。 歴史を学ぶ意義はそれだけではありません。 日本人とは何か、というと、歴史を共有している のが日本人だ、という面があるのです。 日本人だ、国民だ、などというのは幻想です。 しかしその幻想が国民に国民という意識を醸成 させ、他人とのあるいは国家との一体性を 構築しているのです。 人間は一人では非力です。 しかし、人間が集団化し、組織化すると神も驚く ほどの力を発揮します。 そのためのツールとして歴史を学ぶ意義は 大きいと思われます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.7

高等数学は、ほとんど何の役にも立ちません。フェルマーの最終定理を解いたからといって、知的興奮以外に得るものは何もありません。それで病気の人が助かるわけでも、お金が儲かるわけでも、地球環境の破壊が食い止められるわけでもなんでもありません。 天文学は、全くというほど役に立ちません。もう今は太陰暦はほとんど使っていませんからね。ましてや太陽系の外のことについて研究したってたどり着けるわけでもなんでもありません。今日本ではハイパーカミオカンデという研究施設を800億円もかけて作っていますが、これで宇宙の真理に一歩近づいたところで「太陽に一歩近づいた」ほどの意味があるかどうかさえ分かりません。どちらにせよ、その研究者に「あなたの研究は一体何の役に立つのですか?」と聞いたらきっと彼は不愉快な顔をするでしょう。 哲学は、ひょっとすると学ぶと害になるかもしれません。哲学を研究しても幸せになれないです。むしろ不幸になるような気がしてなりません。哲学者たちに「幸福とはなんぞや?」なんて聞いても、ややこしい答えしか返ってきません。 世の中に役に立つ学問のことを「実学」といいますが、学問全体からすれば実学なんてほんの一握りに過ぎません。地球には磁場があって、北極はN極、南極がS極と小学校で学びますが、その知識が将来どこかで役立つ可能性は限りなく0%でしょう。であるならば、そもそも「役に立つから」とか「役に立たない」という理由で学問を論ずることは非常にばかばかしいことになります。そもそもが学問そのものが役に立つためのものではないのです。 「歴史なんて何の役に立たない」と歴史好きの私を面と向かってバカにした人がいました。その人はそういって笑うと競馬新聞の馬柱を熱心に読み始めました。競馬新聞にはその馬の過去のレースの成績が書いてあり、それを元にどの馬が勝つか予想します。その人は歴史は役に立たないといってその馬の過去のレースという歴史を参考にしたのです。もっといえば、馬には血統というのがあります。この馬のお父さんはどんな馬だったか、長い距離が得意だった、ダートが得意だった、そういったことも歴史のひとつです。 >抽象的な憲法を与えられただけで満足してるのですよ 歴史は歴史、法学は法学です。数学と物理を一緒にするより見当違いですよ。「history」という言葉は「his story」からきているという説があります。今現在の貴兄が存在しているのも、貴兄のストーリーがあったからです。貴兄の育った環境を無視して貴兄について語ることはあまりに愚かですよね。そう思いませんか。「人に歴史あり」なのです。

crystamond1234
質問者

お礼

ありがとうございます

回答No.6

>昔であればあるほど。 書物など嘘書き放題だし。 私もまったく同感です。 戦国武将なんて言ってても結局は、現代で言う「ヤクザ抗争」にしか思えません。 明治以降、メディアで事実を知ることができても、それ以前の出来事は都合よくできたフィクションくらいにか思っていません。(坂本竜馬も怪しい存在です) 昭和天皇が誹謗中傷を喰らうのは、メディアが残っていたからです。 自分の目で見て、確信できたところから歴史は始まればよく、それ以前の文献など全く怪しい存在でしかないと思います。

crystamond1234
質問者

お礼

ありがとうございます

回答No.5

何かの役に立たなきゃいけない、なんてことはないのですよ。 まぁ学問は、どれも回りまわって「人間」に戻ってきます。直接的に人間を対象にしているものも多いですが、一見動物やら星やらを対象にしているように見えても結局それは「人間」を確認するためのものだったりします。どうも私たちは、自分達が思う以上に自分達が好きで自分達に興味があるもののようです。(唯一数学だけは「人類とはまったく関係ないです」と宣言してたりしますがw)

crystamond1234
質問者

お礼

ありがとうございます

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.4

歴史と歴史ドラマと混同しているのでは?歴史の授業では信長がバサバサ人を殺すとか、太平洋戦争で特攻隊が「お国のために死んできます」と言ったなんて教えて無いですよね。つまりドラマと歴史の史実が混同しているんですよ。歴史では作り事は絶対教えません。だからつまらないのです。つまらないからドラマ化しちゃうんですよね。 で、憲法が抽象的なのはあったりまえ。憲法は最上位の法律。ドリルダウンして解釈するものですよね。憲法制定時すぐにはその下位の法律もある程度出来上がってます。その後は事象に合わせて下位の変更はされています。 いきなり下位法律だけで良いって考えはどこからくるのか疑問です。企業理念とか学校の方針とか世のなかぜーんぶ大きな理念はその団体の最後尾まで表すものですよね。それがないと方針や目標が出来ないのはMBAなどを勉強すればわかります。

crystamond1234
質問者

お礼

ありがとうございます

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.3

過去があるから現在がある。 過去の戦争の反省があるから、日本は戦争を否定した。 しかし、質問者ご自身が、初めから歴史を完全に否定するものならば、質問する必要などないのでは?

crystamond1234
質問者

お礼

ありがとうございます