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一方的な断罪
こんばんは。 「一方的な断罪」は、「私刑」の様相を呈します。 ある程度の「法的安定性」があり、さらに、それの変更にはそれなりの理由が付いて回る、ということでなければ、市民生活は困難です。 【訊きたいポイント】 「ある判断(と、それに伴う「実力行使」?)が、一方的な断罪にならないためには、どうすればよいでしょうか?」 宜しくお願い致します。
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司法に介入してもらう(裁判)。 それ以外は、何をしようが結局私刑の様相を呈するから。
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- kohichiro
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ご質問は、必ずしも法律に反した「犯罪」のことを言っておられるのではないのではありませんか。 たとえばマスコミでときどき起こる「不倫」などの事案に対する世間の対応のことのような気がしますが。 司法は動きませんが、ある女性タレントなどは世間からの激しい批難に、「私刑」に遭ったと考えてもいいのではないでしょうか。彼女は正常な市民生活が困難な状態になっています。これはある意味不当な、人権侵害とも考えられます。 >「ある判断(と、それに伴う「実力行使」?)が、一方的な断罪にならないためには、どうすればよいでしょうか?」 一人ひとりが自由でくそ大衆週刊誌などに惑わされない大人の思考力を身につけて、他人の私生活には原則かかわらないこと、でしょうか。また、男と女との差をつけない、原則として平等の視点で考えるということも重要だと思いますよ。とかく日本人は自分で考えず勝ち馬に乗る、多数派へ押し流されることが多いです。まだまだ個人主義としての民主主義は育っていませんね。
お礼
kohichiro様、ご回答ありがとうございます。 >「ご質問は、必ずしも法律に反した「犯罪」のことを言っておられるのではないのではありませんか。」 「逆「犯罪」」のことかもしれません。 >「一人ひとりが自由でくそ大衆週刊誌などに惑わされない大人の思考力を身につけて、他人の私生活には原則かかわらないこと、でしょうか。また、男と女との差をつけない、原則として平等の視点で考えるということも重要だと思いますよ。とかく日本人は自分で考えず勝ち馬に乗る、多数派へ押し流されることが多いです。まだまだ個人主義としての民主主義は育っていませんね。」 ・・・「行為の時には合法だったのに、事後的に可罰とされる。そういうのは勘弁してくれ」、と。 リクエストを頂いております。
- koosaka
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一人で判断して、断罪すると、それは「私刑・リンチ」になる。 でも多数で判断しても、同じ「私刑・リンチ」になる。 よく西部劇で、みんなで犯罪者を「私刑・リンチ」するシーンをよく見ました。 法は国家が、法という非・人格が判断し、断罪して、犯罪者を処刑するから、「法的安定性」が必要だと言います。 そりゃそうだ、コロコロ断罪する基準が変わっていては、「私刑・リンチ」と変わらなくなる。 でも、「冤罪」というものがあります。 法も間違えたりします。 「法的安定性」があるからと言って、それが正しい、正義である、ということにはならない。 「法的安定性」は断罪する基準が一定である、と言っているにすぎない。 「法的安定性」は、正義である、とは言っていない。 正義であるためには、「法的安定性」のほかに、それが客観性を持つ必要がある。 そして客観性は多数決ではない。 それでは、西部劇の「私刑・リンチ」と変わらない。 問題は法の「客観性」とは何か?ということになります。 あるいは、「法とは何か?」ということにあります。 ハートの「法の概念」は、ライルの「心の概念」を下敷きに書かれたものですが(タイトルも両者は良く似ています)、法は一次ルールに基づき、そのに上にある二次ルールであると言っています。 ライルはそれを「心の概念」で、心は1階の概念に対する2階の概念だと言っています。 たとえば、学校という概念がありますが、学校は2階の概念で、1階の概念、教師と生徒と校舎の上にある、それを総称した2階の概念だと言っています。 つまり、心はデカルトのいうような実体ではなく、概念なのだ、と。 法は一次ルールの上の二次ルールだということは、1階の上の2階の概念、だということ。 では、一次ルールとは何か?と言えば、慣習であり、生活様式・エートスです。 法はその慣習、生活様式・エートスに基づき、それを一次ルールとする、二次ルールです。 その一次ルールを正しく反映するとき、二次ルールとしての法の客観性があります。 私たちは国家が、その二次ルールを「体現したもの」「擬制」だと「見做し」て、国家の裁定に委ねているのです。 あくまで「擬制」です、「見做している」ということ。
お礼
koosaka様、ご回答ありがとうございます。 >「正義であるためには、「法的安定性」のほかに、それが客観性を持つ必要がある。」 んー >「私たちは国家が、その二次ルールを「体現したもの」「擬制」だと「見做し」て、国家の裁定に委ねているのです。 あくまで「擬制」です、「見做している」ということ。」 人権を侵害しないように、心掛けましょう。
- hekiyu
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そうならないような、制度にしておく ことです。 そうならないような、手続きを定めて おくことです。 そのための代表制度として、裁判が あり、手続き的正義が定められて いるのです。 「ある判断(と、それに伴う「実力行使」?)が、一方的な断罪にならないためには、 どうすればよいでしょうか?」 ↑ 刑事でいえば、被疑者、被告人には弁護士がつき、 公正な立場にある裁判官が、第三者的立場で判定 します。 被告人、被疑者には必ず抗弁の機会を与えなければ ならず、手続き的正義が確保されています。 裁判官は偏頗な裁判をしないように、政治からの 独立が保障される制度になっています。
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「手続き的正義が確保されています。」 >「保障される制度になっています。」 ありがとうございます。
お礼
Pochi67様、ご回答ありがとうございます。 「自力救済の禁止」ですね。