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できればクリスチャンに聞きたいです。
クリスチャンじゃなくてもいいです。 話を聞いてくれるだけでもよいです。 本当に個人的な事なので。 私は神様の救いを信じていて、 神様に救われたり計らってもらったりする時もあるんですけど、 どうしても、家族への苦手意識が抜けません。 聖書には「家族を大切に」としっかり書かれてあるので、 こんな事言ったら怒られるかもしれません。 でも、どうしても駄目で、 自分でも、家族のことも大事にできないクズで心が乾いてて、 人を愛したり優しくしたりする心が乏しいのかもしれないと思ってしまいます。 神様に今まで何度か、「人を赦します。家族を赦します。家族親戚一同が早く神様のところへ戻られますように。家族との関係が上手くいくように計らって下さい。」と祈ってきました。 でも、私としては赦しているつもりなのに、 しばらくすると、また家族の粗を探し出して怒りに支配されてしまうんです。 特に父親と兄に対しては過去のの恐怖心と怒りから、そうなってしまいます。 私は小さい頃から、私が泣いたらヤクザみたいに怒鳴ってくる父親が怖くて苦手でした。 小1、2くらいの時に、私が反抗して怒らせた時は、躾として自らガスコンロに火をつけ、その中に腕を引っ張られて青ざめた事もあります。 あの時の父の大きな手の感触が今でも忘れられないんです。 最近、今まで溜めてたものが爆発して、もういい大人なんですけど母の前で「怖い!止めて!」と恐らく人生で一番の大泣きをしてしまい、衝突してしまいました。 兄と兄の友達からは性的な嫌がらせを一方的に受けて笑い者にされたこともあります。 だから、そういう事が原因で男性恐怖症みたいになってた時期もあります。 もちろん、私にも悪かったところはたくさんあります。 私も家族を傷つける事を10代の頃とかはたくさんやってきました。 だから、自分が赦してもらいたいっていうのもあるし、 だったら私の方も相手を赦さなきゃと思ってて、 でも上手く許せなくて、 やっぱり私は愛する心が乏しいのかな、同級生たちはなんで親と普通に話せるんだろって 思ってしまいます。 でも、神様がもう私がそのようにならないように計らって下さってるのも解るんです。 事実、もう家族の誰も私を傷つけるようなことはしません。 といいますか、まず会話がありません。 私は母くらいしか家族と会話できていません。 父とは中学か高校の時に、あるきっかけ以来、口を聞いていません。 それは私が悪かったんですけど・・・。 ちゃんと質問になってませんでしたね。 すみません。 でも、こういうことで悩んでて自分でもどうしようもないんですけど、 なにか助言していただけませんか?
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- amenhotep2000
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kotobanohibiさん こんばんは 質問の悩みを私が読むに、kotobanohibiさんは、子供の頃の経験から、自分を愛するということが少ないことが悩みの原因のように感じます。 むろん、キリスト教では、聖書にあるように、イエスは、もっとも重要な掟として、「あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を愛しなさい」という、2つをあげており、自分自身を愛しなさいとは書いていません。 しかし、懇意にしていただいている、神学科の名誉教授に尋ねたところ、自己を正しく愛せるかが重要で、自分だけのためだけの愛は発展性はないからいけないとのことです。 自己愛についてうまく書いたと思う詩として下記のような詩があります。 「愛をお探しですか?鏡をごらんなさい。そこに写るのが愛です。それは、あなた自身です。」 心に響く声 葉祥明(著) 愛育社 ただし自己愛は、行き過ぎると「高慢」という罪を人間は犯しがちです。 カトリックの聖人のアウグスティヌスは「創世記注解」という書の中で下記のような忠告をしています。 「高慢は自己の優越性への愛であるのに対し、嫉妬は他者の幸福への憎しみなのである。(嫉妬の原因は高慢である)・・・自分の利益を求めない、つまり私的な優越性を喜びとしない、だから正当にも、高ぶらないのである。」第11巻14章・15章 神学科の先生から教わったことに戻りますが、信仰はどのように生まれるかについて下記のような流れがあります。 知る → 良いもの → 愛する → もっと知りたくなり知るようになる この流れのどこに「信じる」という神への信仰が生まれるかと尋ねたところ、「愛する」というところであり、さらに、もっと知りたくなるような「知」と「愛」は分離できないとおしゃってました。 哲学というのも英語のフィロソフィーというのは「知を愛する」という意味です。 kotobanohibiさんは、自分や他人や神様を愛せますか?鏡に向って問いかけてください。 いろいろと述べましたが聖書の言葉で締めくくります。 「知識は高ぶらせるが、愛は造りあげる」コリントの信徒への手紙1 8章1節 「愛は忍耐強い、愛は情け深い、ねたまない、愛は自慢せず高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。予言は廃れ、異言はやみ、知識はすたれよう」 コリントの信徒への手紙1 13章4節~9節 「信仰と希望と愛。この3つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である」 コリントの信徒への手紙1 13章 13節 P.S. 私の回答の知識の部分でなく、愛の部分を受け取って読んでください。
- ways
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親や兄弟が、自分のことを大切にしてくれるから、嬉しくて自分も親や兄弟を大切にできるんです。自分の心に反して、無理やり大切に思おうとするのは、自分の心にとって、嘘をついていることになります。 心に愛がなくて、自分勝手する人もいます。ひどいことが、平気でできてしまう人がいます。そんな人に理解を求めても、疲れてしまうだけです。どうしても通じ合えない人がいます。身内なのに、分かり合えない、受け止め合えないのは、辛いし寂しいことですが、それが現実なら、無理に仲良くしようとしないで、少しずつ距離を置いた方がいいです。それでも、親や兄を思う気持ち、愛する気持ちが出てくると思います。ですが、その気持ちを伝えても、相手に何も響かないようであれば、もう一つの想い、「激しく憎んでいる」「心底怒っている」ことを、ストレートに伝えてみることです。それで、相手の反応を見る。それも愛の行動なんです。ご自分を愛するがゆえに、相手を愛するがゆえに、気持ちを知ってほしい、分かり合いたいという。 もしかしたら、お兄さんとお父さんは、コミュニケーションを取るのが苦手なのかもしれません。コミュニケーションを取ることが、あまり好きではないのかもしれません。それに、親子と言っても、年が離れていますし、世代も違います。共通の話題があるとしたら、食べ物など、生活のことや、仕事の話くらいかもしれません。分かり合うという関係は、親の心に愛がないと、不可能です。 許せないこともあります。「これは、どうしても許せない」ということが。それはそれでいい。すべてを許すことは難しいでしょうし。それを認めることも、ご自分のために必要です。まずは、ご自分の心と向き合って、ご自分の今の気持ちを知ることです。 自分が一人暮らしを始めたり、結婚したりして、家を出て離れると、時間がたって相手の考えがや気持ちがつかめてきて、「そういうことだったんだね」と腑に落ちたり、「どうしようもなくて、そうするしかなかったんだね」と、相手のことが分かってきたりして、大きな心で許せたりすることがあります。同居していても、分かり合うには、もう少し時間が必要でしょう。 相手に今の気持ちを伝えるのが難しければ、ノートにぶつける、という方法もあります。言葉を飾らずに、ストレートに書くことがコツです。 「須永博士」(すながひろし)で、検索してみてください。心の支えになる作品と、出会えることと思います。
- ura_22398
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赦すのって、簡単なことではないと思います。低レベルな痴話喧嘩から、自分の受け皿を越えてしまう事柄まで、ひたすら耐えるしかないです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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▲ (アウグスティヌス:《心の欠けなる傷》について) ~~~ かの全能者は 最初の人(アダムとエワ)からであれ その後に加えられたわたしたちの意志からであれ わたしたちに起こっている悪を その満ちあふれる恩恵によって 滅ぼしている。 (『ユリアヌス駁論』1・5 金子晴勇訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このネット上で 話をするには 時間をかけて何度も やり取りをしながら こたえを見つけ出して行くよりほかに ないと思います。 取りあえず 上の言葉を取り上げてみました。 そして このような神は 極端に言えば信仰のあるなしに かかわらず そういうチカラをおよぼしていると――理論上 ――見られます。 つまり どこの神・あそこの神といった問題ではなく 普 遍神としてのチカラなのだと 思われます。 といった出発点に立ってすすまれるのがよいと思いました。
神から見れば あなたも あなたの父親や兄も そして 全人類も 同じ「我が子」なのです・・ 誰を贔屓する事無く 誰もを 同じ目で見ています・・ 唯 それだけ・・
クリスチャンではないですが 若いころに関連した方に助けてもらった ことがあります。 でも、すべてのクリスチャンの方が 寛容で、貴女が苦しまれたことを 理解してくださるかは、わかりません。 家族を大切にしたくても まず、自分自身を大切にするためには 家族から気持ち的に距離を置いた方が よい場合もあるでしょう。 いろいろあった中でも、優しい気持ちを 失わないで、優しくいたいと思っているなら まず、自分を大切にしてみてはと思います。 いつか、自分で家族を作ったときは その気持ちを思い出してあたたかい家庭が 作れるのではないでしょうか。 貴女の中では、辛かったことを 許そうと努力されていますよね。 その気持ちが自分自身にきっと 良いこととして返ってくるのでは
- OldHelper
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教会に行って牧師さんや神父さんに話を聞いてもらいましょう。 それが一番です。 所属する教会がないのなら、近くの教会に行けばいいです。 教会員でなくても時間さえあれば話を聞いてもらえますよ。