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カイゼルス日本海軍重巡洋艦、インド洋で沈没
- 第一次世界大戦が宣言された際、ドイツ帝国海軍のカイゼルス日本海軍重巡洋艦はインド洋にいました。
- カイゼルスはザンジバル港で古い防護巡洋艦HMSペガサスを撃沈し、ルフィジ川デルタに退却しました。
- イギリスのケープ戦隊の軍艦に追い詰められた後、6インチの砲を持つ2つの浅瀬用モニター艦がイングランドから持ち込まれ、1915年7月11日にカイゼルスを撃破しました。
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以下のとおりお答えします。英国軍とドイツ軍の水上戦について、というより、おもに戦艦について説明しています。注にも書きましたが、訳文に間違いがあるかも知れませんが、その節はどうぞ悪しからず。 >A light cruiser SMS Königsberg of the Imperial German Navy was in the Indian Ocean when war was declared. In the Battle of Zanzibar, Königsberg sank the old protected cruiser HMS Pegasus in Zanzibar harbour and then retired into the Rufiji River delta. After being cornered* by warships of the British Cape Squadron, including an old pre-dreadnought battleship**, two shallow-draught monitors*** with 6 in (150 mm) guns were brought from England and demolished the cruiser on 11 July 1915. ⇒ドイツ帝国海軍の軽巡洋艦SMS(ドイツ皇帝陛下の艦艇)ケーニヒスベルク号は、開戦が宣告された時、インド洋上にあった。「ザンジバルの戦い」で、ケーニヒスベルク号は、(母艦に)守られていた旧式の巡洋艦HMS(英国皇帝陛下の艦艇)ペガサス号をザンジバル港に沈めて、それからルフィジ川河口の三角州に退却した。英国ケープ支隊の軍艦によって隅に追いやられていた* のだが、旧式で以前のドレッドノート** を含め、6インチ(150mm)径砲で武装した2隻の浅瀬用モニター艦(装甲傍受艦)*** が英国からもたらされて、それが、1915年7月11日(ドイツ軍の)巡洋艦を粉砕した。 *cornered:「隅に追いやられて」(=お払い箱にされて)と解釈しましたが、間違っているかも知れません。 **dreadnought battleship:「ドレッドノート」。巨砲を備えた戦艦で、「弩級(どきゅう)戦艦」とも言われる。 ***shallow-draught monitors:「喫水線の浅いモニター艦」。モニター艦とは、通信傍受ができる装甲艦のことである、という。 >The British salvaged and used six 4 in (100 mm) guns from the sunken Pegasus, which became known as the Peggy guns; the crew of Königsberg and the 4.1 in (100 mm) main battery guns were taken over by the Schutztruppe and saw major use in various points throughout the area until the end of operations. ⇒英国軍は、沈没したペガサス号から6門の4インチ(100mm)砲を拾い上げたが、それは「ペギー銃」として知られるに至った。ケーニヒスベルク号の乗組員と4.1インチ(100mm)主砲が植民地保護隊によって拾い上げられ、(大砲は)この作戦終了まで地域のいろいろな地点で本来の用途に使われた。
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回答有難うございました。